人間の生きる底力について考えたことはあるかい?
よく「死にたい、死にたい」と言う奴がいるだろう?
私も生前よく言っていたよ、兄貴には言う度に怒られたっけか?
安易に死をほのめかす奴ほどただ単に甘ったれてるだけだから鬱陶しい。いわばファッション希死念慮だ、ってのが兄貴の持論らしかったよ?
そんな私が思うに、生きてる者が死にたいと思うことは最大の贅沢なんだよね?
だって死んだら今度は「生まれ変わりたい」と願うだろうからね?
人間のないものねだりスキルは際限なく、およそ魂レベルなんだろうねぇ?
でも、それでもね?一方で絶対死んでたまるかって気持ちで生きてる者もいるんだよ?
命の灯火……いや、命の業火とでも言うのかな?まあとにかく、強い意志を持って、尚も生きる物もいるわけね?
そう。死なない限り、生者の行進は止まらないんだよ?
いや……あるいは死んでも止まらない、かもね?
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クローバーの廃墟、正式名称アヴァホテル跡地。
ここはもとより単なるホテルとしてだけでなく、ちょっとした遊園地等も兼ねて設計されていた。
まあまあしっかりしたチャペル設備も残されている。
そして今、そのほとんど朽ちたチャペルを利用して、結婚式が開催されていた。
……のだが、そこではとても結婚式とは思えない光景が広がっていた。
「おい」
新郎がイラついた様子で眼前の参列者たちに声をかけた。
参列者は、皆一様に同じことをしていた。
内側に向かって円になり、隣同士で両手をつなぎながら時計周りに移動したり、中心に集合を繰り返し。
途中で全員同じステップと手拍子をしている。
これは、そう。
フォークダンスの一種で、キャンプファイヤーによく見られるアレだ。
「マーイムマーイムマーイムマーイム」
「おい、やる気しないからってマイムマイム踊ってんじゃねェぞテメェら」
新郎……クローバーが唸ると、参列者一同は飽きたのかマイムマイムをやめた。
「いやはや、幽霊小僧が結婚とか砂漠に水が湧いたレベルで奇跡じゃなぁ」
「しかも相手が相手だしにゃー。なぁラッさんよ」
クローバーの隣にてうつらうつらしているラスカルが、微睡みながらも微笑みで返す。
ラスカルは、ウェディングドレス姿でいた。
肌の露出は控えめかつシンプルながらも純白の生地をたっぷり使用した、とても美しいドレス。
今日は、ブルーノ・クローバーとラスカル・スミスの結婚式である。
「神父様、貴方だけはこの場でしっかりしてもらわなければ困るのですが」
「はーァいはい……余興で歌でも歌いましょうかァ?神父様のランバダ」
「せめててんとう虫のサンバを歌ってください」
ーーーーー
「ニル!!」
目を開けたら大勢の人々が自分を覗き込んでいた。
「良かったーー!生き返りましたよ!」
「ニルさん、お腹大丈夫ッスか」
言われて慌てて腹を見ると……傷がまるっきりなくなっていった。
服が盛大に破けて、赤黒くなっているのみ。
どういうことだろうか、今の今まで彼女はたしかに死んでいたはずだったのに。
「私……、どうなってるの、ねえ、私死んだはずじゃ」
「と!こ!ろ!で!この八方美人クソジジイ、どうするよ」
ニルの言葉を遮り、ほかの面々が議論し出す。
都合の悪いことのように、聞きたくないと言うように。
ともあれ、ひとまず論点はササガワハイジの処遇についてに変わった。
当のハイジはというと座椅子に荒縄で拘束を食らって、しかし欠伸していた。
「地下にシェルター室がある。そこに閉じ込めて餓えさせよう」
「うわえっぐ。何やねんオマエ、オレに何か恨みでもあるんか?」
「恨みしかねェんだが?」
クローバーがハイジのつむじを親指で思いきり押す。
昔、つむじを押すと下痢になるとかいう迷信があったから、それを実践しているのかもしれない。
ふと、ラスカルがクローバーの袖を引いた。
「……ブルーノくん、ぼく眠い……」
「あァ、じゃあ部屋に戻ろう。……おい参列者ども、適当に飲み食いしてろ」
「野郎ども宴だ!!」
「主役居なくなった瞬間盛り上がりやがる」
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見てたかい?あんたのお友達、綺麗だったねぇ?
ほれいつまで泣いてるんだい?
みっともないね、そんなに自分を忘れて欲しくないのかい?
それはそうと、兄さんが心配だね?
あんた、ずいぶんあの馬鹿兄貴に可愛がられてたんだろう?
余計な真似をしないでくれるといいんだけど……ねぇ?
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そんなこんなでラスカルの私室に戻ってきたクローバー夫妻。
夫婦といえど、あくまで性的な関係はないものと定めているため、二人の寝室は別々である。
ここはホテルなので、寝室は腐るほどあるわけだし、非常に都合がいい。
「すまない」
ベッドに潜り込んだラスカルに、夫が謝罪した。
「何を謝ってるんだぃ」
「本当は俺と結婚なんかしたくなかったろォ」
キースが自殺した後、クローバーはラスカルにオズ殺害の共犯を依頼した。
加えて、結婚を申し込んだ。
クローバーの気持ちは最早重々承知しているラスカルだけれども、彼女が真に結ばれたいのは違う人間だ。
が、しかし、自分はもうじき老衰する運命。
そう考えると残されたクローバーが心配だった。
「……ぼくが自分で考えて決めた事だから、気にしないでおくれ」
クローバーは依然として申し訳なさそうにしている。
だがラスカルは、むしろ自分の方が謝るべきだと思った。
彼らは結婚こそしたが、所詮は友愛関係。
ラスカルはそれでいいだろうが、クローバーが本来求めたかった愛情とは違う。
「……ごめんね」
ーーきみのほしいものを与えてやれなくて、ごめん。
「謝るな。お前のウェディングドレス姿を見れただけでも収穫だ」
クローバーはそう言って薄く笑った。
と、不意に思い出したように「ところで」と話題を変えた。
「あの不死身のチビジジイは何しにきやがったんだ」
「ハイジおじいちゃんかぁ……何だろうね。どうも昔とどっか違うんだよなぁ、時の流れに逆らえなかったのかね」
「そもそもお前、どこであのジジイと知り合った」
「ルークが生きてた頃、行きつけの駄菓子屋だって連れてってもらった時に知り合ったんだよ」
いわく昔のハイジは、ルークとまだ幼かったラスカルをいたく可愛がっていたそうだ。
「あのジジイも、オズのガキなんだろォ?ルークのことを弟と知ってたんじゃねェのか」
「あ〜、そうかなるほど。合点がいった」
「とにもかくにもあいつは今は敵だ。今後はあまり近寄るな」
話はそれで終わり、クローバーは部屋を後にした。
残されたラスカルはベッドの中で、眠気の中ぼんやり考えた。
ハイジはルークの兄だった。
可愛がっていた弟が世にも無惨に殺されて、どんな気持ちだったのだろうか、と。
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主役が居なくなった結婚式会場は、率直に言って大盛況だった。
誰一人マイムマイムやらソーラン節やらを踊ることもなく、かえるの歌を輪唱することもなく。
ただただ美食美酒舌鼓を打ち、好き好きにグループで集まって談笑している。
もとより色気より食い気、さらには自由人の面子だ。仕方ないだろう。
「おいミッフィーと神父ちゃん。俺様の悩み相談に乗りな」
「貴様にミッフィー呼びされとうないんじゃが」
「いいだろぉ別に上司なんだからよぉ」
いくつか別れたグループのうち社長、ミフネ、神父は、わりと端の方にいた。
テーブルの上に乗ってオンステージ状態の社長が、部下二人を見下ろし急に勝手なことを宣う。
「何ですかァ悩み相談って……めんどいんで遠慮させていただきますゥ」
「ここだけの話恋バナなんだよなぁ」
神父が拒否したのに聞いてもおらず。
恋バナとやらが、文字通り否応無しにはじまる。
「単刀直入に言うがよぉ。今、モノにしてぇ女がいんだよ。で、この間プロポーズしてやったんだが断られてファッキューなんだわ。どうしたらいいと思うか言ってみろ」
信じられるだろうか、これが他人に相談する態度なのだ。
そんなだからプロポーズしてもファッキューで終わるのだろうに。
「まずその俺様ロックンロールみたいな態度を改めろよ、馬鹿たれ」
「あ?俺様ポップンミュージックの方がいいのか?」
「いや俺様の方を改めてくださいよォ……」
「馬鹿言いやがれ、俺様から俺様を取ったらキュートさしか残らねぇだろうがよぉ」
「キュートさだけでいいんで、ホンット」
まるで話にならない悩み相談である。
「だいたいお前、あの小娘にするべき事してねーでしょォ……話はそれからですよ」
「するべき事って何だよ」
「さァ……」
否定的かつ適当。
相談を受け流そうとしているのだと肌で感じさせるような態度だ。
それはそうだ、社長が他人のアドバイスを素直に聞き入れる態度とも思えない。
そのまま終わるかに思われたが。
「聞く耳を持て」
不意にミフネがこんな事を言った。
「あん?どういう意味だぁ?」
「おまえさん、その様子じゃあ多分押して押して押しまくってるんじゃろ?女子はのう、自分の話をただ聞いてほしい生き物じゃ。だからただ話を聞け」
「……なるほど、聞くのか。あいつの話を。よし……あんがとよぉミッフィー」
礼を言った社長に、思わずミフネは食べていたおつまみを取り落とした。
あの傍若無人の化身が、誰かに礼を言うのを初めて聞いたから。
神父も同様に、飲んでいた酒をジョッキごと落としていた。
が、本人は気付かず。
ただただ今聞いた話を心に刻み込んでいるのだった。
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一方、窓際の辺りにて屯しているのはベルトとカリン。
さらにその間に挟まれるようにニルがいる。
「きゃははは、ベルトあんた顔にひじき付いてるわよぉ」
「ニルちゃん、これひじきじゃないからオシャレ髭だから。ほれもう一杯」
「カリンも飲んでるぅ!?飲まなきゃ犯罪よ!飲まなきゃ首を斬るわよぉ!」
「はたもんばみたいな事言ってますよ」
ずいぶん出来上がっている様子のニルがげらげら笑っている。
どうも同僚たちは、ニルを酔いつぶれさせたい様に見える。
先程の謎の復活劇が関係しているのか?
いずれにせよこの調子ならばそろそろ潰れるのではなかろうか。
「あの二人本当に夫婦になっちまったにゃー」
二ルの傍らでワインをがぶがぶ飲みつつ、ベルトは感慨深そうに言う。
「友達婚ねぇ……性交渉なしの結婚なんて意味あんのけ?一緒にいるだけならわざわざ友達同士で結婚する必要無いんじゃね?」
「世の中色々考え方ありますから、結婚の意義も人それぞれです。友達婚も然り」
同じようにカリンが、子供ビールを煽りながら自分なりの意見を述べる。
「ラッさん、言ってましたよ。生きてる間にクロさんをできるだけ幸せにしたいって。それにラッさんの場合、「友達」は神聖なものでしょ。下手したら恋人よりも大切かもしれない。それだけ大切な存在になったんですよ、クロさんは」
人生二週目か。
本当に十五歳なのか疑いたくなるほど達観している年若き同僚に、ベルトが過剰な瞬きで驚きを示した。
「まあとにかく、結婚の基本的理念としては間違っていないと思いますよ。二人とも、ちゃんと同じ方向向いてますから。立派に夫婦ッス」
「……なら、もちーっとちゃんと祝ってやれば良かったべかな」
ベルトが空になった瓶の口を名残惜しそうに舐め、新婚ふたりを想った。
ところで気になるのだが、先程からカリンの様子がおかしい。
目を閉じ、眉間に皺を寄せている。
まるでひどい頭痛でもするかのように。
「だいじょーぶけ」
「はぁ、まぁ」
「静句ちゃんに薬もらった方がいいんと違う」
「気にしないでくださいたたたたた」
急にベルトがカリンの頬をつまみ引っ張った。
「エスパーに嘘ついてんじゃねーよ。おにーさんには本当のこと言わねーと犯罪よ?罪人は首斬るぞ」
「はたもんば増えたんスけど」
とりあえずといった風に解放された頬をさすり、カリンは少し恨みがましそうにベルトを睨む。
「……ベルトさんこそ、何か隠してませんか」
「隠してるよ」
「工場長に隠し事はいけませんね。首を折りますよ」
「はたもんば増えた上に今度は拳で来るタイプじゃん」
と、ベルトが泥酔状態のニルを一瞬だけ見遣った。
そうしてカリンにだけ聞こえるように、呟いた。
「このあと話す」
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そして最後にパティ、静句、鎮巳だ。
食べ物などがたくさん用意されたブースに程近いところで談笑している。
「こんなぐだぐだでよかったんでしょうか……せっかくの結婚式なのに」
ぼやきつつ皿に山のように盛られたキッシュを頬張っているあたり、パティもまた色気より食い気なようだ。
その向かいに座る静句は酒が入って上機嫌になり、けたけた笑っている。
「祝う気持ちはきっちりありますですがー。素直に祝うのもつまらんですのでー」
「天邪鬼ってこういうの言うんでしょうね……っていうかまって、このキッシュロレーヌすっごく美味しいです!」
「当然なのです。うちのみーくん手作りですからー」
静句の横にて音を立てないように食事している鎮巳が、急に引き合いに出されて肩をびくつかせる。
ちょっとおろおろしたあと、控えめに「ぶい」とピースサインを作った。
「ご飯作れるのもそうですけど、やっぱり神父様に時々うかがってた通りですね、鎮巳さん」
「……話?って」
「『うちの長男は頑丈だし優しい、俺に似たイケメンなんだ』って、お酒入ると自慢してましたよ」
鎮巳が硬直した。
普段から動きが無いのに、今は輪をかけて動かない。ぴくりともだ。
「……きゅんときた」
やがて鎮巳の口元だけが動いて、喋った。
「胸が?」
「胃が」
「ストレス感じてるじゃないですか」
「そんな事言ってたのですかー?あの愚兄がー?」
「静句さんのことも褒めてらっしゃいましたよ!うちの妹は天才だって」
無邪気に言うあたり事実なのだろう。
事実だろうからこそ、受け取るのに躊躇した。
遠山静。
化物を護る代わりにあらゆる恨みを買ったクズ。
彼は、死ぬほど恨まれても、家族を誇りに想っていたのか。
「胃がキュン死にしそうですー」
「です……」
「えっ大丈夫ですか!?お医者さん呼びます!?」
「お医者さん……といえば……よかったね…… ちゃんと生き返って」
鎮巳の放った言葉とともに、急に微妙な空気が漂った。
十中八九ニルのことだろう。
生き返った、ということはやはり一度死んだのだ。
どんな奇跡が起きたのか不明だが生き返ったのに、なぜこんな空気になるのか。
「……本当にこれでよかったんでしょうか」
「あれは仕方なかったのです。我々は彼女の、死にたくないという言葉を尊重しただけなのです」
「そういえば……駄菓子屋の旦那さんは……?」
「コノハナちゃんが地下室に連れていきましたのですー」
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所変わって、地下室。
非常時用のシェルター部屋に、拘束を食らったハイジを伴ったコノハナがいた。
雑に足蹴にして、ハイジをシェルター部屋に放り込むコノハナ。
「おい、扱いどういうことやねん。オレ腐っても兄貴やぞ」
「知るかィマジで腐っちまえ、ヨーグルトにでも生まれ変われよぅ」
「そらええわ。オマエの腸内環境改善したろか?」
軽口を叩く兄に、コノハナが苛立たしげに舌打ちする。
近くの壁に荒々しく背を預けるとコノハナはハイジを胡乱に睨む。
「本当ならぶっ殺してやってるのにねィ……おめえさんが不死なのが残念でならねェよ」
「オレかて好きで不死なんちゃうわ。結構しんどいで、これ」
「父さん……いや、オズワルドの野郎、今どうしてやがんだィ」
「あーそれなんやけどなァ。なんかめっちゃ情緒不安定やねん。心の病気なんかもな」
「自業自得だろィ」
鼻で笑って、コノハナは部屋を後にしようとする。
その背中に向かって「おい」とハイジが声をかけたため、コノハナは背を向けたままながら立ち止まった。
「あのほっぺハートの姉ちゃん、精神科医なんやろ?ちょっと親父診て欲しいんやけど、あかんか?」
「本人に聞きなァ。ここから出れるならねィ」
そう吐き捨てるとコノハナはシェルター部屋の頑丈極まれりな扉を閉めて、その場から立ち去ってしまった。
その頃、結婚式場。
「ぷはー。飲んだし食ったな」
いい塩梅に腹が満たされた参列者たちが、ぼちぼちお開きにしようと後片付けを始めていた。
一方で酔い潰れて寝ている者も何人かいる。
「ミフネくーん。起きるのですー。ちょんまげ引きちぎられたいのですかー」
「静句おばちゃん……いくらなんでも、鬼の所業すぎる……」
ミフネは鎮巳の背におぶられていき、静句がそのあとに続いて帰り。
「カリーナぁー!!二次会しねぇ?!ツイスター大会!」
「しないッス。ガキは大人しく寝てください」
カリンが社長にだる絡みされながら部屋を後にし。
「ベルさん、お部屋戻りましょうか」
「ちょいまち。ニルちゃん部屋に持っていかねーとだわ」
「荷物みたいに言いますね」
ベルトが、床にて泥酔しているニルの頬をひっぱたいて起こそうと試みる。
だが全然起きる様子がない。よほど酒を飲んだのだろう。
どうしようか考えあぐねているベルトの背後から、誰かが声をかけた。
「そいつァ俺が引きずっていきますよォ……お前らもう部屋帰んなさい」
神父だ。
ニルのことはあまり好いてないと周りからは認知されているのに、珍しいこともある。
よほど世話焼きなのか。
「マジで?さんきゅ。ほんじゃおやすもー」
「はァーいはい……」
こうして、式場には神父と泥酔したニルが残されるのみとなった。
泥酔した美女とふたりきり、何も起きないはずがなく……とかいう展開は全くもってありえず。
神父は、ニルから少し離れたところで普通に煙草を吸いつつ、ぼーっとしていた。
「っ……ぐす……」
「……?」
ふとニルが嗚咽を漏らしているのが聞こえてきた。
起きているのか?
近寄って顔を覗き込んでみたがやはり寝ている。
どうもうなされている様子だ。
「ごめんなさい……もう許してよぉ……」
「おい。うなされるくらいなら起きてもらえます?」
「許して……クレオ……」
思わず呼吸が止まった。
クレオ……に、赦しを求めている。
なぜだ?なぜそこでクレオが出てくる?
こいつは……この女は、まさかクレオに何かしたのか?
とその時、突然ニルが絶叫とともに飛び起きた。
「……おはようございますゥ」
「し、静っ??……あれ、私、何してんの。みんなは?」
「会食終わったんで部屋戻りました。っつか、お前どんな夢見てたんですゥ?」
「夢見てたの?」
「いや知らねーですけど」
きょとん顔を晒しているニルは、本当に何も覚えていないようだった。
夢など大抵の場合そんなものだ。が、彼はどうしても気になった。
「ニルギリス、お前……何か思い詰めてることありませんかァ」
「えっ」
「不安に思ってること、悩んでること、悔やんでること……何でもいいですけど、ありません?聞いてやってもいいですよォ……」
だから、カマをかけた。
もとよりニルは神父に片想いしている身だ。
少し優しい素振りを見せれば、打ち明けるかもしれない。
して、ニルの反応は。
「……聞いてくれるの?本当に?」
「ええ」
「何聞いても怒らない?」
「善処します」
まだ酒が残っているのか、顔を紅潮させて瞳を潤ませているその表情は、まるで恋する少女のようだった。
「……、あの……ね」
ーークレオにちょっと意地悪しちゃったのよ。
彼女、私が処方した薬飲んでたじゃない?経口避妊薬。
アレをね、媚薬にすり替えて渡したらね、キースとの子がデキちゃったのよ。
私もうどうしたらいいかわからなくって……だって、こればっかりは完全に私のせいじゃない?
誰かに知られたらお終いだってずっと不安だったの。でもあんたが聞いてくれてよかったわ。
「なんだか救われた心地よ。ありがとう、静」
ひと息に、ニルは自身の悩みを吐露した。
やがて話終わると、ニルは輝かんばかりの素敵な笑顔で締めくくる。
対して、話をすべて聞いた神父は。
「……静?」
神父は、椅子に座ったまま深く俯いて何も言わない。
不思議に思ったニルが、そばに近寄った。それが間違いだった。
「いッ……!?」
神父がニルの髪に手を伸ばして鷲掴んだ。
かと思いきや引っ張って、そのままどこかへ引きずって行いく。
頭皮の痛みと急な豹変ぶりが怖くて、ニルが泣きわめく。
が、神父は無視した。
引きずったままで歩き到着したテーブル、その上にあったまだ中身の残った酒をニルの顔にかける。
あたりにアルコール臭が漂う。
かなり度数の高い酒なのか、アルコールの臭いも一際強烈だ。
鼻に酒が入ってむせるニルだが構わず、神父はポケットからライターを取り出してニルの顔にぐいと近づけた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
途端に燃え上がるニルの顔。
熱い、苦しい、痛い。
顔面が焼け焦げていくという最上級といっていい苦痛に晒されて、ひたすらニルは転げ回る。
「感謝、しねェとなって……思ってたんです」
目の前で暴れ悶え大絶叫するのを、ぼんやり見下ろしながら、神父はつぶやく。
「ハイジから俺を庇ってくれて……ありがとうって、言おうと思ってたんですよ。だからここに残ってたんです。でも必要なかった」
もはやニルの顔のみならず髪や服にも延焼していっていたが、神父は助けもたじろぎもしなかった。
ただただ、ニルが燃え尽きていく様を観察しているだけ。
神父の目は虚ろだった。
だがしかし、どす黒い何かがちらついてもいた。
「お前が俺のダチを潰したんです、クズ女」
とうとうニルが黒い塊にまで変貌した頃。
神父はようやく、手近にあった2リットルペットボトルの水を、ニルだったものにかけた。
いまさらそんな事しても意味などない。
さすがにもうニルは、焼け死んでいるだろうから。
「痛い……痛い痛い痛いぃい」
ところが、ニルは死んではいなかった。
消し炭状態になりながらも、痛い痛いと泣き叫んでいるではないか。
そればかりか、黒焦げになった皮膚がもとの肌色に戻っていく。
「うるっせ……喚かないでいただけます?」
「何すんのよ静ぁあッ!!死ぬところだったじゃない!!」
「死ぬ?どうやって?お前はもうくたばれませんよ」
「はぁっ……!?」
見る見るうちにニルの肌が元通りに再生していく。
これはそう、社長やハイジとまったく同じだ。
普通なら死んでいる怪我でもすぐ治ってしまう。
「ようこそ、孤独で愉快な不死の世界へ」
ーーーー
ーーーー
地下室。
シェルターついでに備蓄倉庫として使われているその部屋にて、現在ササガワハイジは閉じ込められている。
閉じ込められてほんの数時間だが、とにかくやることが無い。
「ハイジッッ!!起きなさいよこのジジイ!」
だからとりあえず寝ていた……のだが、急にハイジは目を覚ました。
文字通り、叩き起されたのだ。
顔をぐしゃぐしゃに泣き濡らしているニルによって。
「おはようさん。何やオレもう解放されるんか?」
「あんたッッ……どういう事!?」
「あぁ〜……不死になってた事かァ?」
「静に聞いたわよ!私が一回死んだ時にあんた、私を生き返らせるために不死にしたって!!」
遡ること数時間前、結婚式場にて。
ニルは神父を身を呈して護り、死んだわけだが。
そのあと、ハイジはこんな事を言っていた。
ーーお詫びと言っちゃ何なんやけど、ひとつ提案があんねん
その提案というのは、ニルを生き返らせること。
ハイジは、きょうだいの中で唯一、父親からの遺伝により不老不死である。
その不死のハイジの肉体の一部を喰わせることで、ニルを同じく不死の者に昇華した。
「同じ方法で、うちの親父も不死になったそうやでェ。あの小生意気な社長くんちゃんの仕業でな」
「ふざけんじゃないわよ!!私そんなの頼んでない!!」
「死にとうない、言っとったやんけ」
そう、言った。
あの時ニルはたしかに「死にたくない」と、生に縋り付いていた。
だからみんなで、実際にその願いを叶えてやったのだ。
しかし、勝手にそんなことをした負い目はあった彼らは、やたらその話題を避けたり二ルに親切にしていたわけだ。
これが顛末である。
「逆に良かったやんか。ずっと若いまんまやで?姉ちゃん美人さんやし」
「でも……もう私、ここにいられないのに……」
「あん?」
そこでニルは、クレオの件で神父を激怒させた事を話す。
神父は大人だから、べつに無闇に事情を喋ってニルを孤立させようとはしないだろう。
だが、ニルは神父が全てと言っていい。
そんな相手からここまで嫌われ憎まれてしまっては、もう……駄目だろう。
「どうしよう...…私もう、どうしたらいいのか分からない……っ」
「ほんなら寝返ってくれへん?こっち側に」
「え……?」
「親父がな、精神不安定やねん。あんた精神科医やろ?寝返って、親父の力になってくれへん?」
ハイジは、あっけらかんとした態度で勧誘する。
ニルの所業は、いずれ仲間たちにバレるかもしれない。
そうなったらニルは追放されるに違いない。
しかも不死にされたショックからも立ち直れていないのだ。
もはや深く考えることもなかった。
「……力になるわ」
ーーーー
ーーーー
「っはぁーーー」
大きく長ったらしい嘆息が廊下に響く。
溜息の正体は黒ずくめの子供、社長だ。
カリンが相変わらず、まったくと言っていいほど相手にしてくれないことについて、社長は考えてあぐねていた。
彼女に与えた仕打ちを思えば当然だと言うのは、今や重々承知しているつもりだった。
社長がどんなに反省したくても向こうからしたら「知るか」で終わってしまうことは間違いなく。
だからこそ先程の強制お悩み相談タイムがあった訳だ。
「ミッフィーに言われたこと試してぇんだけどなぁ」
聞く耳を持てとミフネは言っていた。
だからとにかく話が聞きたい。カリンのはなしを。
何を思っている?何がしたい?何をして欲しい?ただただそれらを聞きたかった。
「……、そういや神父も何か言ってたな」
たしか……そう。
あの小娘にするべき事があるとかなんとか。
なんのことだろう?分からない。いまいち理解が及びそうで及ばない。
「……あっ」
首を捻って薄暗い廊下をひとり歩いていると、前方に人が見えた。
鮮やかな色の丸い頭……カリンだ。
その隣にはベルトがいて、何やら深刻そうな顔で話しているではないか。
俺様を差し置いて相談事とはいい度胸してんじゃねえか、とでも言ってやろうと忍び寄って。
……そこで彼は、心底後悔することになるのだ。
ーーーー
ーーーー
「存在が消える?」
廊下にてベルトとカリンが話していた。
ベルトが工場を退職しようとした理由についてを。
「やっぱり帰んなきゃまずかったんスね。何となくそう思ってましたけど」
ベルトは現代の人間関係ではなく、そのため元の時代に戻らねば存在そのものが消えてしまう。
発明家の端くれたるカリンも薄々勘づいてはいたらしく、あまり驚きはしていない様子だ。
ただし、ある程度は感情が揺さぶられていたが。
「ま、帰んねーけどにゃー」
「帰らないんスか」
「たとえ消えるハメになっても俺がいなきゃ寂しいべ?」
ベルトは目を細めて、らしくもなく柔らかな笑みを浮かべた。
エスパーでなくともベルトの意図はわかった。
およそクズだけで構成された、便利屋クズ工場。
五人のうちひとりは最近自死を選び、ひとりは老衰で死ぬ運命、ひとりは存在が消え去る危機を迎えている。
「……まだニルさんがいますから、ご心配なく」
「あらあらこの子ったら照れ隠ししちゃってぇ。で?工場長は何で頭いてーの」
目を見れば悟れるくせにわざわざ口に出させるベルト。
少々非効率的に思えるが、これが彼なりの聞く姿勢、誠意の見せ方である。
カリンはしばらくの間どこか遠くを見据えて、やがて話しだした。
「カリン、近々発狂死するそうです」
「すげえさらっと重いこと言うじゃん。やっぱアレ?記憶いじる機械のせいか?」
「ッス」
カリンの話によれば、複数回記憶操作されたことで脳がかなり損傷していると、記憶操作装置を作った遠山静句本人から説明を受けたそうだ。
だから彼女は今、四六時中ひどい頭痛がしている。
傷みきった脳はもう手の施しようがなく、いずれ頭痛によって発狂死するとのことだ。
「シャッチョには言わねーの。お前のこと大好きだろあいつ」
「ユーキのことを忘れたとは言わせません」
「……そーすか」
と、その時である。
ホテル内に凄まじく大きな音が響き渡った。
おそらく非常時用のサイレンだ。
どこかで火災でも起きたのだろうか?
とりあえずサイレンの大元に向かおうと、ふたりは暗い廊下を駆け出した。
ーーーー
ーーーー
最近、夢を見ていない。
眠りが深いわけでもないのに、いい夢も悪い夢も何一つ見ない。
ちょうどクローバーと本当の意味で和解した頃から。
ルークは淫夢を見せることでぼくを呪っていたようだから、彼の呪縛が薄れたのか、或いは。
「チビ……チビ。起きよし」
浅い眠りのなか、優しく呼びかける声で目覚めた。
目を開ければそこには赤と緑の両目が覗き込んでいた。
ハイジおじいちゃんだ。
「あれぇ。おじいちゃん……閉じ込められたんじゃなかったっけ」
「ほっぺハートの姉ちゃんに出してもろたんや。ええから早よ起きィ。こっから出るで」
「??……うん」
事情がよく分からないけれども、とりあえずニルがおじいちゃんを地下室から出してあげたということは理解できた。
ニルは味方だ。彼女がしたことならば特に疑う必要はないのだろう。
そう思った。
なによりまだまだ眠気があって、あまりきちんと考えられなくて。
「おじいちゃん、ぼくのことおぶっていってくれるかぃ。脚に力が入らない」
「へいへい。ほなそのまま寝ときよし」
ハイジおじいちゃんがぼくを抱きかかえ、どこかに向かって走っていくのをぼんやり認知する。
大好きな花の香りに包まれて、安らぎを覚えつつもぼくは再び眠りに堕ちた。
ーーーー
ーーーー
一方その頃、急に鳴動しはじめた防災サイレンの大元に、一同が集合していた。
サイレンの原因となったのは、地下シェルター。
セキュリティ上、このシェルターには鍵が常にかかっていなければならない仕様だった。
それなのにシェルターが解錠したまましばらく放置されていたことにより、サイレンが鳴ったようだった。
「駄菓子屋の旦那さん……いなくなってる……ね」
「逃げ果せたらしいねィ」
シェルターの中には当然というかササガワハイジは居なかった。
「……おかしい」
クローバーが呟く。
「このシェルター、内側からは開かねェはずなんだが」
「確かにそうです……!このお部屋は一度閉めたら、外からしか開かないんです。私も間違って閉じ込められたことがあって……」
「めっちゃ不便ではありませんかー」
そんな不便なシェルター部屋が、開いている。
ということは、わざわざ誰かが外から扉を開けたのだ。
「誰があのジジイを逃がしたんだろうにゃー。なぁ静ちゃん」
不意にベルトが、何故か神父に話をふる。
不思議に思い一旦ベルトの顔を見遣る一同……だったが、彼は複雑な表情をしていた。
怒りと失望が混じったような、そんな表情を。
神父も同じ表情を浮かべていた。
「……逃がしたのはニルギリスでしょォ、多分」
「えっ」
何故そう思うのか、神父は投げやり感たっぷりに話した。
ニルがやらかした事。隠していた事。
それによって最終的に友人が死んだこと。
ほんの報復としてニルを焼き殺して、不死の身に堕としたと教えたこと。
「ニルさん……あの人まったく……」
仮にも上司であるカリンと、彼女を始めとした数人が額を押さえた。
「え、じゃあニルさん裏切ったってことです?不死の敵さんがまた増えたってことですか?」
「じゃのう。ますます勝ち目無くなってきよったわ」
「……?あれー?」
静句が急にきょろきょろしはじめた。
「ラスカルちゃんはどこなのですー?いないのです」
「え?」
そういえばそうだ。
裏切ったニルもそうだが、ラスカルまでここに居ない。
まさかハイジに連れていかれた?
ありえない話ではない……が、すぐにその線は消えた。
ラスカルのことだからただ寝てるだけだろうと。
「ッ……!!」
「あっ、クローバー副社長!?」
一目散にラスカルの部屋へ走っていくは、夫であるクローバー。
嫌な予感を覚えたクズ工場組も同じく全速力でラスカルの寝室へ向かった。
走りながらクローバーは願った。
そこに居てくれ、頼む、まだ何処にも行かないでくれ……と。
「ラスカル!!」
たどり着いた瞬間、雑に寝室の扉を開け放った。
広い部屋の片隅に設置された、クイーンサイズのベッド。
そこにラスカルの姿は無く。
代わりに一枚の紙が置かれており、こんな事が書き記されていた。
ーー『この子の旦那はオマエじゃない』
ーーーー
ーーーー
「ねぇ、何でラスカルまで連れて来たわけ?」
「あぁオレ八方美人やから」
「八方美人の使い方間違ってない?」
「ええねん。ほれ、此処や」
裏切り者のニルを伴ってハイジが向かったのは、植物園だった。
山岳地帯、クズ工場から程近い森の中にひっそりと存在していた植物園。
此処こそが、オズワルド陣営の根城ということらしい。
「親父ィ。お客さんやで」
植物園のメインであろうガラス張り、ドーム状の部屋に、オズワルドはいた。
水を張った猫足バスタブに、服を着たままで浸かっている。
植物園の中に猫足バスタブがあるのは少々不自然ではあるが。
いやそもそも、着衣したまま風呂に入っているのも不自然だが。
「んーー、だあれ」
気怠そうにしつつも普通に返事をするオズワルド。
ハイジが、ニルを前に押しやった。
ニルは少々警戒しつつも、オズワルドに近寄った。
「……オズ。私よ、ニルよ」
「あらまあ、久しぶりねェ」
オズワルドは、やはり普通に挨拶を返してくる。
そればかりか笑顔まで見せた。
オズワルドの状態はやはり、普通だ。どう見ても。
ニルはオズワルドの様子を改めて観察してみた。
首と体が分かれていた頃とは違ってアイマスクをしていない。
代わりに、露わになった目元には花が咲いていた。
神父から聞き及んでいた通りである。
「ねえ?そこで何やってんの、傍にいらっしゃいよ」
「はいはい。何、また恋バナしようとか言……」
ニルの言葉は最後まで紡がれることはなかった。
急に、オズワルドに腕を掴まれた。
かと思えば、その腕をほんの一瞬のうちに噛みちぎられた。
血飛沫に染まりこそすれども、痛みを感じる暇はなかった。
「おいしい……おいしいわァ。さすがクレオちゃんね、どこを食べても、何回食べても美味しいわァ」
「親父な?女見るとな、クレオと間違うて食ってしまうねん」
唖然としているニルに、ハイジは解説する。
オズワルドはクレオを自ら殺してからというもの、おかしくなってしまった。
理由は分からないが、女性が全部クレオに見えるらしい。
そして最悪なことに、クレオ……もとい女への嗜虐心は以前にも増している。
相手が女性であれば誰でも構わず。
本当の意味で『食って』しまうそうだ、今のように。
「うちの妹らもな、何人か食われてしもうたんやで」
ハイジの言葉は淡々としたものだったが、どこかが不自然な感じがした。
「……」
オズワルドを見てニルは考えていた。
同じではないが、一部似た事例を知っている。
ユーキだ。カリンの双子の妹。ニルが刺し殺した少女。
あの子もネグレクトに耐えかねて発狂し、挙句、他人を「両親」と勘違いしていた。
「ほな、後頼んだで」
抱えたままでいるラスカルをどこかへ運ぶべく、ハイジはそそくさとその場を後にした。
残されたニルは、改めて自分の腕が骨の髄まで味わわている現場を見据える。
「さてと……診察を始めましょうか?」
自らも不死のため早くも再生した右腕を数回ほど摩ると、彼女はオズワルドの手が届かない所に座った。
ーーーー
ーーーー
「……ん……?」
水に溶けていくような繊細な手つきで頭を撫でられる感覚に、ラスカルは目を覚ました。
「おぅ。おはようさん」
「……おはよう」
撫でていたのはハイジだった。
寝起きの頭ながら、自分の状況を確認すべく周囲を見る。
植物がとにかくたくさんある場所だった。
花畑のごときその部屋の、その中央にて設置されている不釣り合いなパイプベッドに、ラスカルは横たわっていた模様。
「どこだぃ、ここ」
「植物園や」
「そうかぃ植物園……なんでぼくが植物園に?」
「改めて結婚式しよ思うてな」
「そうかぃ結婚式……」
半分しりとりのように会話をしていたラスカルだったが、徐々に記憶が戻ってきた。
たしか、クローバーとの結婚式を済ませて自室で寝ていたんだったか。
そこでハイジに起こされて、此処に連れてこられたということ……でいいのだろうか。
「あれ、ニルは?ニルも一緒にここに遊びに来てるのかぃ」
「ああ、あの姉ちゃん寝返ったんや。せやから遊びに来た訳ちゃうで」
「寝返った?とは?」
「味方全部裏切ったんやっちゅうに。相変わらずぼけっとしたやっちゃなァ」
ラスカルは愕然とした。
裏切った?ニルが?何のために?
たしかに彼女は、彼女だけはオズワルドを殺すことに消極的だったような気もするが。
いまいち理解が及ばず混乱するラスカルに、ハイジは説明した。
ニルの『秘密』が、神父にバレてしまったことを。
「ニル〜〜〜……またあいつだったのかよもう」
ニルの馬鹿さ加減に素直に頭痛を覚えた。
と、ここでひとつ疑問がわく。
たったひとつ。それでいてシンプルな疑問だ。
「おじいちゃん、どうしてぼくまでここに居るんだぃ?」
「さっきも言うたやん」
苦笑いしつつ、ハイジは柔らかい笑みを浮かべてこう答えた。
「結婚式、もう一回、やるで」
ーーーー
ーーーー
ラスカルが消えた。
その事実は、ニルが裏切った事などよりも、よほどヨザクラ教の面々を騒がせた。
「何でだ……何であいつまでいなくなる」
凄まじい苛立ちを抑えるのに苦労しつつクローバーが低く唸る。
「ラスカルさんも、裏切ってしまわれたんでしょうか?」
「そりゃあねーべ。あいつの現在進行形の目的と合致しないもん」
ラスカルの目的は、夫・クローバーとともに余生を過ごすこと。
親しい者達の知る限り彼女の目的はそれだけだ。
急に裏切って逃げるとは考えにくい。というかありえない。
「攫われたってことッスか?」
「そういえばあのジジイ、どう見てもラスカルのこと気に入ってやがったよなァ。まさか手篭めにする気じゃ……」
「ありえん話ではないかもじゃが、それは多分違うのう」
オズの子きょうだいが一人、すなわちハイジの弟、ミフネが言及する。
「兄さんな、いつも言っとったよ。昔が懐かしいと。仲良しなルークとその嫁っ子眺めとるのがな」
「嫁っ子、って、ラスカルちゃんがなのですー?でも当時はまだほんの子供だったのでしょー」
「子供であっても恋人同士になる未来しか見えんかったそうじゃ。兄さん曰くじゃがの」
その話を聞いて納得しかないのはクローバーだ。
ルークとラスカルは存命であればおそらく、いや確実に恋人となりやがて結婚していただろうから。
「まさかと思いますが……ハイジの野郎、あのチビをルークと結婚させ直すつもりだったりしませんかァ……?
「どうやってだィ。ルークのやつァもうとっくに墓の下だろィ」
「……。……殺す気だ」
ベルトが呟いた。
「あのジジイ、ラス殺してルーク君と死後婚させる気だ」
ーーーー
ーーーー
「けっこん……?ぼく、結婚したばっかりだけど……ブルーノくんと」
「チェンジチェンジ。新郎の人選ミスっとるから」
大人の店のようなことを言うハイジ。
結婚式直後に結婚し直せとは、めちゃくちゃ理不尽かつ勝手だ。
「そもそも誰と結婚するんだぃ」
「ルークのほかに居らんやん」
「ルークはもうとっくに死んでるだろう」
「そんなん簡単に解決するやろ?」
ハイジはあくまで朗らかに、どうすればルークと結婚できるのかを告げた。
「オマエも死ねばええねん」
ラスカルは再び愕然とした。
目の前にて笑うハイジが、ほんとうに、あの昔馴染みの優しい「駄菓子屋の旦那」なのか分からない。
誰だ、この男は。
「きみ……ほんとに、ハイジおじいちゃん?」
「当たり前やん」
呆れたようなハイジは、どう見ても一昔前に出会った時と変わらず。
けれども、何かが決定的に違っている。
ササガワハイジを形成する何かひとつが、欠落しているのだ。
「おじいちゃん、何があったの」
「おん?」
「一体どうしちゃったんだぃ。おじいちゃん、他人に死ねばいいなんて言う人じゃなかったろ。そもそも『死に甘えるのが許せない』とも言ってたろう。ぐちゃぐちゃだよ、言ってることが。ねえ、この十年くらいで、何があったの」
真剣に、心から心配して、ラスカルは問いただした。
ハイジは何も答えなかった。
ただぐずる子供相手に困っているような顔をするだけ。
「……。ウェディングドレスはな、キレーなのもう用意してあんねん。明日、式挙げよか。仲人務めたるわ、オレ」
「おじいちゃん!真面目に……」
不意に襲い来る、視界がぐるりと歪む心地。
眠気……というには気持ち悪すぎるが、意識が強制的に無くなっていくのがわかる。
眠ったらダメだ。殺されてしまう。
ぼくは、まだ生きていると決めたんだ。
自分の意志で、最後まで生きると、命の限り生きると決めた……のに。
完全に意識が闇に堕ちる瞬間、誰かがぼくの名前を呼ぶ声が聞こえた。
懐かしい、愛おしい、彼の……
ーーーー
ーーーー
その頃、ホテルではラスカルの行方について論争が起きていた。
ハイジはラスカルとルークを結婚させようとしているかもしれない。
あろうことか、わざわざラスカルを殺して。
「あくまでそうかも、ってだけだろぉ?」
社長が茶々を入れる。
だが、今までのハイジの言動の端々を振り返れば確信に難くない。
おそらく彼はラスカルの決断が気に食わないのだ。
何故クローバーと結婚したのか、彼は可愛い弟たるルークを殺したのに、と不満をぶつけていたのがいい証拠だろう。
「冗談じゃねーよ。これ以上同僚減らされてたまりますかっつの」
「同感です。不死になったニルさんは放っといていいッスけど、ラッさんだけは取り戻すべきです」
「おいミフネと泥棒女。オズの野郎の根城は何処にあるか教えろ」
クローバーが凄むが、言われた兄妹は首を横に振る。
「わしらが知る限り、根城らしいものは無かったよ」
「そんな訳あるか」
「そんな訳あんだよぅボケナス。あたしらが向こうに与してた時はアジトも何もなかったんでィ。今は違うんだろうがなァ」
ラスカルを想う面々から舌打ちが漏れる。
「そうだ、静句さんなら探せる道具作れたりしませんか?探知機みたいな」
「できなくもありませんが、今この状況では無理なのですー。発明しようにも物資不足ですからー。カリンちゃんもそれが問題で発明難しいのでしょー?」
「……ッス」
つまり、打つ手がない。
地道に国中探し回ってもいいが時間がかかりすぎる。
絶望的状況である。
「時間、かかっても……探した方がいい……と思う」
「そうです!もしかしたらひょこっと見つかるかもしれませんよ」
「同感だがよぅ、さすがにもう夜遅せェから明日朝イチで探そうぜェ」
コノハナの言葉に、はっと時計を見て気付く。
全員起きてはいるものの、今は立派に深夜帯である。
「何時だろうと構わねェから俺は探しに行く」
「クローバー、落ち着きやがんなさい」
「結婚式挙げた当日に妻を攫われて落ち着けるわけがない」
「今出てったら敵の思う壺だと思わねーんですかァ馬鹿たれ。いいから黙って今夜は寝なさい。明日全員で捜索してやるから」
厳しい口調で窘める上司に、さすがにクローバーは口をつぐまざるを得ず。
その晩は、これにてひとまず全員解散となった。
だが、クローバーだけはその場から動けずにいた。
もう不安で気が気ではなかった。
とてもじゃないがこのまま寝入る気分にはなれない。
「おい」
項垂れるクローバー声をかける者がひとり。
ミフネだった。
「しっかりせぇよ、旦那様。あの子がそう簡単に死ぬと思うのか」
「……お前は他人事だからそんなことが言えるんだ」
「他人事とは言ってくれるのう。攫ったのはわしの馬鹿兄貴なんじゃが?」
ミフネは、やはりハイジという兄に嫌悪感があるのか語調に刺がある。
「気になってたんだが、お前も妹もあのジジイが嫌いなのかァ?」
「嫌いというかあの兄さんが気味悪いだけじゃ、わしは」
「気味が悪い?」
「わしは人心掌握術に長けておるつもりじゃが、ハイジ兄さんだけは何を考えておるのかさっぱりわからん。長らく接しとるが、不老不死ってことしか知らんしの」
仮にも兄弟なのにそんなことがあるのか。
いやあるのかもしれない。何せ彼らは数百人もいるきょうだいだから。
「不死でなければ何度殺していたことかのう……やれやれ」
「なんとかして殺す方法は無いのか。さすがに敵側が有利すぎてるだろォ」
「さてどうかの。じゃが、静句さんが言っとったよ。生者ならば、弱みは必ずある。そこを突きまくれば殺せない道理はない……とな」
それだけ言ってミフネは、クローバーの肩を軽くたたいて自室へ帰っていった。
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ーーーー
俺は父さんに似たって、神父さんが言っていた。
そうかもしれないな。
父さんがクレオさんを殺したみたいに、俺もラスカルをそうしたい。
一緒にいたいから。ラスカルもそれを望んでいると思ったから。
でもラスカルは変わった。
俺のことだけしか考えないでいるのはやめて、自分のことを自分できちんと考えられるようになった。
だから、俺はあいつに近寄れなくなってしまった。
夢で会うこともできなければ、触れることも話すことも、何もできない。
つまり、俺みたいな死人がつけ入る隙がないんだ。
すごいなあラスカルは。立派になったなあ。
そんな立派なラスカルが、もうすぐ殺されようとしてる。
駄菓子屋の旦那……あの人は壊れちまってる。
まるっきり全部ぶっ壊す気でいる。それくらい正気じゃないんだあの人は。
けどこのままいくと後悔するだろう。
俺も、旦那も、ラスカルも、皆が。
ラスカル……俺の大好きな女の子。
俺の、俺だけのものでいてほしかったひと。
なあ教えてくれ。
俺は、どうすればこれ以上後悔しないでいられる?
ーーーー
ーーーー
目が覚めたら朝だった。
一瞬だけ寝ぼけてのんびりしていたラスカルだけれども、周囲の光景を見てすぐに思い出した。
ここは植物園、敵の陣地。
さらには、もうすぐハイジに殺されそうだということを。
「起きたか?」
「うぅわッッッ」
すぐそばにハイジがいた。
ベッドの端にて腰掛けて、ずっとラスカルの寝姿を見つめていた様子。
いつから居たのだろう。シンプルに怖い。
「そんな露骨に驚かんといてや」
「だってぼくのこと殺す気なんだろう」
「死にとうないか?」
「死にたくないよ、これっぽっちも」
そう言い返すとハイジは嬉しそうに笑った。
「やっぱオマエはええ子やな。ほとんど昔と変わらへん」
ーーでも殺さなアカン。
ハイジはうっそり笑って、ラスカルに何かを差し出した。
丸薬のようだ。
「これ飲みィ」
「……なにこれ」
「安楽死するためのお薬や。眠るように逝けるねんで」
「だからっ……死にたくないって言ってるだろ!」
口元に丸薬をねじ込まれそうなのを、必死に拒もうと尽力するラスカル。
ラスカルよりも小柄だが、ハイジの力は見かけよりよほど強く。
完全に成人男性の腕力そのものだった。
ゆえにラスカルの抵抗は無意味なものとなる。
「ほれ、飲み込みよし。ええ子やから」
すぐさま吐き出そうとするも、口全体を手のひらで抑え込まれてしまう。
口内に留まる丸薬を意地でも飲み込まないようにと鼻だけで呼吸していたが、ハイジはラスカルの鼻を摘む。
呼吸ができない苦痛に耐えようとも思ったが、結局、飲み込んでしまった。
「吐いたらアカンさかい、しばらく口塞がせてや」
駄目押しと言わんばかりに猿轡を噛まされて、もはや万事休す。
終わった。自分は死ぬんだ。
絶望感に支配される。
なぜこんな事になったのかさっぱり分からない。
ハイジは、この男の目的は一体何なんだ。
涙ぐみつつ、恨みを込めた眼差しでハイジを睨みつける。
「そんな顔せんといてや……なんて言うても、無理っちゅうもんやろな。ほかの皆もそうやったし」
ほかの皆……というのはどういう意味かよく分からなかった。
けれどもハイジはやはり優しく話しかける。
まるで、愛する家族に対するそれだった。
「オレが何でこんな事しとるか、知りたいか?教えたろか」
知りたいに決まっている。
何故ぼくは殺されなければならないのか。
頷き「イエス」のサインを示せば、ハイジは語り出す。
「ルークを……オレの末の弟を、幸せにしてやりたいねん」
ルーク・ローレンス。オズの子きょうだいの末弟。
十一年前に殺された彼の最期は、それはそれは酷いものだった。
全身を順番に壊されていき最後は首をはねられて死んだ。
ハイジはルークを一番可愛がっていたゆえに、絶望もひとしおだった。
ルークはまだ子供だったうえに将来の夢もあったのに、こんな理不尽はないだろうと心底憤った。
これではあまりに不憫すぎる。
「でもルークにはオマエが居ったやろ?しゃあから、あの世でルークの花嫁になってやってほしいねん。幸せになって欲しいねん、オマエにもルークにも」
それだけがラスカルを殺す理由だ。
ハイジは、満面の笑みでそう締めくくった。
ラスカルは思わぬ理由を耳にして呆気にとられる。
ハイジはおそらく、大事な末弟を亡くしたことがきっかけで気が狂ってしまったのだ。
ただただ、惨たらしい死を迎えた弟を想い、案じていただけだったわけだ。
愛情をこじらせただけ。
……けれども、ラスカルには、まだもっと何か理由がある気がしていた。
ハイジの心がここまで壊れた理由が。
「っと。そろそろ効き目出る頃やろ。胃で溶けんの早いねん、このお薬」
言葉の通り、効果が発揮され始めている模様。
ラスカルは徐々に四肢の感覚が鈍くなりつつあるのを感じた。
やばい、やばいやばいやばい。
本当に死んでしまう。
心から焦って、とにかくここから逃げようとベッドから下りた。
……否、落ちた。
「ほれ、危ないで。もう脚に力入らへんのやろ」
やすやす抱き上げられ、再びベッドに戻された。
憎たらしいほどにふかふかなそのベッドの上にて、ラスカルは生涯を閉じざるを得ないらしい。
ーーなんだか、変な人生だったな。
少しずつ遠のく意識のなか、ラスカルは思う。
国の暗部の一族で女に生まれたからと虐待され。
拾われ、友人が死んで、監禁され。
便利屋やって、急に大人に成長して、結婚して。
そして現在進行形で、旧知のひとに殺されようとしている。
何も無い人生だと思っていたけれども、振り返るとなかなか曲がりくねった変な人生だ。
「あァ、せや。最期の言葉聞いとかな」
ずっと噛まされ続けていた猿轡を外された。
いまさら口が自由になったところで何にもなりはしない。
もはやラスカルに抵抗する力など残っていないから。
「さ、何か言い残すことは」
「……人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ……そう言ったのはどこの誰だったっけ。おじいちゃん」
「は?」
急におかしな事を聞かれたものだから、ハイジが呆けた顔をする。
「何や急に……チャップリンやろ?」
「そう……」
ラスカルは思う。否、考える。
夫たるクローバーと約束したとおり、自分自身のことを自分で考える。
自分の人生の最期をここで終えるのは、劇として面白いものだろうかと。
彼女の目的は「クローバーと余生を過ごすこと」と「仲間の喧騒に包まれて眠るように死んでいくこと」だ。
このままこんな事で死ぬのは目的に反する。
要は、この幕引きはつまらない。
「おじいちゃん……」
「ん。どないしたん」
「最後に、ぎゅってして欲しい」
「へいへい」
注文どおり、ラスカルを抱きしめるハイジ。
「……ッッ!!」
刹那、激痛を覚えた。
首だ。腕に抱いたラスカルの顔が埋まるように存在するそこ。
首筋に思いきり噛みつかれたのだ。
獣のごとくハイジの首を噛みちぎる。一度噛みちぎったら再度、また再度。
ハイジの腕の力が急激に弱まった。
今ハイジはラスカルのことより自分の首の損傷に意識がいっている。
そんな彼の隙をついて、ラスカルはその場から逃走した。
自分の人生劇場を、喜劇として終わらせるために。
ーーーー
ーーーー
一方その頃。
ホテルにいるヨザクラ教メンバーたちは、手分けしてラスカルを捜していた。
五つほどのグループに別れて、東西南北すべての地区を駆けずり回る。
だが見つからない。
ベルト、カリン、クローバーの三人組グループもまた、行き詰まっていた。
「地下監獄にも教会にもいなかったそうッス」
「オズが根城にしそうな所っていったら、あと何処よ?」
地下監獄はドーズが、教会はオズが住処としていた所。
そこに居ないとなればどこなのか?
全くもって見当もつかない。
ただでさえ荒廃しきった町並みに足をとられ、ヒントも無く、時間ばかりが過ぎていった。
「にしてもニルが敵に回るとはにゃー」
「それこそ予知できなかったのかァ?お前の専売特許だろうが」
「あんたこそ。愛しの嫁さんがピーチ姫状態にならねーように持ち歩いてりゃ良かったべや」
苛立ちのままに仲間割れに発展しかけており、まさに一触即発の空気である。
そんな男ふたりのメンチ切り合戦を尻目に、カリンは考えた。
オズワルド・ユジーヌ。
あの男は、たったひとりの女を殺害することが目的だった。
そのためだけに、あらゆる人間の余裕を失くさせた。
例えば、そう。カリンも巻き込まれた、社長拉致の件だ。
「……?あれ」
「どったの工場長」
「いえ……何か忘れてる気がするんです」
たしか、あのとき、カリンは静句によってどこかに呼び出された。
その場所は……たしか……植物園だった。
何故静句は監禁場所に植物園なんて選んだのだろう?
「……」
静句はコールドスリープから覚めたばかりの身だったはず。
どうやってあの植物園が、誰も近寄らない「犯罪現場」にふさわしい場だと知った?
……オズに、あそこが穴場だと教えられたのではないか?
「クロさん、ベルトさん。たぶん分かったッス」
「あ?」
「ラッさんの居所。植物園です」
「……新旧どっちの植物園だ」
「えっ、複数あるんスか」
土地勘が最もあるクローバーが言うには、植物園は新館旧館のふたつがあるという。
新館は繁華街のほう。旧館は森の奥に。
「カリンが行ったのは森の方でしたね。旧館ッス」
「ならお前らは新館へ行け。俺は旧館の方に行く」
そう言い放つとクローバーは返事もろくに聞かず全速力で走っていった。
残されたベルトとカリンも、アイコンタクトで「行こう」と意思疎通し、同じく駆けていったのだった。
ーーーー
ーーーー
深い深い森のなかを、ラスカルは逃げる。
飲んでしまった薬のせいで上手く動かない脚で、必死に、懸命に前に進む。
荒い呼吸を漏らしつつ、まず今いる場所がどこかを考えた。
植物園は森の中に存在していた。
こんな広い森があるのは、この国では北の山岳地方のみだったはず。
ということは、クズ工場がある場所まで程近いということ。
工場まで逃げれば、あとはきっと何とかなる。
「……!」
前方に、光が見えた。
見渡す限り木々しか無かったが、ようやく森を抜け出れたようだ。
ほっとしかけたその矢先。
「ッ……!!」
発砲音が聞こえ、片脚に激痛が走った。
倒れこんだラスカルの少し遠くから、話しかける声がした。
「いけない子やなァ、急に獣みたァなことしよって。ジジイびっくりしてもうたやん。なァチビ」
ハイジが、早々に回復して追いついてきた様である。
ライフル銃を担いでいるあたり、それでラスカルの脚を撃ち抜いたのだろう。
容赦のないことである。
脚をやられた。もう走れないことは確実。
それでも、ラスカルはみっともなく這いつくばって、なおも逃げ切ろうとする。
「チビ。なぁ、ちょいオレの話聞いてぇな。これ以上痛いの嫌やろ?」
「……死なずに済むなら聞くよ」
「そら無理や。オマエは絶対殺す」
ハイジは頑として譲らないが、それはラスカルとて同じこと。
薬を飲んだ以上、どの道放っておいてもラスカルは死ぬ確率が限りなく高い。
だからハイジは悠々とした足取りで、逃げるラスカルの後をついていくばかり。
「ルークのこと幸せにしたくないんか?きっと待ってんで?ずっとずっと」
「だからってぼくを殺していいわけないだろ!?死にたくないって言ってるのに、ぼくの意志はどうなるんだよ!」
「そこなんよなぁ、オマエが他と違てるんは。難儀やわァ」
また妙な事を言った。
まるで他の誰か大勢を、ハイジが善意で殺してやった。……みたいな言い方だ。
「おじいちゃん、人を殺したことがあるのかぃ」
「あぁ、きょうだいをな」
「えっ?」
きょうだい?ハイジの?
オズの落し子たちを、自分自身の兄弟姉妹を、手にかけたというのか?
「ざっと百人ちょいは殺したったかもしれんわ」
あいつら皆な、自分は不幸だから死にたい言うんや。
オレなぁ、そんなん言ったらアカン言うたんや。
オレに甘えるんはええけど、死ぬことに甘えたらアカンて。
何度も何度も、何人にでも言ったんや。
せやけどそれでも死にたがるねん。
だからオレが殺したろ思てな、全員。
「それが兄貴としてできる最後の世話焼きや」
ハイジは淡々と、事務的にそう語った。
それを聞いてラスカルは、解った気がした。
ただただ純粋に弟とその友達を大切にしていただけの人が、優しい『駄菓子屋の旦那』がなぜここまで歪んでしまったのかを。
一雫、涙がこぼれて頬が濡れたのを感じた。
理由は脚の痛みのせいか、死の恐怖からか、はたまた。
それより、もうそろそろ意識を保てるのも限界だった。
もう目もよく見えない。
だめだ、もう、ねむい。ねむりたい。
「寝ちゃダメだよ」
「……え、」
久しく聞いてなかった声に、咎められた。
ルークの声だと認識した刹那。
ふかふかの芝生に這いつくばっているラスカルを、誰かが抱き上げる感覚。
「ラスカル!!」
ごつごつとした、そう細くもない男の腕。
低くて暗いトーンの声も今ばかりは大きくて感情がこもっている。
クローバーだ。
必死で走ってきたのだろう、クローバーは息が切れていた。
一方で、せっかく獲物を追い詰めたところだったのにこんなタイミングで見つかったのが気に入らず、ハイジが舌打ちした。
「青二才の小僧やん。何で此処がわかったんや」
「テメェ……俺の妻に何をした?」
「質問を質問で返すなやボケ」
再びハイジがライフル銃を向ける。
しかしクローバーは果敢にも大股で近づき、ハイジの足元をすくうように蹴った。
足払いというやつだ。
ハイジがバランスを崩しすっ転ぶ。
その隙にクローバーはラスカルを抱えて逃走した。
「待てや小僧ォ!!!」
怒声が響く様をクローバーは鼻で笑った。
ひとまずラスカルの身柄は確保出来た。
あとはこのままハイジから逃げ切るだけだ。
今クローバーは武器を持ち合わせていないから、そこが懸念点ではあるが。
ふとラスカルの様子を伺うと、彼女が静かに泣いているのに気付いた。
「どうした」
「……疲れちゃったんだ」
「あ?」
「おじいちゃん、似てるよ……きみと……可哀想」
上手く頭が回っていないのか少々断片的に訴えかけてくるラスカル。
なにが言いたいのだろう。
「ッ……!!」
ちょうど足場の悪い斜面差し掛かった時だ。
クローバーの肩に痛みが走った。
ハイジが狙撃したのだ。
さして間を置かず背中にもう一発被弾し、クローバーは痛みで崩れ落ちる。
斜面でそうなったものだからごろごろと転げ落ちてしまう。
だがラスカルだけは徹底して体を張って護った。
「小僧ォ〜〜。出てきィ。今ならジジイ許したるでェ」
向こうは被弾したことを確信しているようで、坂の上からそんな事を言ってくる。
何が今なら許すだ、今にも撃つ気だろうが嘘つきめ。
心中悪態をつくのもそこそこに、クローバーは思考を巡らせる。
おそらくラスカルにはもう時間がない。
一刻も早く、解毒できそうなものを静句に作らせるべきだ。
そのためにもこの場を切り抜けなければならない。
が、ハイジから身を守れるくらいの障壁になるようなものは辺りには無い。
「……」
迎え撃つしかない。
丸腰でもなんでも構わない、ただの時間稼ぎにしかならずとも。
なんでもいいからラスカルを助けたかった。
幾度かの深呼吸のあと、クローバーはラスカルをその場に寝かせて、ひとりで坂の上に登っていった。
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「あーあ、やっぱりこうなったねぇ?まったく馬鹿な兄貴だよね?」
桜の木が立ち並ぶだだっ広い場所で、ラスカルはまず最初にそんな声を聞いた。
あれだけつらかった感覚がない。体が痛くないし眠くもなくなっていた。不思議だ。
いつの間にか、周りの風景が変わっていたのも不思議だったけれど。
「やぁ、弟嫁のお嬢ちゃん?此方側へようこそ?」
また声がしたから視線を向ければ、小柄な女がいた。
大正ロマン風の服に、サングラスをかけている女。
「弟嫁?って?」
「ああ、私もオズの落し子のひとりでさ?櫻子っていうんだよね?」
「じゃあルークのお姉さん?」
「そう、あんたを呪った馬鹿な弟のね?」
櫻子が少し目を細め、ラスカルの背後を見つめた。
何かと思って振り向けば、懐かしい姿があった。
黄色いロングコートを着た、野暮ったい眼鏡の少年。
「ルーク……」
「……ラスカル、あの、久しぶり」
嬉しそうとは言い難い様子でルークは目も合わせない。
その理由をわかってはいるラスカルだから、あえて彼女もそこまで嬉しそうにはしなかった。
「やあ。どうしたんだぃ、ずいぶん普通だね。怨霊になったって聞いたけど」
「……あ、の……ッごめん!!」
ルークが土下座した。
「ごめん、本当にごめんなさい!ラスカルを縛って呪って、変なことまでして、ごめんなさい!!」
「この子ね、反省したいんだってよ?あんたみたいにね?」
「ぼくみたいにって」
ルークは死人ながら、生者同然に思い悩み考え続けたという。
彼はラスカルへのあまりある情念から怨霊に堕ちて、彼女を呪った。
しかしラスカルは変わった。
己の行いを省み、成長して、生者らしく前に進んだ。
はじめのうちはラスカルが離れていく事にばかり辛さを感じていたが、いざラスカルが死に瀕したら、急激に恐ろしくなってしまったという。
オズワルドと同じただのクズ男のままの自分なんかを、ラスカルは変わらず愛してくれるのか、とか。
「チキンだなあ」
「はい……チキンです……本当にすみません」
地面に頭を擦り付けているルークに苦笑いするラスカル。
「心から謝るから、向こう側に戻ってほしい」
「えっ」
「頼む……ラスカルにまだ生きててほしいんだよぉ……生きて幸せになってほしい……」
「私もそう思うよ?まあ無理だと思うけどね?」
櫻子はしれっと言い放った。
ラスカル自身も、櫻子の言う通りだろうと確信していた。
「ハイジ兄さんの飲ませた薬は、とっくにあんたの体中に回っちまったからね?どの道もう助からないのは確実だね?」
ラスカルは表情を曇らせつつ、頷く。
ぼくの人生はもう終わりか。ここで、こんな中途半端なところで。
喜劇どころか悲劇にもなりやしない。
「それでも戻ってほしいんだよ」
ルークが土下座したまま、強い語調で告げた。
ゆるゆる持ち上がった彼の顔は、ひどく神妙な風だった。
「クローバーが危ないんだ。ラスカルを助けるために駄菓子屋の旦那と一騎打ちしようとしてるけど、きっとあいつは勝てずに死んじまう」
「……ブルーノくんが、死ぬ……?」
「俺は友達を散々不幸にしてきた。ラスカルは申し訳ないけどもうダメだ、でもクローバーにまで死んで欲しくない」
同感だと思った。
クローバーには、今まで誠実に支えてくれた恩がある。
否、恩などという損得勘定抜きで考えても、彼のことが大切だ。
絶対にこんなところで死んで欲しくない。
彼にはまだ幸せになる選択肢が残っているはずだ。
「で、ものは相談なんだけどね、お嬢ちゃん……私達に力を貸してくれないかい?」
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坂の上の草原が広がった場所にて、クローバーは倒れ伏していた。
元々が暗い色合いの服を着ていてもわかるほど、彼は血みどろだった。
虫の息でいるクローバーに対し、ハイジは余裕綽々でライフル銃の弾をこめている。
「おう、このへんで終いか?」
「……クソジジイ、お前……何したらくたばるんだァ……?」
「せやから不死や言うたやんけ。何したって死なへんの、わからへんのかな?」
せせら笑うとハイジは再びライフルを向けて、クローバーの右腕を撃ち抜いた。
脊髄反射で右腕が痙攣するように跳ねたが、当の本人にはすでに撃たれた痛みすら感じることができなかった。損傷し過ぎたのだ。
「あーー、やあっとこの時が来たわァ。オレずーっとオマエのこと殺したかってん。こうされて当然やんな、オマエは」
可愛い弟のすべてを奪った憎い男。
いわば仇を、今いたぶり殺そうとしている。
恍惚もそこそこに、ハイジは、とどめを刺すべくクローバーへ銃口を向けた。
狙うはもちろん、頭。
「ほな、さいなら」
銃声が響いた。
「ッ!!」
しかし、銃弾がクローバーに届くことはなかった。
撃ち放たれた弾は、あろうことか跳ね返りハイジの右目に当たった。
不死ながら一丁前に感じる痛みに、局部を覆う。
なにが起こったのか?確認するために前を向けば……浮かんでいる無数のシャボン玉。
そして。
「チビ……?」
ラスカルが、シャボン玉棒を杖がわりにそこに立っていた。
何故立っている。何故動ける。
薬と銃創のせいで、動くこともままならないほどの状態のはずだ。
どうして。
「チビッ……オマエ……」
「よう、駄菓子屋の旦那」
懐かしい声がラスカルの口から発せられた。
可愛い可愛い末弟の声が。
ハイジは更なるラスカルの異変に気付く。
眼が、ラスカルのものではなくなっていた。
ラスカルの眼は曇り空のような、くすんだ色のはず。
だがしかし、今は青い。
深い海のような、オズの落し子きょうだい達と同じ眼。
「ルークか……?」
返事の代わりに微笑みを返された。
「……久しぶりやなぁ……ちょお待っとってや。今そいつ地獄に落として、チビも殺したるさかい」
「旦那、俺もラスカルもそんな事望んでないよ」
「望んでないはずないやろ、そのクズがオマエから全部取り上げたんやで」
「そんな事ないよ」
「嘘や!!」
ハイジが半狂乱でライフル銃を構える。
対してラスカルの姿をしたルークが、シャボン玉棒を操作しハイジの視界をくらませ妨害する。
ラスカルのシャボン玉は、銃弾を跳ね返す特性を持つ。
ハイジは撃つに撃てない状況である。
「……ッ!!」
ルークが、シャボン玉の隙間を掻い潜って近付く。
どうすべきかハイジが迷っている間にも、ルークは目と鼻の先までたどり着いていた。
おもむろに首に向かって両腕を伸ばしてくるので、身構えるハイジ。
だが。
「……は」
ルークはべつに、攻撃など一切してこなかった。
ただ、包み込むように、ハイジの身体を抱きしめた。
「ハイジおじいちゃん……」
声がラスカルのものに戻った。
「だいじょうぶ……ぼくら、ぜんぜん怒ってないよ……だから、」
何事か、耳元で囁かれた言葉に、ハイジは思いきり目を見張る。
と。
糸が切れたようにラスカルは、ハイジの足元に崩れ落ちた。
呆然と立ち尽くすハイジ。
「ラスカル!!」
まだいくらか残るシャボン玉の向こうにクローバーが這い寄ってくるのが見えて、ハイジは一旦退散すべく逃走していった。
「ラスカル……ッ」
あまり感覚がない四肢を無理に動かして、クローバーは妻のもとへ這いつくばっていく。
ようやく見下ろせる距離まで近づいたはいいが、ラスカルはもう手遅れだった。
虫の息ながら苦痛すら感じていないのだろう、安らかな表情で宙を見ている。
「……ラスカル」
「……やぁ、旦那様……無事?」
夫婦は静かに言葉を交わす。
「ブルーノくん……ぼく、ちゃんと全部……自分で選んで動いたよ……きみと約束したことも、ちゃんと……まもったぜ」
「……あァ、見てた。よくやった。本当によくやったな」
損傷しすぎて動かない腕では、もはや抱きしめてやることもできない。
そのうえラスカルは目も見えていないから、せめて彼女が唯一認識できる聴覚……つまり声に心を込めた。
一片の涙声も混じらぬように。ひたすら穏やかに。
「ハイジおじいちゃん……もう行っちゃった?」
「そうだな、もういない」
「……ブルーノくん……おじいちゃんのこと、憎まないで、あげてね……あのひと、ちょっと疲れちゃった……だけだから。ルークと櫻子さんも、怒ってないよ……って言ってた、から」
「そうか、わかった」
ラスカルの瞼が、徐々に閉じていく。
力尽きようとしている。
クローバーは焦った。看取るのが自分である以上、最良の死に様を迎えさせてやりたい。
何かないか、ラスカルが喜ぶような何かは。
ーーぼくねぇ、仲間の喧騒に囲まれて眠るように死ぬことが理想の最期なんだよね
「……!」
脳裏に過ぎった、かつてラスカル自身が語っていた理想の最期。
そうか、仲間に囲まれるのが望みか……ならばそれを叶えてやろう。
クローバーは咳払いをすると、おもむろに口を開いて喋り始めた。
「よぅ、あらいぐま」
ラスカルの瞼が、目一杯に開かれた。
「キース……?そこにいるのかぃ?」
「おにーさんもいるぞぅ」
「工場長もここに御座しますよ」
「ベルト……カリン、ちゃん……?」
ラスカルが驚く。
その場には、ラスカルとクローバーしかいない。
クローバーが声を真似ているのだ。
ずいぶん前にラスカルにも試しに聞かせてやったことがあった。
彼女は、そのことを覚えているだろうか?
上手く騙されてくれるだろうか?
「なーによラッスー。おねむの時間なわけ?」
「僕たちが子守唄でも歌ってやろうか」
「キースさんが歌うとヘドバン付き滅びの歌になるんでやめてください」
「……ふふ……にぎやかだ、ね……」
再びラスカルの瞼が閉じていく。
「ありがと……クロー……バー……」
完全に瞼が閉じきったと同時に、ラスカルは息をしなくなった。
「……声真似はバレてたか。やっぱり」
クローバーはつぶやく。
ラスカルときたら、いつも眠気を催していたくせに死ぬ時まで眠るのと同然とは。
誰かが聞けば呆れるかもしれない。
しかしその死に顔は、とても幸せそうで、すべてをやり切った解放感に満ちた笑顔だった。