短編集

1.

2.

3.


じゃれ合い(ニル、クレオ)

食事処で遅めの昼食をとった。

本日のメニューは比較的軽め、メガ盛りソース焼きそばを4皿。カロリーに換算すると2万とちょっとだろう。

しかし最近は歳のせいか、肉がついてきたような。ある程度膨れた腹部を撫でるにつけ思う。

消費するエネルギーを考えれば少食な方だが。


「うっわ」

「あ」


店から出たところで知った顔に出くわす。

ハートマークの化粧を頬に施しているのが特徴的な、嫌われ者たる私を特段嫌う知り合いだ。

 

「あんたこんな所でなにやってんの?」

「食事処に食事以外の用向きがあると思うか」

「あ、そ。私ならもっといい所で食べるけど」

「君もここでよく食べるのだろう」

「食べないわよ。誰がこんな寂れたところで」

「先日、君がここで食い逃げの後逃走した現場を目撃したんだが」

 

事実を述べたところ彼女は硬直した。

顔を赤くして、数拍ほど目を泳がせたがまた口を開く。


「そうだったかしら。忘れたわね。ところであんた何食べたわけ」

「焼きそばメガ盛り」

「はっ、仮にも女子がメガ盛りとかないわ。鏡みてみなさいよ、顔が臨月みたいじゃないの」

「顔?腹ではなく?」

 

また硬直する。今度はほんのりではなく、トマトのごとく赤い。

さぞ血圧も脈拍数もうなぎ登りな事だろう。

何か言い返そうと必死なのが手に取るようにわかる。


「痛っ」


握り拳を肩の辺りに叩き込まれる。

どうするのかと思ったら、八つ当たり。しかも猫パンチの真似事とは。


「君な、口喧嘩が弱いのが露呈した上に恥ずかしかったからといって、八つ当たりは……」

「うるさいっ。お腹の子は誰の子よ馬鹿っ」


こういう手合いはよくいるが、彼女は一等面倒くさい。

逃げても追いかけてくるだろうし。

ため息をつきながらもされるがままでいた。


「あぁ、もう少し上……肩あたりに頼む。凝り固まっているんだ」

「肩たたきと勘違いしてんじゃないわよ!」

父親(静、クローバー、ルーク、ラスカル)

「神父さん神父さん、頭なでて!」


急に放たれた一言に、元々開き気味の口がさらに開いた。

教会に飛び込んで来たかと思えば三人の子供達はそう要求してきたが、なんなのか。

怪訝さを隠そうともせず、吸っていた煙草の煙を子供達に吐き出す。

大抵そうすれば「副流煙だ!逃げろ!バカが移る!」と、きゃあきゃあ騒ぎながらどこかへ行くのだが今日は違った。

 

「ねー、撫でてくれってばぁ」

「くれってばー」

「……理由は?30文字以内で述べなさい」

「俺達、親がいないから親の愛に飢えてるんだよ。だから撫でて?」

 

子供達三人のうち二人は孤児である。

残る一人は親に捨てられた。

だから父親の愛を知らない、ので一応父親適齢たるこの男に頭を撫でられたいと。

擬似親子体験という訳だ。


「……はぁーーー。後で買い物頼みますからねェ」

「やった!」 

「頭を垂れなさい」

 

 

ーーーー

「どーでしたァ?」

 

一通り撫でてやり、示された反応を窺う。

見事に全員微妙な顔だ。

 

「なんか、ちがう」

「父親ってのはこんなにヤニ臭い上に冷えた手でぐしゃぐしゃ撫でるもんなのか」

「撫で方もあんまり好きじゃないなぁ」

「お前ら『父親』に夢見すぎですよ。俺なんかまだだいぶいい方です。一般的な父親は帰宅時と休日以外はガキなんか構わないですからね」

 

子供達は顔を見合わせ、しゅんとした顔をする。

が、すぐにぱっと顔を明るくさせて言うのだ。

 

「じゃあお母さんになって」


今度はお母さんと来た。

何をせよと言うのか。炊事洗濯でもしろと?

軽い気持ちで話を繋げば、子供達は。

 

「とりあえずおっぱい飲みたいんだけど神父さん、母乳出る?」

 

全力で走って逃げた。

ホテル街にて(クローバー、ラスカル)

深夜のホテル街。

時間も時間なら場所の場所、当然身を寄せ合い歩く男女だらけだ。

そんな道の端にて、あまりこの場に似つかわしくない女が立っている。

だらっと長い三つ編みと、やたら小柄な体躯の女だった。

女は、ただそこでぼーっとしているようにも、何かを待っているようにも見えた。


前述の通り、ここは深夜のホテル街である。

女がひとりでいれば、普通に考えて危ないだろう。

しかし彼女は無事に帰宅できる可能性が高い。

何故か。



「おい、あんぱん食うか」



すぐ隣に、長身の幽霊面男がゆらりと佇んでいるせいだ。



「何であんぱんなんか持ってるんだぃ」

「さっき買っといた。牛乳もあるが」

「昭和の刑事ドラマかよ」



この二人はいったい何をしているのか?

答えはいたってシンプル。便利屋たる彼女の、仕事。内容は浮気調査だ。

だから、現在進行形でホテル街にて張り込み中というわけ。男は、その付き添いだ。



「クローバー、もう帰ったらどうだぃ」

「お前が帰るならなァ」

「帰れないよ。仕事だから。でもきみは違うだろう」

「気にしなくていい。俺のは趣味だ。それにお前の場合、ほっとけばどこでも熟睡しやがるから放置できねェ」



たしかに、と思わされた。実際今にも眠ってしまいそうだから。

……だが、そう見えないよう努めて、彼女はこう言った。



「じゃあ買い出し頼みたいんだけど」

「買い出しだァ?」

「おでんの、つゆのみ。つゆだくで」

「つゆ三昧じゃねェか。実質買ってないのと同義だろォ」

「具はきみの好きなもの買っていいから。ほれ、行っといで」



大した厚みのないがま口財布を押し付ければ、男は渋々ながらその場を離れた。

張りつめていた気が緩んだのを、彼女は感じた。




ーーーーーー

目を開けた瞬間飛び込んできた光景に、彼女は唖然とする。

いつの間にか、眼前に広がる景色がすっかり変わっていた。

どうやら、結局彼女は眠りに落ちてしまった様子。

けれども彼女が驚いたのはそこではない。



「……え」



辺り一面、血の海だった。

何故か。それは街ゆくチンピラらしき青年だろう人物の顔面を、原型を留めぬまでに殴りつける……己の連れの仕業に他ならない。

と、その時。男がこちらを振り向く。目が合った。



「……目が覚めたか」



低く暗いながら、どこか安堵したような声。

おそらく事切れているだろう顔面崩壊青年を無造作に放り、男は近付く。

女はというと、過呼吸寸前になるまで怯えていた。

男は立ち止まらざるを得なかった。


しばしの沈黙のあと、男は何を思ったかポケットからスマートフォンを取り出し操作し始める。

おそらく、誰かに連絡を取っていると思われるが。



「……すまない」

「え……」

「今迎えを呼んだ。少しだけ待て。俺は……そいつが来たらすぐ帰る」



そしてもう一度、男は謝罪した。

なぜ謝るのだろうと、女は考えるべく改めて状況を把握してみる。

死体の数は2,3体。全員が半裸だった。

彼女は、今の今まで眠っていた。要は意識がなかったわけだ。

こんな場所で女が無防備に眠っていれば、何が起きるか?



「クロ、もしかして、助けてくれたの……?」



つっかえながらも聞けば、男はバツが悪そうに視線を逸らす。

やがてぼそりと、独り言のような声量で言った。



「でもお前は結局怖がった」

「おーぅ、お疲れおふたりさん。おにーさんが迎えに来てやったぞぅ」



と、ちょうどその時彼女の同僚が到着した。

腰が抜けて立てない彼女を米俵のごとく担ぎ、早々に引き上げようとする。

しかしその前に、女は言いたいことがひとつあった。

沈んだ顔で見送る男に向けて、彼女は言葉をかける。



「クローバーっ。あの……ありがとう、ござい、ます」



依然としてどもりながらも言いたいことは言えた。

担がれたままで、女は遠ざかる彼の顔を見ていた。

暗がりにいるせいで表情は分からない。

けれど、悲しんでいる風には思えなかった。

映画鑑賞(工場メンバーズ)

みんなで映画鑑賞していた。


「この映画、懐かしいですね」

 

リビングにみんなで集まって、テレビに見入っているとカリンがぽつりと言う。


「懐かしい?これが?」

「ええ、妹と一緒に観てました」

 

最近死んだ人物の話を持ち出され、部屋の雰囲気が若干暗くなる。

思い出話だと流すにはまだ時間が経ちきっていないから。

 

「あ、あぁ!考察とかしてたのね?この映画よく分からないもんね」

「いえ。挨拶の作法を教えるために」

「挨拶??」

  

彼女の妹は、親に正しい愛情を受けなかった子だ。

当然、まともなしつけの類も施されていないだろう。

それを姉が映画鑑賞で補っていたと。

それはいいのだが。

 

「え、でもこの映画……」

「あ、ほら見てください」

 

カリンが画面を指さす。

画面には、主役である一家の父親が映っていた。

発狂して暴れ回る父親から逃げ回る妻と息子。

そんなふたりの閉じこもった部屋のドアを斧で叩き割り、裂け目から顔を出して父親は言うのだ。

 

『ウェンディただいま』


ーーーーーー

「この挨拶、いいと思いませんか」

「え??どこが?狂気の最骨頂じゃん」

「いい笑顔で、ハキハキした声で、名前を呼んで。素晴らしい挨拶でしょ」

「……は、はあ」

「だからうちの妹にも言ってたんです。挨拶するならこんな風にって」

「え、じゃあ、妹さん、いちいち斧でドア叩き割ってたわけ?嘘でしょ?」

「いいえ、マジですけど」


一同はドン引きしていた。

双子はこのホラー映画から、必要なようで不要な事を学んだようだった。


「皆さんも良ければ、今から挨拶はこういう風にしませんか」

「拒否でお願いします」

「じゃあカリンだけでもやります」

「やめて」

くくる(クローバー、ルーク)

楽しい時間はなぜ早く過ぎ去るのか。

好物ばかりが並ぶ夕食時然り、友達と遊んでいる時然り。

いつだか観た映画でも言っていたが、こういうのを相対性理論と言うそうだ。

でも、暗い夜道を歩く時は……例外だよなぁ。

 

「ごちゃごちゃ言ってねェで早く進め」

「やだ」

「進めっつってんだ」

「やだ!」

「それでも男か」

「男とか女とか関係無くない!?」


街灯一つない真っ暗な道の真ん中にて、俺達は口論していた。

正確に言うと、俺がぐずってるのをクローバーが宥めようとしてるだけなんだけども。

時間は0時。ガッツリ真夜中だ。何でこんな時間まで外にいるのか?

それは俺が学校に忘れものをしたのを、日付が変わる寸前に気付いたから。


「何で俺までついて行かなきゃならねェ」

「だってえええええ!!怖いんだもん一人じゃ!夜の学校とか絶対お化け出るじゃん!」

「出てたまるか、しゃんとしやがれ」

 

ついにイライラし始めるクローバー。

突然コートの襟をひっ掴まれ、かと思えば俺を引きずるように歩き出した。

首が苦しい。あと暗いとこ怖い。


「ルーク。よく聞け」

「ふぇ?」

「男ならこういう時は首くくれ。人間首くくれば何でもできる」

「わかってるよぉ、首くく…………」

 

ん???首?くくるのは腹、じゃないのか?

クローバーの奴、言い間違えたのか?

いやクローバーのことだからイライラして本当に首くくって死ねって言いたかったのかも。

でも友達に対してそんなあんまりなこと言うか?


「…………」

 

え、ちょっとまって。

どっちの意味合いなのか気になって全然暗闇どころじゃなくなってきた。

聞こうか聞くまいか。ううん。

 

……結局、聞くに聞けないまま。

くくるなら首なのか腹なのかの謎は、迷宮入りになった。

𓏸𓏸い話(社長、静)

眠れない。原因ならわかっている。

日中、仕事をサボり散らして惰眠をむさぼりすぎた影響だ。

勘弁しろ、明日こそは真面目に働いてやらんでもないから、と上から目線に睡魔を求める。が、一向に眠気は訪れず。


「眠れない夜に怖い話をひとつ、いかがですか」

 

そんな時だ。枕元に気だるげな黒い影が立ったのは。

 

「……急に出てくんなし」

「ビビっていただけましたァ?」

「別に。で、なに。怖い話?」

「ええ。聞きます?」

「お前この時間に怪談とか罰ゲームだろぉ。消えろ帰れ散れ」

「あれはそう、5月頃のことです」

「あれれぇお耳が遠くていらっしゃるのかなぁ」

 

勝手に語り始めるので、仕方ないから聞いてやることにした。

春も終盤にさしかかり暑くなり始めた時期。

彼は自宅に、謎の虫が出現することに気付く。

季節柄だ、致し方ないと割り切って無視していた。虫だけに。

しかし。日を追う事に虫は増えていき、終いには壁中を大量に這い回っている様を目撃してしまう。

すぐにバルサンを焚いた。

するとやはりと言うべきか、虫達はいなくなった。

炊いたあとはいざ後片付けである。

彼は虫がもっとも集っていた収納棚を開けた。

 

「したらねェ……何があったと思います?」

「……」

「とんでもねー量の死骸が、そこにあったんですよォ……なんか、いつ食ったかも分からないポッキーに集ってたみたいで。いやぁ食べ残しはとっといちゃいけませんねェ……」

「いやそれ怖い話じゃなくて、キモい話じゃねぇか」


とある夜に訪れた、だらしない男の話。

突撃訪問(ドーズ、静、クレオ)

「ドーズの部屋を見に行こう、静」

 

 

嵐のようにやって来た友人を迎え入れれば、急にそんな誘いを受けた。

とりあえず、その名で呼ぶのをやめるよう諭してみた。

安直に本名を呼ばれたくないのと、話題を逸らそうと試みるためだ。

 

 

「あぁ失敬。で、どうする」

「何がです」

「ドーズの部屋に行くか?」


 

作戦大失敗。クレオの意志は固すぎた。

なぜドーズの部屋に侵入したがるか、理由は解っている。

ドーズは滅多に自分のプライベートを明かさない。

そこが彼女は嫌なのだ。観察狂ゆえに、未知があるのが不満なのだろう。

 

 

「あいつ一応野郎ですけど」

「そうだな」

「野郎の部屋に、女がひとりで行くってどうなんですかねェ……」

「だからお前を誘ったんだろう」

 

 

あっさりした口ぶりでクレオは返した。

なるほど俺はもしもの時の壁代わりですか、ぶっ飛ばしますよ。

 

ーーーーーー 

その後、結局のところ押し負けて同伴を認可してしまった。

ドーズの部屋は、変なところにあった。

隠し扉という扉をくぐりぬけ、ようやっとそれらしき部屋を見つけ出す。

 


「なんだ此処は、忍者屋敷か何かか?」

「どんだけ自分の部屋見つけてほしくないんですかァ、あいつ……」

 


さすがに歳を感じざるを得ない距離だったが、目的地にはたどり着いた。

これであとはクレオの気が済むまで部屋を見せるだけだ。

特に仕掛けのなさそうなちっぽけなドアを、クレオが押し開ける。



「きゃっ」

「あ、悪い」

 

 

速やかにドアを閉めた。

ドアの向こうから感じる気配をよそに、二人で顔を見合わせた。  

中には、人がいた。首から上が無いモッズコートの男が。

とどのつまり部屋の主、ドーズが在室だったわけだが、問題はそこじゃなく。

 

 

「……ドーズだったよな?」

「えぇ」

「紙袋、作ってたよな?手内職してたよな」

「はい」


 

部屋の中では、ドーズが紙袋を作っていた。

いつも被っている……というか乗せている紙袋を。

ただ、今作成中の紙袋にはいつもと違う点がひとつ。

戸惑っていたら、ドアが開いた。


 

「貴様らァ!!何をしてる!なぜここにいる!!」

 

 

声をひきつらせたドーズが出現。

慌てていたようで被った紙袋もくしゃっとしている。

 

 

「ご機嫌ようドーズ」

「あぁご機嫌よう!ではなく!何の用だ!!」

「遊びに来た。いや何、お前の部屋は見た事がないとふと思ったものでな」

「疾く帰れ!!チューチュートレインで轢き殺すぞ!」

 

 

こいつに顔が存在するならばきっと真っ赤だったろう。

別に帰ってもいいが、その前にひとつだけ疑問を解消したかった。

クレオも同じだったようで、ドーズのキレ散らかしがひと段落した頃合いを見計らって訊ねかける。

 

 

「ドーズ。お前の紙袋の表情は自分で描いてるのかね?」

「馬鹿を言うな、俺はお絵描きなどという暇なことはしない」「あ?じゃあ誰が描いてんです」

「パティだ」

「えっ」 

「昔、俺の紙袋が無地だと寂しいからと落描きされた。以来紙袋の予備を作る度にあいつに描かせている」 

 

 

パティの名前が口から出た途端、バーサーカーのごとき荒れっぷりから一転、急に大人しくなったドーズ。

昔からそうだが、こいつはあの小娘のことになると本当に落ち着く。 

ていうかパティが描いていたのか、あれ。ずいぶん可愛い絵を描くものだ……ちょっとほっこりした。

 


「で、何だ……部屋だったか。やめておけ。女が気安く男の部屋に立ち入るものではない」

「そうか……まぁいいさ。今入っても紙袋の山しか見れないだろうしな」 

「あぁそうそう、きゃっとか生娘みたいな声出してたのは黙っといてやりますよォ」

「待てやはり二人とも上がっていけ、ネギでしこたま殴ってやる」

自傷(ドーズ、静、クレオ)

自らの手で引っ掻きまくった腕が、灼けつくように痛む。

皮膚は擦りむけ、血が滲み出ている。

自傷行為が趣味だと言えば大抵の人間は引くと、分かってはいるがやめる気は今後ともさらさらない。

俺をメンヘラだとか思うならば勝手にするがいい。

だが言っておく。俺は俺なりに考えて、こういう事をしているのだと。

 

 

「っていう書き込みがSNSで流れてきたんですけど?」


 

いつにも増してだるそうな静が仁王立ちで見下ろしてくる。

気だるげを通り越してもはや死にそうでもある声が、怒っていた。

視線はまっすぐ、俺の腕。

 

 

「まーたやりやがったんですかァ、ボケナス」

「怒ってるのか」

「いいえ大激怒です。頭があったら拳骨落ちてます」

 

 

態度全てでイライラしている静が、雑に俺の腕を掴む。

奴の服の袖が少し傷口にかすったせいで、刺すような痛みが走った。

 

 

「そこに触れるな!痛いだろうが」

「黙らっしゃい。人様に心配かけやがった罰です」

 

 

既に用意していたらしい救急箱を開け、静は片手間に手当を始める。

できたての傷口に消毒液をふりかけられる感覚たるや、塩を塗られているのかと思う程の痛みだ。

しかも静のやつ、相当にイラついているのか脱脂綿で傷口を抉ってきおる。


 

「いだだだだだ」

「痛いですかァ」

「痛い!!知ってて聞いているだろう貴様ァ!!」

「ならもうやめていただきたけませんかねェ」



ふてぶてしく静は言う。



「何の得があってこんな馬鹿やらかしてんです」

「……痛みは、気分の昂りを抑制するからな」

「水でも被りゃあいいでしょうがよォ」

「それじゃ気が収まらん」



静が深い深いため息を吐き出す。

ヤニの臭いが直撃し、少しむせた。



「まぁ、お前がいいならいいですけど。パティが泣きますよ」



時々、静と友人になったことを悔やむことがある。

パティを引き合いに出すのがいかに俺の頭を冷やすのかを、こいつは知っているから。



「……わかった」



未だに抉られ続けている傷口を見つめ、ひとまず折れる。



「一ヶ月くらいは、控えてやらんでもない」

「永遠に控えやがれってんです。お前、クレオにゲンコツ食らわされたいんですかァ?」

「来る前に逃げ果せる」

「ほう、なら逃げてみろ。私の脚力を舐めるなよ」



あっ、鬼……いやクレオが来た。

その後俺はクレオによる四の字固めに長時間苦しめられた。

兄妹(静、静句)

「兄ちゃん兄ちゃん」



愚兄の広い猫背を、人差し指でつつきまくる。

無視されても無心でツンツンツンツン、野性的に、激しく、憐れみをもって。

かれこれ二十分間はつつき続けたろうか。いい加減に愚兄はイラッとしたようで、こちらを振り向いた。



「やめなさい指ィへし折りますよ」



眉間に皺を寄せて物騒な言葉を吐いてくる愚兄。



「指じゃなければ良いのですー?じゃあマジックハンドでつつきますです」

「やめろと言うのに……もう何なんですかァさっきから」

「わたくしに飴ちゃん奢るのですよ」



わたくしは腹を空かせている。

はらぺこあおむしばりに、ぺこぺこだった。

愚兄はわたくしをじとりとした眼差しで睨み、ふてぶてしくこう言った。



「持ってねーです」

「ならば買ってくるのです」

「ぶっ飛ばしますよォ」

「ねぇ飴ちゃん食べたいのですーーー」

「うっぜ。だいたい何で飴なんです。普通に飯食いなさい」

「ダイエット中ですものー」

「色気づいてんじゃねーってんですよ。お前どうせアレでしょう、まだガキみたいなパンツはいてんでしょォ……」

「はー?そんな訳ないのですー。わたくしのおパンツはせくすぃーな……ーーー」



突然兄ちゃんの姿が視界から消えた、かと思えばわたくしは浮遊感に似た感覚を覚え。

そのままぐるりと視界が反転、さらには背中をしたたかに打ち付けた。

足払いかなにかで、一瞬のうちにひっくり返されたのだ。



「ほれ見たことか」



小さく息を吐く音が上から聞こえる。

はっとして兄ちゃんを見遣れば、向こうもわたくしを見ていた。

正確には、ひっくり返って丸見え状態の……わたくしのスカートの中身を。

と、兄ちゃんがポケットからお札を一枚出して、おもむろにわたくしへ投げてよこす。



「大人しく普通に飯食ってきなさいよォ、クマ柄の毛糸パンツちゃまァ……」



やっぱりこの兄貴ぶっ殺そうと改めて誓った昼下がりであった。

本性(ミフネ、コノハナ)

兄のミフネは、はっきり言ってモテる。

いつからそばにいたかは思い出せないけれど、たぶん出会った時からずっと。

老若男女問わず人気な印象がある。

噂を耳にする限り、女にも困ってなさそうだ。

妹ガチ勢の変質者の分際で、なぜなのか。


「って訳で事情聴取だよぅ」

「なぜじゃ」


仕事を終えて帰宅したミフネを確保し、疑問の豪速球をぶつける。

一応事情聴取だからカツ丼を用意したかったけれど、出前を取るのも面倒。

だので煙が出るシガレットチョコをそっとちゃぶ台に置いてやった。


「さぁ答えるがいい。何故にお前はモテやがるのかを」

「なんじゃあ、唐突に。もしや嫉妬か?わしが誰かに盗られると?心配せんでもわしのハートはハナちゃんのもノァアアーーッッッ」

「うるせェ。とっとと答えな」


遠回しに誤魔化すつもりだと察したあたしは、ミフネの鼻孔に指を突っ込んだ。

俗に言う鼻フックである。

数十秒ほどそうして制裁を加えたあと、解放してやり答えを待つ。

ミフネはしばらく迷っている様子だったが、やがて口を開いた。


「ハナちゃんにはあまり聞かせとうないんじゃがのぉ……仕方ない」


ちゃぶ台に置かれているシガレットチョコを手に取り、火をつけて吸いながら。

ミフネは、話し始める。


「わしがモテる理由なぁ。多分、演技が上手いんじゃろ」

「演技?好きだの愛してるだの言うことか」

「いや。わしは簡単に好意など伝えん。わしがやっているのは、相槌じゃ」

「そんなもん会話するなら当然するだろ」

「だのう。じゃがわしは話の切れ目の部分のみを聞き分けて相槌打つのが上手いんじゃよ」


他人の話など興味はない。本当には聞く耳すら持ってはいない。

だけど社会で生きていくなら、どんな相手のどんな話でも聞かねばならない。

だからいつも話は半分に聞き、キリのいい所になったら一瞬だけ耳を傾ける。

そこで適切な相槌を選んで、相手に返すのだそうだ。


「めちゃくちゃいい加減じゃねェか」

「その通り。だが世の中ほとんどそんなもんじゃよ」


おもむろにミフネは煙を吐く。

甘い香りが部屋に充満するとともに、ミフネの顔が見えなくなる。


「特に、病んでいる女はこの方法でころっと落ちるぞぃ。話を聞いてくれる唯一の人とか、勝手に思い込んでのう。で、これまた勝手に股を開くわけじゃ。馬鹿の極みじゃろ?」


煙が晴れていくにつれて、ミフネの表情が明らかになっていく。

形容し難いほどに下劣な顔で、ミフネは笑っていた。


「……ドン引きだよぅミッフィー」

「すまんすまん。それより夕餉じゃの。どこぞに食べに行こうぞー」


さあさあと肩を押してくるミフネの表情は、いつもの通り。

今し方見せた顔は、きっと何かの見間違いだったのだ。

そう思うことにした。

チャレンジ(ミフネ、コノハナ)

ミフネの妹、コノハナは基本的に自立心旺盛だ。

彼女は記憶力が非常に悪く、自分の家も忘れてしまうほどである。

が、それでも自分の力で生きていこうとする力強さを持つ。


「後生だ。あたしを、支えてくれ」


そんなコノハナが、兄の家を訪ねてきたかと思えばこう言うのだ。


「どっ、どうしたんじゃあ、ハナちゃん。金欠かね?」

「そんなん財布スれば万事解決だろォよ」

「なら……」


コノハナは、一瞬くちびるを噛み締め、意を決したように告げた。


「コンタクトレンズ入れっから、応援してくれ……!」



ーーーー

コノハナ曰く。

眼鏡をかけているのが野暮ったく見える気がすると。

だからコンタクトレンズを買ってきたが、いざ眼球に触れるとなると怖いそうだ。


「だから応援してくれ。チアガールみてェに」

「チアガールはちょっとな……応援くらいで良ければ、いくらでもしたるよ?」

「サンキューミッフィー。じゃあこれチアガール衣装」

「チアガールはええっちゅうに」



ーーーー

いざコンタクトレンズ装着である。

コノハナは指先に乗ったコンタクトを睨みつけて、息を荒げている。

怯えている様子だった。

そんな妹の願いに応えるべく、ミフネは応援の構えに入る。

胸いっぱいに息を吸い……叫んだ。


「ハナちゃああああああんファイトじゃああああああッファア」


コノハナが、ミフネの顔面に裏拳を叩き入れた。


「うるっせェなお前、鼓膜破れんだろうが」

「え!?理不尽すぎんか!?」

「もう応援やっぱいいわ。黙ってそこ居ろよぅ」


がしがし頭を掻きむしって、今一度、指先に目を向けるコノハナ……だったが。


「……」

「おん?どうした?」

「……コンタクトレンズ、どっか行っちまったわ」


その後、結局コノハナにはコンタクトレンズをつけることは無理だという結論に至るのだった。

お茶会(ラスカル、パティ)

昼過ぎのオフィス街エリアにて、私は大急ぎで歩く。

仕事のスケジュールが立て込んでいて、率直に言うとこのままだと遅刻である。

だから普段あまり通らない公園を通ることにした。

この公園を通りたくない理由は、美味しそうな匂いをただよわせるキッチンカーのせい。

私は元々が太めだから、これ以上食欲に負けたくなくって。



「きゃあっ」



芝生のエリアを歩いていたところ、何かにつまづいて派手に転んだ。

なんだろう、荷物?

慌てて確認すれば、そこには。



「あれっ」



とっても小さな体の女性が、横になってすやすや寝ていた。

長い長い三つ編み。大きめの服。

よく知っているその人は、私がつまづいた衝撃で目を覚ましてしまった様だ。



「おやぁ、おはよう」

「おはようございます、ラスカルさん……どうしてこんなところで寝てらしたんです?」

「食事、兼ひるね。この辺ご飯が美味しいって聞いてね」

「食べたんです?」

「途中まではね。でも満腹になっちゃってさぁ」



これ、と差し出されるのは美味しそうなごはん。

お肉料理のお弁当だ。

カツレツにデミグラスソースがかかって、ライスと一緒に入っている。

ほとんど減ってない……匂いからして美味しそうなのに。



「食べるかぃ」

「え、でも」

「食品ロスはまずいだろう。ご飯にする?ライスにする?それとも、お、こ、め?」



よほどもったいないのだろう、ラスカルさんは食事という選択肢をゴリ押ししてくる。

考えを巡らせる。

今日の仕事は、休憩時間がほとんど挟めない。

お腹はものすごく空いてる。

お肉美味しそう、食べたい。

でも遅刻したら副社長に怒られる。



「……タクシー使えばいいや」

「んん?」

「食べます!いただきます!お茶いりますか!?」

「それよりいちゃいちゃしたいな」

「しましょう!!」



食欲に負けた私は、急遽仕事をバックれて束の間の食事とお茶を楽しむことにした。



ーーーーーーー

「このお茶美味しいねぇ」

「私が淹れたんです。お口に合ったみたいで良かった」



マイボトルに入ったお茶をシェアし、肩を並べてちびちび飲む。

ポケットに少しだけ入っていた粉々のクッキーもいただいた。

落ち着く。ラスカルさんといると本当にゆるやかに時間が流れる。



「ここいい所ですし、今度は皆で来たいですね」

「みんなって?」

「工場の皆さんと、副社長とか」

「いいねぇ」

「あれ、副社長来るの嫌じゃないんですか?」

「……あぁー。まぁ、いいんじゃないかな。ぼくずっと寝てるだろうし」



最近ずっと眠いから、とラスカルさんが目をこする。

たしかに眠そうだ。春だからかな?



「分かります。私も最近眠気が強くて、起きるのがつらいですもん」

「そういうことじゃないと思う」



言いながら、ラスカルさんがうつらうつらとし始める。



「なんて言うか……、そう……死ぬほど眠いん、だ……」



眠気が限界に到達したらしく、ラスカルさんが糸が切れるように私の太ももに倒れ込んできた。

死ぬほどかぁ……相当強い眠気なんだろうな。

なんだろう、ご病気じゃないといいんだけれど。



「……あっ時間!!」



腕時計を確認すれば、とっくに次の仕事の時間は過ぎ去っていて。

上司激怒間違いなしの現実から逃避すべく、私は必死にラスカルさんの寝顔で癒されることに努めた。

話し合い(キース)

「話し合いについて、どう思う」



帽子を被った青年……こと僕は、問いを投げた。



ーー僕としては馬鹿馬鹿しい行為だと思う。

だって、あんなのただの主張のぶつけ合いだろ?

ああいうのって女がよくやるよな。

自分の言いたいこと言うだけ言って、すっきりしたら分かり合えたと勘違いするパターン。

勝手だよ、本当に。面倒くさいったらねぇよ。

……一方的に注意されるのも面倒くさいし、うざってぇけど。

……おい、聞こえてるか?

鼓膜は破けてないから聞こえてるはずだけど。

あぁ、聞いてる?よし、じゃあ続けよう。


僕はまぁ、あんまり良くない人間な訳だけど。

そうなる引き金を明確に引いた日がある。


あー、あれ何歳のときだったっけな。

たしか十一歳ごろだったかと思うけど。

その日、僕は帽子の手入れをしてたんだ。

これ。いつも被ってるやつ。


丁寧に丁寧に汚れをとって、ようやく満足のいく出来になったらさ。

ホームステイしてたその家のおかみさんが、注意してきて。



「帽子なんか放っておいて、子供は外で遊びなさい」



とか言ってきて。

僕はインドア派だし、外で遊ぼうにも天気は悪かった。

だから拒否したら、そのババア謎にキレてきて。

多分ストレスでも溜まってたんだろうな。

いやあ怒鳴って喚いて叫んでうるさかった。

終いにゃこう言うんだ。



「そんなに言う事聞かないなら、話し合いが必要ね!」



初めに言った通りだよ。

結局話し合いなんてのは、どっちかに都合のいいものでしかないのに。

言う事聞かないからさらに話し合い?

冗談じゃねぇ、ババアの戯言よりも大事なのは帽子だろうが。

……だから僕は、ババアの顔に枕を押し付けて、窒息死させたわけだよ。




ーーーーー

「で、何で自分がこんな目にあってるかわかるか」



耳たぶを切り取られ、眼球を潰され、舌を切られ、手足を撃ち抜かれ、虫の息の女に問う。

鼓膜破れてないから聞こえてるだろうに、無視しやがって。

……いや喋れないだけか、ならしょうがないな。

ただ震えて、歯をがちがち鳴らしてる女の頬をするりと撫でてやった。



「なぁ司書さん」



虫の息のこの女は、僕が通いつめていた図書館の司書である。

彼女は僕に注意したのだ。

図書館で本ばかり読んでいないで、女の子とでも遊んでくればいいのに……と。



「今話した通り、僕は【話し合い】は嫌いなんだ。だから……」



あの日の女の面影を、もう一度殺してやろう。

泥棒(ベルト)

泥棒を働いた。

金が欲しかったんだ。生活費というより、遊ぶ金が。

俺にとっては日常茶飯事だから、今更罪悪感は覚えなかった。

今回金を盗んだ相手は中年くらいの男。

そいつはやたら変な服装で、路地裏にて占い師をしていた。

そいつの占いはまあまあ当たるのか、行列ができていて。

つまり、儲かってそうだったから、隙をついて荷物をひったくった。



「で、今に至るんべな」



目の前に逆さの男がいる。

否、実際に逆さになって、物理的に頭に血が上っていっているのは俺だった。

アホ毛つきの七三分け、安い三文芝居の脇役みたいな服装、巻きひげ。

一度見れば忘れない。さっきの占い師男だ。



「た、たすけてっ……目、まわるっ……」

「助けてってそれ俺のセリフなんだけど」



占い師男は、ぶうぶうと口を尖らせて言う。



「俺の荷物どこよ。盗ったあとどこやった?」

「知らない!!俺は盗ってない!」



男が、すっと目を細めた。



「おにーさん嘘つき嫌いなんすけど」

「嘘じゃないって、俺は盗ってない!」

「荷物ひったくった時のお前の顔ばっちり覚えてんだけど、お坊ちゃん」

「ッ……」

「もーいっかいだけ聞くぞぅ。……俺の荷物、どこにやった?クソガキ」



底冷えするほどに、冷たい声だった。

ダメだこれ、全部バレてやがる。

逆さ吊り状態も苦しい言い訳も、もう限界だ。

適当に謝って許してもらおう。大丈夫、俺はまだ子供なんだから。



「と、途中で、道端に捨てたんです!!酒ばっか入ってたし、金だけ抜き取ってっ……ごめんなさい……許してください……」

「あっそ。ところで、入ってた酒ってこれだべ?」



男はひょいと酒瓶を取り出し、俺の鼻先に掲げた。

かと思えば中身を、逆さ吊り状態の俺へぶっかけ始めたではないか。



「なに、すんだ、よっ、嫌がらせか!?酒なんかかけやがって!」

「ワイン」

「あ!?」

「酒っつか、ワイン。で、ここ、森な。もーりー」



男の目論見がさっぱりわからない俺だったが、次に聞かされた話に、俺はぞっとした。



「こういう場所で、こういう匂いさせてるとな。虫が死ぬほど集まってきて、死ぬほどかじってくれるんだぜ」

「は……!?」

「この辺にゃ民家も無いから、好きなだけ叫べるぞぅ。じゃーな」



男は、軽いテンションで声をかけて、振り返ることもなく去っていった。

俺を逆さ吊りのままにして。

うそだろ。助けてくれ。たのむ、もう二度と悪いことはしないから!!!



「嫌だああああああああああ」



それから数週間後、森の奥にて全身を虫に食い破られた遺体が見つかったそうだ。

アライグマ(ミフネ、鎮巳)

「……おや」


道端に、捨て置かれた動物がいた。

ぼろい段ボールの中にて、その動物は丸まって寒さを堪えている様子だ。

犬か猫か、と近づいて段ボールを覗き込み……驚いた。

縞模様のしっぽ。ツンとたった耳。ふかふかした体毛。目の周りを覆う黒い模様。

タヌキ……いや、これはアライグマだ。

確かアライグマは害獣だった。ペットとして飼うのが難しくなって捨てられたのだろう。


「……ん?」


よく見ると、おかしい。このアライグマ、頭部の毛がやたら長い上に三つ編みにされている。

これは、そう。知り合いの女性によく似ていた。


「さしずめガチアライグマラスカル、かの」


なんとなしにガチアライグマラスカルを撫でてやれば鳴き声を上げ、甘えるように頭を擦り付けてきた。

害獣のわりに人懐こい。可愛い。

だが、拾う訳にはいかない。所詮は害獣だ。今は甘えた様子でもいつ噛みつかれるか分からない。



ーーーーーー

「で、なんで拾ってきたの……」

「はっはー。なぜじゃろうなぁ」


結局家に連れ帰ってしまった。


「アライグマって……害獣でしょ……ダメだよ、拾ってきちゃ……」

「じゃがのう、この寒空の下に置き去りは可哀想じゃしの。それにほれ、こんなにわしに懐いておるしの」


胡座をかくミフネの膝に寝転び、ふっくらした腹を晒しているガチアライグマ。

腹を撫でて欲しいように見えたので、ミフネもそこを撫でさすってやる。


「あ、名前はラスカルじゃ」

「知り合いと同じ名前じゃん……」

「こっちはガチアライグマラスカルじゃから」


口下手極まれりな部下を何とか強引に言い負かし。

そんなこんなでミフネとガチアライグマラスカルの日々が始まった。


……が、その日々はそう長くは続かなかった。




ーーーーーー

「どういうことじゃ、これは」


拾ってきたアライグマ……アライグマ【ラスカル】は、雌。

しかも腹には子どもがいたらしく。

拾ってほんの数日後、ミフネの部屋の隅にて出産した。

生まれた子は数匹。

母になった【ラスカル】は、生まれたばかりの子どもたちに母乳をやっている。

愕然としているミフネの前で。


「はは……はははっ」


大笑いしながら、ミフネの内では殺意がわいた。

ペットとして可愛がっていた、可愛がろうとしていたものに子どもがいたとは。

まぐわい合い愛し合うものは嫌いだ。そうして生まれる子どもは嫌いだ。

たとえ獣だろうとも。人間ならば尚更。


「……」


おもむろに腰にさした日本刀を抜く。

刃を、アライグマの母子に向ける。

憎い。憎くてたまらない。

嫌だ。もう嫌だ。

……何が?分からない。もう何もかも分からない。

頭の中で感情がぐるぐると回る。

と。母アライグマの瞳が、ミフネを見た。

つぶらな瞳は、自分が産んだ子アライグマたちを見るのと同じ視線を、ミフネに向けている……気がした。



ーーーーーー

「あれ……ラスカルさんは?」

「ラスカルちゃんか?ここには来とらんぞ。工場に居るんじゃろ」

「ちがくて……ガチアライグマのほうの……」

「あぁ……あれか」


数日後。

部下を部屋に上げた時、ミフネの部屋にはアライグマはいなかった。

餌として、わざわざペットショップで調達したらしい食べ物を持て余した様子の部下を一瞥し。


「さよならしたんじゃよ」


ミフネはため息のように、煙管の煙を吐き出した。

シガレットチョコ(ベルト、キース)

「それ、美味いの?」



リビングでくつろいでいたところ、正面にて酒を煽っていたベルトに話しかけられた。



「それって?」

「煙草……に見えるやつ」



煙草に見えるやつ。

どうやら、キースがいつも喫している『煙が出るシガレットチョコ』について言っている模様。



「これはチョコだよ。煙草の形してて煙草みたいに煙出るけど」



煙が出るシガレットチョコ。

製造元は株式会社ブランクインという、クローバーや遠山静らが所属する企業である。

世間では禁煙キャンペーンが進んでいるにも関わらず、ブランクインは逆走して見た目も味も、煙の質感までもが本物に近いお菓子を作った。

しかし、あくまで格好付けたがりな子供のためのお菓子なので、味はホワイトチョコからミントチョコまで様々。

キャッチコピーは『大人の階段ぶっ壊せ』である。



「溶けねーのけ」

「溶けるのもあるし、溶けねぇのもある」



シガレットチョコにも種類がある。

チョコ同然に溶ける『生チョコレート系』と、溶けずにいつまでも楽しめる『ガトーショコラ系』。

キースが愛用しているものは、ガトーショコラ系である。



「煙は何で出てんの」

「企業秘密だとよ」

「ちょっと吸わせておくんなまし」



嫌だ、という前にベルトはキースの口にくわえられたシガレットチョコを奪い取った。

そしてそのまま己の口に咥える。



「関節キスじゃねぇか!」

「ガキみてーなこと言ってんなよ。実際ガキだけど」



ベルトが深くチョコを吸い込み、しばらく静止する。

して、味の程は?



「あっっっま」



べっ、と勢い良く床に吐き捨てた。



「ダメだわ、甘い。普通にチョコじゃんこれ」

「……よくも、僕のシガレットチョコを床に吐き捨てたな」

「わり。買って返すから、うちの恋人が」

「テメエが買えヒモ野郎が!!!」

髭剃り(オズ)

オズは目が見えていない。

厳密には、常時アイマスクをしているため視界が遮られているだけだが、見えていないと言えばそうである。

彼も一応、男性なので髭が生えてくる。

三日に一度くらいのペースで髭を剃る訳だが、首から上しかない彼は、何故か動く髪の毛を駆使して髭剃りするのだ。



「いたっ。……まーた切っちゃったァン」



女性的な悪態をつきつつ、勘を頼りに髭を剃るオズ。

長年こうだからもはや慣れたものだ。が、それでも手が滑ることもある。



「で、なんだっけ?」



髭を剃りつつ、他の誰かに話しかける。

相手は、すぐ隣に座った腹の大きな女。

妊婦のようだ、が、その顔は悲嘆に暮れている。



「孕まされた挙句逃げられたって?アタシが、紹介した男に?それがアタシのせいだって言うわけ?」



声からしてわかる、オズはかなりどうでも良さそうだ。

女が泣きながら怒り出す。咽び泣きながら言葉にならない罵声を、オズに向けて浴びせる。

が、オズは無視。

ひたすら髭を剃り続ける。



「やっぱ、ローション無きゃダメねぇ。あんた持ってない?」



無視どころか、そもそも聞いてもいない。

女がとうとう腹を立てて、首たまだけのオズに掴みかかった。



オズはどうなるのか。

引っかかれた?床に叩きつけられた?髪をむしられた?



「あらぁ、また手が滑っちゃった」



オズは無事、だが女の方は、腹を押さえて倒れふした。

大きな腹の中心に、剃刀を突き刺された状態で。



「もう、駄目よ髭剃りしてる時に触っちゃあ。危ないデショ」



刺さった剃刀を女の腹から抜き取って、オズは何食わぬ顔で髭剃りを再開する。



「あ、いい事思いついた」



オズは明るい口調で言うと、おもむろに自分の髪を女の腹から溢れ出る血に浸した。

血に濡れる髪を、自身の口元に持っていき、それを塗りたくる。



「いいローションが手に入ったわ。ありがと♡」



虫の息の女に向けて微笑んだあと、オズはやはり何食わぬ顔で髭剃りをするのだった。

じゃんけん(ミフネ)

俺は昔から手癖が悪い。

社会人になってもその癖は直ることなく、むしろ健在だった。



「おまえさん、まーたやったんか」

「すいません」



俺の所属は庶務課。

会社の備品をパクろうと思えばいくらでもできる立場にいるものだから、それはもう盗むしかない。

上長のミフネさんは、いつも俺を叱りはすれど、「しゃーないのう」と大目に見てくれる。

とても良い人だ。都合の、いい人。



「おまえさんなぁ、わしが言ったこと聞いとったかね?」

「はあ、何でしたでしょうか」

「仏の顔も三度まで、じゃよ。これでもう三度目じゃ。知っとるか」

「はは……でも優しいミフネ課長なら許してくれるでしょう?」



申し訳なさそうに見えるようにと俯いていた顔を上げて、思わず息を飲んだ。

ミフネ課長が、いつもの朗らかな表情をしていなかった。

微笑みはそのままだったが、目が違う。

底冷えするような、憎悪の目。



「ほうか、許して欲しいんじゃな、おまえさん」

「えっ……はい」

「じゃあ、ゲームしよう。じゃんけん三回勝負じゃ。おまえさんが勝ったら許したるよ」

「じゃんけん?」



改めて見るとミフネ課長の目つきが、元に戻っている。

じゃんけんか……なんで急にじゃんけんなのか。俺は別にいいけど。



「ほいじゃあ行くぞぃ」

「はい、じゃーんけーん」



ぽい、と言う掛け声とともに手を差し出した、はずだった。

が。



「……え」



じゃんけんは成立しなかった。

俺の、右手首から先が、無くなってしまっていたから。

視界が赤い飛沫で染まり、一拍置いて、激痛に襲われる。



「おまえさんの負けじゃな」



いつの間に持っていたのだろうか、ミフネ課長が刀に付いた血を振り払い、至極呑気に言った。


「ちょ、手、俺の手、どこ」



ミフネ課長が足下を指すので見れば、人間の右手首が無造作に転がっている。

この野郎、俺の手首を切り落としやがった。



「さあ、二回戦じゃ」

「ちょ、ちょっと待って!救急車……死ぬ……!」

「すぐには死なんよ、その程度じゃな。勝ったら救急車呼んだるから、ほい手を出せ。じゃーんけーん」



無慈悲に続くじゃんけんゲーム。

言うこと聞かないと何をされるかわからない。

反射的に左手で、チョキを出した……が。



「まーたおまえさんの負けじゃなぁ」



再びほとばしる絶叫。

今度は左手首も無くなっていた。

床を見れば、やはり切り落としたての、左手首。俺の左手首。

まさか、上司に両手を切り落とされるなんて。

絶望と恐怖でキャパシティオーバーしそうな俺に、課長は言った。



「なーにやっとるん?もう一戦やるぞ。三回戦と言ったじゃろ」

「は……!?でも、俺もう手が!!」

「立派な首があるじゃろが」



その発言に、察する。

次は首を落とす気だ、と。



「ざっけんなよ!!たかが盗み数回で、ここまでやること……」

「ほい、じゃーーーんけーーーん」



やたら伸びやかに、焦らすように、掛け声を発するミフネ課長。

その手には血塗れの日本刀が、握りしめられていて。



「ぽん」



ポップコーンが弾けるように軽やかに、掛け声が聞こえて。

あとは何も聞こえなくなった。

威嚇(ミフネ、コノハナ、鎮巳)

ミフネ、鎮巳、コノハナの三人で昼食を買いに出かけた。


訪れた商店街の一角にあるパン屋に入って、三人ばらけて物色する。


どれにしよう。

吟味しつつ、鎮巳は何の気なしに片手に持ったトングをかちかち鳴らす。


「おい……何してんだィ、おめえさん」


と、コノハナに睨みをきかされる。

視線を向けてみれば、彼女は何か咎めるような目つきをしていた。


「……?何が……?」

「おめえさん、パンを威嚇しやがったなァ……?」

「えっ」


盛大かつこれ見よがしに頭を抱えて、失望する素振りを見せるコノハナ。

鎮巳は混乱する。

パンを威嚇とはどういうことだろう。

自分はまた何か間違えてしまったのだろうか、と。


「おーう、買うものは決まったかの、……どしたんじゃ?」


ミフネが近寄ってくるや否や、二人の様子に気づく。


「ミッフィー。鎮巳の野郎、パンを威嚇しやがったよぅ」

「なんと!?」


ミフネまで、信じ難いと言うような顔で鎮巳を見遣る。


「なんてことをしたんじゃおまえさん!パンを威嚇するとは、なんて……なんて残虐非道なことを……」

「えっえっ」

「よしなァミッフィー。鎮巳に作法を教えなかったあたしらの責任だ」

「えっえっえっえっ」

「鎮巳よぅ、とりあえずパンに謝れ」

「パンに……謝る……?えっ……ご、ごめん、ね……」


素直にパンに向かって謝罪する鎮巳。

その様子を見て、兄妹が必死に笑いをこらえていた事を、鎮巳はいつになったら知るのだろう。

暑がり(ルーク、ラスカル)

ラスカルは暑がりだ。

首から下が包帯でぐるぐる巻きにされているから、普通より体感温度が高い。

そのくせ今は夏であるし、ラスカル自身9歳とまだ幼く体温が高め。

暑さを感じる要素がハーモニーを奏でている訳だ。



「ラスカル、布団ちゃんとかけなさい」

「や」

「風邪ひいても知らないぞ」

「ぼく風邪なんかひかないもん」



夜、就寝時。

ルークの部屋に泊まりに来たラスカルだが、ふたりは喧嘩寸前だった。

ベッドに添い寝したはいいが、ラスカルが布団を暑がってかけたがらない。

いくらかけてやっても、短い脚で蹴飛ばしてしまう。



「かけろって」

「やだ」

「怒るぞ」

「怒ってもべつにいいもん。勝てるから」



幾度となく繰り返される攻防に、とうとうルークの堪忍袋の緒が切れた。

ルークが、思いきりシーツを被る。

つぎに、これまた思いきりラスカルに覆いかぶさった。

逃げられないように抱きしめてホールドすることも忘れずに。



「あっつい!はなして!」

「暴れるともっとあっついぞ。おやすみ」

「え、寝るの!?このまま!?」



暑いあついともがくラスカルを抑え込んで、ルークはさっさと眠りに落ちる。

すうすうと耳元で聞こえる寝息につられ、かつもがき疲れ。

ラスカルも同じく眠った。

嫉妬(ミフネ、クローバー)

「……おさいじゃんせ、副社長殿」



その日、クローバーは庶務課に用があった。

なんて事はない雑務だから秘書に任せるべきだ……が、あいにくその秘書は流行病で寝込んでいる。

ノロだろうがマイコプラズマだろうが構わないから仕事をしろ、と言ったらきっとパワハラとか糾弾されるのだろう。



「その副社長殿とかいう呼び方やめろ。腹が立つ」

「ほうか。なんの用じゃあ小童」

「副社長と呼べ、落ちこぼれ」

「貴様が今呼び方を改めろと言ったんじゃろが」



生意気にも「ふん」と鼻を鳴らすミフネに、クローバーは眉間にシワが寄るのを感じた。

デスクを挟んで、二人は半ば睨み合う。



「手短に話せ。わしは忙しいんじゃ」

「言われなくてもそうする」



苛立ちを抑え込み、淡々と業務連絡をする。

時折適当な相槌を打ちつつ、大人しく話を聞くミフネ。

しばらくは普通にそうして事務連絡話をしていた。

が、不意にミフネのスマートフォンが鳴動したことで、話の腰は折られた。



「おっと、ちょいとすまんの」



ミフネは本職だけで食っていけないからと、あらゆる副業をこなしている。

副業関連記事の事務連絡でスマートフォンがよく鳴るのも、いつもの事だった。



「お前何で副業なんかしてやがる」

「言ったじゃろ。金が必要なんじゃよ」

「何にだ」

「ゲーム買ったり作ったり、妹に貢いだり」

「くだらねェ」



吐き捨てるクローバーだったがミフネは無視した。

デスクの上にてスマートフォンを操作するミフネの頭上から、画面をちらりと見た。

何やらメッセージアプリで誰かにメッセージを送っている模様。



「誰に送ってんだァ?」

「ん?ラスカルちゃんじゃよ」

「は」



その名前に、クローバーの気分は一瞬だけ高揚した。

……が、すぐに急降下してしまう。

ラスカル。クローバーの長年の想い人である女性だ。

何故、よりにもよって彼女の名前が出てくる。



「なんでお前が、あいつと話してる」

「仲良しじゃもん。おまえさんは気に入らんのじゃろうがな」



ミフネはどうでも良さそうに言ってのけるが、クローバーには挑発にしか聞こえなかった。

瞬時に頭が嫉妬に支配される。



「おい、立て」

「あぁ?後にせえ」

「上司の命令が聞けねェのかァ?」



のんきにスマートフォンをいじるミフネの髪を、大きな手で鷲掴む。

リアクションを取らせる間も与えず、クローバーはミフネをデスクから床に引きずり下ろした。

イスが、派手な音を立てて倒れる。



「痛ったいのぅ。何をするんじゃ盆暗小僧」



言いながらもどこか余裕そうで、それがまた気に入らなかった。

倒れた拍子に、ミフネが常用しているサングラスが吹き飛ぶ。

普段はレンズの奥に潜んでいるミフネの目が、露になっている。

瞳が小さめで色を視認しにくい。が、その瞳は、確かに青かった。

懐かしさとともに、クローバーは強い憎悪を感じる。



「がはっ」



床に倒れたままでいるミフネの顔を、踏みつける。

一度だけ、と思っていたのだが、いざ蹴ってしまうと最後、衝動と興奮のまま何度も繰り返したくなる。

執拗にミフネの鼻っ面を蹴りつけ、踏みにじった。

鈍い音がしたあたりで、一旦動作を止める。

ミフネの様子を見れば、彼の顔面は血だらけ。

鼻は形がおかしなことになっていて、きっと折れてしまっているだろう……が、ミフネは恐ろしく冷めた目でクローバーをまっすぐ睨み上げていた。



「おう。もう終わりかの小僧」



冷静そのものな声をかけられ、クローバーは歯噛みする。

仰向けで倒れ伏しているミフネの傍らに片膝をつき、折れた鼻、その鼻孔に指を突っ込む。

鮮血で濡れた己の指を、まじまじと見つめる。

やがてクローバーは何を思ったか、鼻血まみれの指を舌で舐めた。



「不味いなァ」



至極当然の感想を口にする。

と、お次はその血まみれの指をミフネの口の中に突っ込んだ。



「掃除しろ、テメェが汚したんだからなァ」



ミフネは、口の中に指を突っ込まれているせいでもちろん喋れない。

大人しく言われたとおり、己の鼻血にまみれた上司の指を舐めしゃぶる。

が、その目は、どこまでも冷め、淡白で、反抗的だった。

顔に花が咲く話(オズ、静)

オズは常にアイマスクを着用している。

一見ただアイマスクをかけているだけだが、実際には皮膚に直接針と糸で縫い付けて、オズが自分で取れないようにしているのだ。

そこまでするのにはある事情があるのだが、それはそれ。



「いたたた。ちょっと、優しく取ってよォ」

「お前が動くから悪ぃんです」



そんなアイマスクも、月に一度くらい遠山静によって取り払われる。

顔の整備のためだ。

と言っても、別に髭剃りするという訳ではない。

もっと別の物を『 刈り取る』ために。



「あー……」

「どお。今回は何が咲いてる?」

「コレは……何て言いましたっけ。ハエが寄ってくるやつ」

「え、ラフレシア?」

「あー、そうそれです」



遠山静が覗き込むオズの顔面には、植物や花が生い茂っていた。

オズは少し普通の人間と違っていて、遺伝子に植物のものが混じっている。

その影響で、顔の半分が植物なのだ。

だからオズからは花にも似た心地良い匂いがする。

顔に花が咲くから定期的に静が手入れしてやるのだが、ユニークなことに、オズのその時々の気分によって咲く花も変わる。



「ラフレシアが咲く時ってどういう気分なんです」

「ええ………何かしら。見当もつかない」

「っつか、くっさ。すげぇ臭いんですけどォ……」

「ちょっとやめてよ傷付くから」

「何か別の花咲かせなさい。いい匂いするやつ」

「無茶言わないでくれる?アタシだってどんな感情で何が咲くか分かってないんだから」

「ヴォエッ」

「わかった!わかったからアタシのにおいで嘔吐くのやめてちょうだい」



オズは一旦、目をぎゅーっと閉じる。

そして念じる。いい匂いのする花咲け、と。

すると……



「ちょっと、ラフレシア増えたんですけど」

「ガッデム!!何でよ!アタシ頑張ってんのに!」

「あーーくっさ。教会がラフレシア臭で染まってくのを肌で感じますねェ……」

「もーーーーー!!」



珍しく、オズから悪臭が漂う昼下がりだった。

土鳩キメラ(ラスカル、鎮巳)

日課の墓参りを終え帰る道すがら、大きな公園が目に入った。

空は晴れ渡って風は穏やかに流れている天気からするに、いい日向ぼっこが出来るだろう。

ちょうどまたいつもの眠気も襲って来ていることだし。

考えるよりも先に、ラスカルの足は公園の中へ向かっていた。



ーーーーーー

「あの……」


意識の底で、とても静かな声が聞こえる。

ゆるゆると目を開け、……ぎょっとした。

目の前に土鳩のキメラが居た。

というのも、土鳩が無数に何かに集っていて、大きな塊状態になっていたから。


「おはよう……」


土鳩キメラが喋った。

と、ここでラスカルは、キメラに人の顔が付いているのに気付く。

東洋人特有の黒い髪、眼。特徴的なまろ眉。


「神父……!?」

「違う……僕、アレの息子の鎮巳です。遠山鎮巳……」


言われて思い出す。

鎮巳、遠山鎮巳。クズ神父の長子であるが、父を憎み殺害しようとして返り討ちにされた子だ。

そしてさらに、ラスカルの首を絞めて殺そうともした。


「おや、きみかぁ。鳩と同化して何してるんだぃ」

「日向ぼっこ……鳩ぽっぽに、餌あげてたら……こうなった」

「鳩に餌あげちゃいけないよ」

「可愛い……から。……へっくしっ」


鳩の羽が鎮巳の鼻をくすぐったようで、彼がくしゃみする。

鳩たちは驚いて、一気に鎮巳の体から飛び去っていってしまった。

青い羽織の長身の青年、遠山鎮巳完全体の出現である。


「こんにちは」

「……ラスカル、さん」


そろりそろりと、動く音までも慎ましく鎮巳がラスカルへ土下座する。


「この間……すみませんでした……首絞めて……」

「平気さ。死んでないから」

「でも……」

「きみは目的のためになりふり構えなかっただけだろう。大丈夫、怒ってないよ」


そう言ってやれば、鎮巳は少しほっとした様子だった。


「今日はお面つけてないんだねぇ?」

「割れちゃった……」

「隠さないでもいいんじゃないかぃ、綺麗な顔だよ」

「僕は嫌い……父親そっくり、で」


鎮巳はつぶやく。

あのクズ親父は、化物を我が子と信じたいばかりに、あらゆる恨みを買った。

もちろん息子である鎮巳にも。

幼少期から知人に預けて外国へ逃げた馬鹿と同じ顔なんて、嬉しいとも思えない……と。


「でもきみは良い子だよ。神父とは全然違う」

「どこが……」

「それ」


それ、とは何か。

何やら鎮巳の後ろを指差しているラスカルに、不思議に思って振り返ってみた。

鎮巳の背後には、野良だろう子猫が昼寝していた。


「動物って人の悪意に敏感だろう。君からはそういうの感じないんだと思うよ」

「……たしかに……にゃんこさん、よく集まってくる」

「だろ」


気持ち良さそうに眠る子猫を、起こさないようそっと小指で撫でる鎮巳。

はにかみたいのをこらえている様子だった。

ふと、ラスカルは空が暗くなってきているのに気付く。

懐中時計を見れば、もうそろそろ夜。


「ぼくはもう行くよ。そろそろ帰らなきゃだ」

「……また、会える?今度、お菓子……作ってくる」

「え、ほんと?ありがとう!友達にも分けていいかぃ」

「じゃあ……いっぱい、用意する」


とうとうはにかみ笑いが止められなくなって、鎮巳が口角をあげた。

追想(静、ニル)

女ってのは怖いとつくづく思う。


「静」


教会らしい十字架もない、簡素な私室。

ストーブに半ば覆い被さる形で暖をとっているところに、そいつは現れた。

振り向く気にもなれないでいるともう一度。


「静。呼んだら返事しなさいよ」

「……返事したくねーからしないんですよォ。名前で呼ばないでいただけますか」

「あらごめんなさい静」

「聞いてましたかこのアマ。呼ぶなと言うのに」

「レディにアマなんて言うもんじゃないわよ」

「失礼このアマ」


雰囲気で「帰れ」と伝えるものの、知らぬ振りをしてニルギリスは勝手に隣に座った。

が、無視する。

神父様のスルースキルの高さを思い知るがいい。


「ねえ」


ストーブだけを見つめている俺に退屈になったらしい。

沈黙をぶち破ってニルギリスが話しかけてきた。


「奥さんのこと聞かせて」

「はァ〜……?何でです」

「聞いた事ないから。どんな人だった?セクシー系?キュート系?」


話すなんて一言も言ってないのに勝手に聴く姿勢に入ってやがる。

図々しい奴だ、ぶっ飛ばしたい。

……が、少しだけならいいかと気が変わった。


「クソみたいな女でしたね」


簡潔に、答えた。


「いっつもいっつも煙草すぱーすぱー吸って、大酒かっ喰らって。おかげで俺までニコ中になりましたよ。喋っても可愛げなんかまるで無ぇし。やたら貧相な尻に敷いてきやがって。いっぺんでいいからぶっ飛ばしてやりたかったですよ」

「ちょ、ちょっと待って、恨み節しか出てこないじゃない。何、鬼嫁かなんかだったの」

「鬼嫁も鬼嫁。顔が良いだけで最悪の女でした」


ニルギリスがドン引きしきった顔をしている。

なんだこの野郎、テメェが聞いてきたんだろうに。


「……そう。で?今は奥さんと別居中かなんか?」

「あいつァもうとっくにくたばりましたよ」


場の空気が凍ったのを感じる。

俺はやはり無視してストーブの熱に集中した。


「酒も煙草も、やめろって、何度も言ったんです。体が弱いんだから、死んで欲しくないからって。ひとりにしないで欲しいって。でもやめなかった」

「……静」

「体が弱いくせに『ガキが欲しい』って言うんですよ、あのアマ。理由聞いたら、生きた証が欲しい、って。産んだら死ぬ可能性たっかいの知ってて、言うんです」


だから作った、子供をふたり。

一人目は俺に似ていて、しかもすごく丈夫だった。

名前は鎮巳。

二人目は、悲しいことに、あいつに似ていて生まれた時から病弱だった。

名前は、静桜。


「化物に乗っ取られたガキを見て、あいつがどう思ったのか分からねェ。何も言わなかったから。ただ、自分の子でありそうじゃないモノを、我が子同然に気にかけていたんです。最期まで」


だから俺はあの化物を命がけで護る。

あの女が死ぬまで気にかけていた「我が子」だから。

家庭が壊れても、誰に恨まれても、知ったこっちゃねェ。

死んでも、護ってやろうと決めた。


「……そんなとこですかねェ」 

「……。……ねぇ、あんたって昔保健室の先生もやってたのよね」

「ええ」


そう……と呟くとニルギリスは何を思ったか、俺が占領しているストーブに触れた。

自然な動作すぎて止められなかった。

が、頭は何が起きたかを理解し、瞬間的に血の気が引いた。


「ッ馬鹿……」


手首を引っ掴んで、水道がある場所へ向かう。

重かった腰の感覚は今ばかりはなかった。


「なーーーにやってんですかァ、このバカ」


水道を全開にして、雑に掴んだ細い手を水で冷やしてやる。

こっちは怒っているのに、ニルギリスはあろうことかほくそ笑んでいた。

申し訳なさそうながらも嬉しそうな顔で。


「あんた、世話焼きだわ。本当に」

冒涜(クレオ、キース)

神を信じないくせに神職者を務めている友人がいる。

私とて、イエス・キリストだとかいう大昔の男のことを崇め奉る気など無い。

今後もそうだろうと、思っていた。

自分が、特に好意も抱いてない若者に、身篭らされるまでは。


ーーーーー

「クレオさん……こっち向いて」

「ひ、っ……ぃや、嫌だ」

「旦那の言う事は聞けって、そう言ったでしょ」



ここに監禁されてどれほどだろうか。

彼は、私と結婚するのだと言った。

結婚しよう、とかではなく、「する」。

勝手に自分の気持ちを決めつけて、自分の人生を決めつけて、さらには私の意志まで勝手に変えようとしたのだ。


「クレオさん……っはあ」


もとより私は、事故で彼の子を孕んでしまっていた。

彼にも正直にそう言った。

けれども彼は、信じようとしないで、未だに私を昼夜問わず犯し続けている。

今、この瞬間だって。



「何で泣いてんですか?あ、そんだけ気持ちいいってことか」


狂ってる。頭がおかしい。

そんな事を喚き散らす代わり、力の入らない腰を上げて少しでも彼から離れようと試みた。

……馬鹿は勘違いして、「もっと」と強請っているようにとった様子だ。

ああ、腹の奥で、また熱がーー

サウナバトル(ミフネ、クローバー)

社員旅行をしようと社長が急に言い出したのは、つい先日のことである。

たまには上司らしいことを言うと思った社員一同だったが、いざ訪れたのはスーパー銭湯だった。

そんなこんなで今日はスーパー銭湯を貸切にし、社員一同が揃って風呂に浸かりリラックスしていた。


「うわ」


皆がそれぞれに盛り上がっていた一方。

サウナにて二人分の嫌悪にまみれた声が重なった。


「チッ。おさいじゃんせ、クローバー副社長殿」

「舌打ちしてんじゃねェ」

「灼熱地獄に落ちる途中で迷子になったか?」

「まだ死んでねェが?」


例のごとく仲の悪いミフネとクローバー。

少し距離を置いてクローバーがミフネの横に座る。

泣く子も黙るレベルの険悪な空気がサウナ内に漂うものだから、他の者はそそくさと出ていった。


「お前」

「ミフネじゃボケが」

「いつまで居る気だ。とっとと出ていけ」

「貴様が出ていけ、このゴースト野郎」

「……俺ァサウナの室温を上げたいんだ。がっつりとなァ。お前が耐えかねるだろうと思って忠告してやってんだよォ」


今でこそ室温はかなり暑い。

これ以上……がっつり上げる、とは考えにくい。

単にミフネが邪魔だから退出させようとしているのだ。

そう思った。


「構わんよ、上げろ上げろ。おまえさんが倒れるのを見届けたるわ」

「……上等だ」


斯くして室温がぐんと上げられたのだった。

そこからはもう灼熱地獄と言っていい。

暑い。熱い。まるで体を火であぶられている心地だ。

もう出たい。だがこいつにだけは負けたくない、とミフネは舌打ちしつつクローバーを見遣る。


「お前、香水何かつけてるか」

「……はあ?」


この状況で、唐突にそんなことを訊ねられた。


「香水?そんなものつけとらん」

「嘘つくな絶対付けてるだろうが」

「つけとらんと言っとろうが」

「じゃあ何でそんないい匂いしやがる」

「はあ?」


なにか気持ち悪い事を言い始めた。

何だこいつ。セクハラのつもりか?

見事に鳥肌を立たせてくれるものだ。くたばれ。


「充満してるじゃねェか、いい匂いがよォ。移させろ」

「はっ?」


あっ、こいつ暑さでキャパオーバーしよった。

にじり寄ってくるクローバーにミフネは察した、瞬間、クローバーが飛びかかってくる。

ぎょっとする間にミフネはクローバーによって取り押さえられ、体の匂いを嗅がれまくった。


「ぎゃーーーー気色悪い!!離せ!!」

「匂い、移るまで待っとけ。もうカビ臭いのは嫌だ」

「ありのままでいろ!!おまえさんの心のエルサが応援しとるよ!」

「無理だ。今にも劣等感という立派な寺社仏閣が建ちそうだからなァ」

「ちょ、誰ぞ!!誰ぞおらんか!?助けてくれェエエエ!!」


その後、ちょうどサウナに暖を取りに来た遠山静によってミフネはなんとか救助された。

クローバーはといえば記憶が欠如しており、あの日のことを何も覚えておらず。

何故ミフネが自分に吐瀉物を見るような目を向け避けるのか、永久に分からないでいるのだった。

飲みニケーション(ミフネ、静句)

眠りから目が覚めたら、二十年も時間が過ぎていた。

当時まだ二十代だったわたくしも四十過ぎ、という奇妙な現実を辛くも受け止め。

すっかり大きくなった甥とコミニュケーションを取り。

兄を殺すという自分の目的と合致した、とある条件を飲み。


そして『あの子』と再会するに至った。



「飲みに行かんかね」



コールドスリープから覚め、はやくも一週間が経った頃。

飲みに誘われた。



「行かぬのです。さらばー」

「にベも無さすぎぃ。もうちょい優しくしてくれんか、幼馴染なんじゃから」

「プルーンの苗木むしったりですかー」

「わしの髪はプルーンちゃうよ?」



ミフネくん。

昔そう呼んでいた、歳下の子……だった、現中年男性。

当時陰気だった、尖ったナイフのようだった彼が、どうしたことだろう。

ものすごくにこにこ穏やかになっていた。

ジョブチェンジだろうか?と、からかおうとしてやめた。



「ダメかい?いい店知っとるんじゃがのー。料理の美味いとこ。大人様ランチとかあったっけの」

「行きますです」


わたくしは即答した。大人様ランチ。

ハンバーグ、エビフライ、チキンライス……あとはなんだろう、ケチャップスパゲティとかだろうか?

なんでもいい、食べたい。

そんなこんなで好物に釣られ、わたくしはまんまと誘いに乗るのだった。



ーーーーー

「美味いかの」

「うまいのですー」



正面に座ってにこにこしているミフネくんをよそに、わたくしは大人様ランチのエビフライを頬張る。

ハムスターもびっくり。ちなみに大人様ランチにひまわりの種はない。



「水、まだあるかい」

「む。ありませんです」

「ほうか、なら飲物でも頼むかの?」



見せびらかすようにメニューを掲げるミフネくん。

指し示すは、当然のごとくアルコール類のコーナー。

せっかく大人様ランチを食してご満悦だったのに、そこに滲む意図に勘づいて、わたくしは気分が一気に冷める。



「君のことを警戒しているからいりませんのです」

「ほう。それは男として見られているという事かのう」

「悪い意味で正解ですー」



大人様ランチを食べ進める手を止め、ミフネくんをじっと見つめた。

柔和な笑みではあるが、彼は『男』の眼差しだった。



「君、ずいぶん大人になりましたね。わたくしの方が歳上なのに生意気なのですー」

「まあ、四十じゃし」

「女の肌で寂しさを紛らわそうとするとこがです」



ミフネくんの笑顔がひきつる。



「みーくんに聞きましたよー。君、ずいぶん人を誑かすのが上手くなったんですねー?」

「さあ。どういう意味かの」

「相槌打つだけで女をお持ち帰りするスキルが高いそうでー」

「それがどうしたという」

「別にー。ただ、昔の君とは違うなーと」



わたくしが知っているミフネ少年は、卑屈でも人の気持ちを弄ぶような人間ではなかった。

野良犬のようながら、心は純朴だった。

けれどもミフネくんは、この男は、そういう大人に成長してしまっていた。成り下がったのだ。



「失敗と苦労が詰まった人生の末に得たスキルじゃ。放っといておくれ」

「言われなくても。君が闇堕ちしてもわたくしには関係ない話なのですー」



半分残ったハンバーグをさらに切り分けているわたくしにどこか白けたような笑みを向け。

不意にまだ数口しか飲んでいなかった酒をひと思いにあおるミフネくん。

あれ、この子アルコール飲めるのか?



「ふにゃあ」

「あーら、まあまあ。潰れちゃったのですー?」



止めるまもなく、ミフネくんはテーブルに頭突きし一瞬にして酔い潰れた。

酒に弱いのになぜわざわざ飲むのだろう。

自分の羽織った赤色の着物をミフネくんに掛けてやる。

いびきをかいているから聞こえてないだろうが、こう言った。



「そんなに寂しいのは、一人じゃなかった頃があるからでしょー」

おかえり(キース、ルーク、ラスカル)

「おそい」


テーブルに顎を乗せ、いかにも不機嫌そうな女が唸る。

正面に座る帽子を被った男は、そんな様子を一瞥しすぐに手元のスマートフォンに視線を戻した。

すると男の顔面めがけて飛んでくるミカンの皮。

今し方二人で食べていたものだ。食べ物を投げてはならない。


「なんだよ」

「おーそーいー。って言ってるんだよ」

「ウーバーイーツは頼んでねぇぞ」

「うるさい、豆腐の角に頭ぶつけろ」

「愉快な返事しただけですげぇ辛辣だなおい」


遅い、とは何のことか。

この不機嫌爆発女が慕う者のことである。

いつもなら仕事を終えると一目散に帰ってくるその彼だが、今日は仕事の付き合いだとかで飲みに行っている。

彼女はそれが気に入らないのだ。


「なんだ飲み会って……飲みならぼくと飲めばいいだろぅ……」

「プライベートと仕事は違うからな」

「そうかぃ。じゃあぼくもう寝てもいいんだね。起きてルークを出迎えなくていいんだね」

「勝手にすりゃいいだろ。あぁ、来たら起こしてやろうか」

「ありがとうございますこのやろう」

「感情ベクトルどっち向きだよ」


怒りの就寝タイムに突撃しようとしたちょうどその時。

玄関ドアが開く音が、リビングに届いた。

話題の彼が帰宅した様子だ。


「ただいまぁ」


ほろ酔いらしく、赤らめた顔を機嫌良さそうに向けてくる。

して、彼女の反応は。


「おかえりぃ」


ふにゃふにゃに蕩けたような満面の笑顔を浮かべていた。


「おい、お前今の今までの仏頂面どうした」

「え、仏頂面?ラスカルが?」

「そんなことない。ぼくはずっとにっこにこだよ」

「そうだよなぁ。変なこと言うなよキース」


引くほどべったりくっついて蕩け顔を浮かべる男女の姿に、帽子の男は、できる限り関わりたくないと思い至り。


「……すっぺえなこのミカン」


ただ黙々とミカンを食べた。

手篭め(クローバー、ラスカル)

クローバーが家に来た。

それはいい。最近ではよくあることだから。

だけど……なんだろう、今日はクローバーの機嫌が悪いように思う。

他に誰もいないせいか、ずっとぼくを睨んでいる。


「お茶でも飲むかぃ」

「……」


さっきからこんな調子だ。

何を言っても、あるいは聞いても、黙殺。

ぼくはもともとこの男が恐怖の対象だから、今の状況が不安でならない。


「……ぼく、部屋に戻るね」

「……部屋?」


と、クローバーが反応を示した。


「何故だ。俺と一緒にいるのは嫌だってかァ?」

「え」

「偉くなったもんだなァ、チビの分際で」



大股で近付いてきた、かと思えば、体ごと思い切り壁に叩きつけられた。

万力かと思う程強い力で、肩を握りしめられ、諸々の痛みにぼくは顔をしかめた。


「ちょっと、離しておくれ。痛いんだけど」


目の前に立つ男に抗議する。

起立状態のままながら、半ばぼくに覆いかぶさっているその男は、大層機嫌が悪そうだった。

なぜだか息は荒いし、いつ蒼白な顔色は若干赤みがかっている。


「聞いてるかぃ。痛いって」

「誰にもの言ってやがる、メス犬の分際で」

「……?え、メス犬ってなに……」


そこまで言って、下腹部の辺りに何か違和感を感じた。

何か、固くて大きな物体が、当たっている。

確認するために目視して……心底後悔した。

そして、そこでようやく、ぼくは自分の置かれた状況を理解するのだ。

息を飲んだぼくに、彼はギラついた目を細めた。

逃げようとしたけれど、時すでに遅し。

彼は易々とぼくの体を床に組み伏せた。


「まってまって、うそだろ!?」

「黙れ」


必死の抵抗をものともせず、微妙にサイズの合わないワンピースの前を引き裂かれる。

ケロイドだらけの醜い体が露になる。

怖すぎてろくに悲鳴も上がらなかった。


「何だ、ブラもつけてねェのかァ?」

「へ……ぶら、って、なに」

「女物の下着だ。女だったら普通はつける」

「ぼく、女じゃ、ないっ……」


震え上がりながらもいつもの習慣で、『女』であることを否定した。

すると、彼は鼻で笑った。


「女じゃないだと?じゃあ男だってのかァ?股に立派なブツついてるか見てやろうか」


言うが早いか、彼はぼくのはいているトランクスの隙間から手を差し込ませ、そこに触れる。

夢の中以外でそこを他人に触れられたのは、初めてだ。

何か、大切なものを失った気になった。


「あァ、ついてたなァ。少し小さいが」

「ひっ、やだ、そこいやだっ」

「触っててやるから勃たせてみろ。男ならできるだろォ」


言いながらそこをこねくり回される。

痛かったらまだ良かったけれども、彼は絶妙に力を加減していて。

ぼくは浅ましくも多少の快楽を拾って、体を震わせてしまった。


「ほらどうした、勃ったら次は出してみろ」

「やだ、やだ、違うの、ちがうのっ」

「何が違う。言ってみろ」


たぶん、彼にはぼくが何を言いたいかはわかっているだろう。

わかっていて知らんぷりしているのだ。

ふと、刺激が止んだ。

やめてくれたのかと思ったけれど、違ったようだ。


「っーーー!!」


お股に少しの痛みが走った。

同時に何か、長くてごつごつしたものがお腹の中に入ってくる感触。

指が、入ってきている。

一本?二本?分からないけど圧迫感がすごい。


「おかしいなァ?男ならこんな所に穴なんかないはずだが」


痛みが収まらない間に中を掻き回される。

指とはいえ、ぼくにとっては異物だ。

異物で自分の体の内側を擦られている感覚がこわくて、再び精一杯暴れる。

ものの見事に意味はなかった。


「お願い、おねがぃ、これ以上はだめ、やめてぇっ」

「なら言え。お前が本当は何なのか」


ぼくが、何なのか?

性別の話だろうが……認めたくない。

絶対に自認したくはない。

けど、この怖いだけの行為が終わってくれるなら言うべきだ。


「ぼく……は」

「はっきり言え」

「ぼくは、男じゃ、ない……っ女、だ……!」

「あァ、そうだ知ってる。ずっと前から」


今まで以上に、涙が溢れ出てきて顔が濡れた。

認めたくない事実を、無理やり認めさせられた。

こんな形で。昔馴染みに。

それこそ女みたいにめそめそするぼくを、目の前の男は何を思って見ているのか。


「どう、して……?なんでこんな事するの……?いつも優しくしてくれてたのに……っ」


泣きを入れたぼくを、彼はしばらく無言で見つめていた。

が、やがてこう言い返してきた。


「……別に。ただ、お前がただのメスだって思い知らせたくなっただけだ」


不意に、脚を大きく広げられた。

疲れてぼんやりしつつも意識をそちらに向けたが、それは過ちだった。

次の瞬間、凄まじい圧迫感と体を引き裂かれるような痛みに支配される。


「か、はっ……ひっ……」

「痛そうだな、ラスカル」

「ひた、ひっ……いた、ぃ……や、やっ……」


既に気絶寸前のぼくの腰を掴んで、彼は動き始めた。

痛い、痛いいたいいたいいたい。

助けて。

こんなのはいやだ。

だってぼく、子宮がないんだ。

子供ができないんだから、性行為なんか意味ない。

だからお願い、やめて。


……そんなような趣旨のことを、延々と泣きわめいた。

けれど、その行為は結局ぼくが気絶するまで続いたのだった。


「……これで俺の物になった……」


薄れゆく意識の中で、恍惚としたつぶやき声が聞こえた気がした。

駄菓子屋へGO(ハイジ、ルーク、ラスカル)

商店街の片隅に佇むとある店に、ルーク少年は毎日のように通っていた。

甘党たる彼が通うところだ、当然お菓子を売っている店である。

が、その店の風変わりなところは、店主の存在。

ある者はケチなおっさんだと言い、ある者は優しい少年だという。



「で、ここがその店」

「……ここ?」



そんなわけでルークとラスカルのミニ友達コンビが、その店に来ていた。

ぼろ……否、奥ゆかしい。実に奥ゆかしい外観だった。

看板には、外国語……日本語だろう。おそらくは店名が書かれている。



「あれ何て読むの」

「んー。あれはなぁ」

「ササガワ駄菓子店、や」



店先で突っ立っていたせいか、人が横槍を入れる形で答えてくれた。

見れば、あどけない少年が居た。

両眼の色が違うオッドアイの、ストライプ柄のコートを着た子。

口にはタバコに似た何かを咥えて、ふたりを見据えている。



「よっ、旦那!」

「おう。オマエも飽きひんな、またキャラメルか?」

「それもあるけど、今日はこの子紹介に来た」



この子、と差し出されたラスカルは、会話の流れで理解する。

店主なのだ。このあどけない少年が。



「き、きみ、ぼくとそこまで歳変わらないんじゃない?ちょっとお兄さんなだけで。だいじょうぶ?法にふれてない?」

「なんや失礼やな。ルーク、オマエの友達めっちゃいい度胸しとるやんけ」

「ラスカル。この人はな、ハイジさんていうんだ」

「おしえておじいさん?」

「誰がアルプスの少女や。駄菓子屋の旦那、ササガワハイジさんやっちゅうに。あと今年で五十やで」



衝撃の事実にラスカルが叫べば、ハイジはにやっとした。

紹介もほどほどに、店に上がる友達コンビ。



「びっくりしたね!お兄さんどころか、おじちゃんだったんだね!」

「だなぁ。あ、コレ美味しいぞ。食べたい?」

「食べたい!」



こんな調子で、駄菓子を選んでいくふたり。

五円チョコ、サイコロキャラメル、ココアシガレット、その他もろもろで買い物かごを山盛りにしていく。

ハイジは、居住スペースだろう和室から、あぐらをかいてふたりを眺めていた。



「オマエら、お似合いやな」

「へ?」



唐突にそんなことを言いだすハイジ。



「嫁はんに貰ったれよ。そのちっこいの」

「よめっ……!?」

「そいつ孕ませまくって、幸せなればええやん?」

「旦那ァァァァ?!」



すかさずルークがラスカルの耳を塞ぐ。

そんなことせずとも、幼いラスカルには意味などひとつも分からないのに。

ハイジがさも楽しそうに、けらけらと笑う。



「冗談冗談」

「冗談がえぐくない!?」

「八方美人やからな」



八方美人というのは、こういう時盾に使うための言葉だったろうか。

ルークが未だぎゃあぎゃあ言う様をハイジはにやにやして見ていたが、何を思ったか、そっとルークの頭に手を伸ばした。

そのままゆるゆると撫ではじめる。

ルークは、なぜ撫でられているのかよく分からないようで、きょとんとしていた。



「オマエらだけは、幸せになるんやで」

甘え(ハイジ、ミフネ)

「おい」

「ふにゃあ」

「おいて」



ミフネとハイジの兄弟が、珍しく肩を並べて酒を嗜んでいた。


「なんやねん、何かあったんか」

「教えん……どうせ兄さん真面目に聞かんじゃろ」


疲れていた。

社会というのはどこも戦争のようなものだ。

誰もかれもが妬みあい、裏切りあう。

良かれと思ってやった事だろうが、どれだけ耐え忍んでいようが、何かひとつでも間違えれば途端に潰されてしまう。

それが世の常である。

散々だ、嫌気がさしきった。


「ああ、もう、嫌じゃホンット。死にたい、……ーーーー」


最上級の泣き言を吐いた途端、ハイジにコップ一杯分の冷水をぶっかけられた。

兄の、あまりに突然の暴挙。

呆然とするミフネに、ハイジは言った。


「その言葉は、言ったらあかん」


普段の飄々とした態度は露と消えた、淡々とした口調だった。

怒っている。


「死にたいっちゅうんは、大抵の場合ただの甘えや。死にたいて言えば誰かが構ってくれる思っとるアホほどよう言う。気を引くのに一番都合良い言葉やからな」

「甘え……」

「思うだけなら勝手にしたらええけど、軽率にその言葉は使たらあかん。ホンマに死にとうなったらオレに言え。懇切丁寧に殺したる」


軽率に「死」に甘えるな、と。

カラーコンタクトで鮮やかに彩られているハイジの目が、いやに暗く見えた。

兄弟愛(ハイジ、ミフネ)

無数にいるきょうだいが、また一人死んだ。

何百もいる兄や弟、姉や妹のはずだったが、とうとうオレが最年長になった。

もはや何百回目かわからない葬儀を終え、ひとりまたひとりと帰路に着いていく。

そんな中で、オレだけが墓前に取り残されていた。



「兄さん、まだ帰らんのか」

「おん?オマエ居たん」



声をかけてきたのは、ミフネ。

見るからにコーディネートのおかしい弟である。

立派に中年ではあるが比較的新しい方の弟だ、これでも。

 


「何で残っとん?」

「墓参り代行のバイトじゃよ。四件くらい」

「地味に多いな」

「情の薄い世の中じゃからのう。家族の絆も、代行できるんじゃろ」

「薄焼きせんべいみたいやな」



スルーしたミフネ。



「今回死んだのは?」

「四百番目くらいの妹や。死因は事故死」

「こう言っては何じゃが、餓死とか自死でないだけマシかの……来世ではきっと幸せになるように祈るよ」

「ご縁があるよチョコ贈呈せなな」



スルーしたミフネ。



「兄さん。あんたは……わしらにも、幸せになるチャンスくらいはあると思うか」

「なんや、重たい話しよってからに」

「信じたいんじゃよ。苦労と不遇だらけの人生に救いがあると」

「……。……そんなもん、決まっとるやろ」

「兄さん……」

「正解は越後製菓やで」



今度はスルーせずに、ミフネがオレの脳天に拳骨を落とした。

かなり本気でやったようで、多少頭がへこんだ気がした。



「いったあ〜。何すんねん、オマエのお兄ちゃんやぞ」

「しらんわボケが。あんたにきょうだい達への愛情は無いんか。無いのう」

「確定事項かいな」

「わしゃもう行くぞ。兄さんはこれ以上きょうだいたちの墓前で馬鹿やらんどくれよ」




しらけた顔をオレに向け、ミフネが去っていく。

なんやお堅い奴やな。ちょっとしたユーモアやんか。

頭をさすりつつ、ミフネの背を見送る。



「……」



……きょうだいへの愛が無いのか?

馬鹿なことを言う、あるに決まっているのに。

愛情あり過ぎて、有り余って、気が狂うくらいに。



「だからこそオレが、ひとりずつあの世に送ってんのやろ」

お仕置(ルーク、ラスカル)

最近ラスカルに、スマートフォンを買い与えた。

俺の帰宅時間が夜遅くなった時なんかに、不安にさせないようにしてあげようと思ってのことだ。

うちにはテレビがないから、スマホがあれば動画とか見れて暇つぶしにもなるだろうし。



ーーーーー

「ルーク、ルーク。LINEとかいうの、どうやるんだぃ」

「え、LINE?」

「んん。ダウンロードってやつしたいんだけど」


ラスカルってば、どこでLINEなんて知ったんだろう。

世情に疎いとばかり思っていたから正直驚いた……けれどちょっと嬉しくなった。

こいつのことだから、どこにいても俺とメッセージ送り合いたいって意味だと思って。


「やったげる!いい子だなぁ、ラス」

「いい子?……ありがとう。でもちょっと急だね」

「え?」


いまいち話が噛み合ってなかった。

急?って、どういう意味だ?

首を傾げる俺に対し、ラスカルは疑問を解消するようにこう述べるのだ。


「あのね、さっき買い物に行った時にね。LINEやってるかって聞かれたんだ」

「は?誰に」

「知らないひと。男の人だったね。だから教えて」

「……」


完全にナンパじゃないかそれ。

なに知らない男に連絡しようとしてんだ、馬鹿かこいつ。

いやそういえば馬鹿だし世間知らずだったな。

急に気分がどん底まで落ち、更には腹の底から怒りがわき上がってきた。


「ラスカル。ちょっとベッド行こっか」

「ん、いいよ。昼寝かぃ」



呑気なラスカルへ俺は告げる。最低な気分とは裏腹に、満面の笑顔で。


「お仕置」




ーーーーーー

小さいながらハリのあるラスカルのお尻を、平手で叩く。

下着をずり下ろした剥き出しの素肌を叩くものだから、そこは既に赤く腫れ上がっている。

けれどもやめない。むしろ叩き続ける。何度も何度も。


「っひぅ!……るぅ……いたぃぃ」

「ふうん」

「いたいのっ……お願い、も、いやぁ」

「そっか」


笑顔で叩く俺なんていつもと違うから怖いのだろうか、力無く頭を振って、いやいやと泣いてる。

最高に可哀想で、可愛い。


「ね……お仕置、別のがいい……」

「別のって何だ?」

「あの……えと……っ」


口ごもるなら、そういうことを心底望んではいないんだろ。

そんな意地悪を言って……けど、少しだけ労わってあげようと思って。

腫れたお尻を、ゆるゆる撫でさすってやった。

ああでも、痛みで麻痺した状態じゃあ、分からないかもしれないな。


「ルーク、ごめんなさい、ルーク、ルークぅ……」

「なぁ。なんでお仕置してるのかわかるか?」

「るーくぅ……ごめんなさいぃ」


聞こえてない。

痛みと恥ずかしさで意識が朦朧としてるみたいだ。

壊れた玩具のごとく、ただただ謝罪と俺の名前を繰り返す、可愛い可愛い恋人に、俺はようやく満足できた。


「ラス」

「ごめんなさい……」

「ん。許したげるよ」


ベッドにうつ伏せ状態のラスカルの背中に覆いかぶさり抱きしめて、そう告げた。

その後もちろんスマートフォンは没収した。

怪我(クローバー、ニル)

クローバーが怪我をした。


「おい……そこはもっと丁寧にやってくれ」

「仕方ないわ。治療だもの」


ある日、クローバーに呼び出されたニル。

破局してから妙に距離があったから、少し嬉しく思いつつ彼の家へ向かったはいいが、どういう訳か彼は傷だらけだった。

仰天してどうしたのか問うニルに対し、「診ろ」と一言返ってきて……今に至る。


「で、どうして怪我したの」

「……」

「黙秘?」

「お前は知らなくてもいい」

「ねぇ、この後時間ある?良ければ一緒にお茶しない?」

「仕事がある」


淡々とした会話だった。

裂けた傷口を縫ってやり、包帯を巻いて、治療はおしまい。

完了の合図をすればクローバーはさっさと服を着る。


「お大事にね」

「あァ、世話かけたな」


言いつつ、懐の財布からお札を何枚か出し二ルに差し出す。


「いいわよ別に」

「いいから受け取れ」


それでも躊躇していれば、痺れを切らしたようにクローバーがお札をテーブルの上に置き。

そのまま挨拶もそこそこに出ていってしまった。

残されたニルは、ただ静かにテーブル上のお札を見つめていた。

心に残るのは一抹の寂しさ、後悔の念。

クローバーが真実を知る前も、今回と同じく怪我を診てやることはあった。

けれどもその頃は、ただの一度も金など渡してこなかった。

他人になったのだ。与えられた恩に見合った金銭を払うくらいには。


「……ごめんなさい」


裏切りの代償はささやか、だが確実に胸に刺さった。

発狂した日(ハイジ)

可愛がっていた末弟が死んだ。

それはそれは酷い死に方だったと聞いている。

拷問されたあと、友人の前で首を切り落とされたとか。

何故あいつは死ななければならなかったのだろう。

夢に向かって生きていく姿は、報いを受けるほど罪だったか?


「兄さん……俺、もう疲れたよ」


無数にいるきょうだいの一人が嘆いている。

たしか二百番目くらいの弟だが、こいつはよくオレに愚痴を吐きに来る。

気持ちはわかる。

オレ達きょうだいの人生は等しく不遇だ。

嘆くのも無理はない。そう思っているからいつも愚痴に付き合っている……が、今日は少しそれが苦痛に感じた。


「兄さん聞いてる?」

「あー……すまんけど、今日は帰ってくれへんか。ちょい具合悪いねん」


そう返すと、弟は顔を真っ赤に染めた。怒りで、だ。


「兄さんまで俺を蔑ろにするのかよ!?」

「違う、違うて。落ち着きぃや」

「あーーーーもう!!俺はこんなに苦しいのに軽んじやがってよォーーーー!!死にたい!!もう死にたい!!」


心にヒビが入ったのを感じた。

胸の奥に、どろどろした物が溜まっていく。

このままいけばそのどろどろでオレは破裂するだろうと直感した。


「……おい。死にたいとか言ったらあかん」


オレは愚痴はいくらでも聞いてやるが、希死念慮をちらつかせる事だけは許さない。

軽々しく、死にたいなどと言うな。

先に逝ったきょうだい達もルークも、まだ生きていたかったのに殺されたんだぞ。

人に甘えてもいいが「死」に甘えるな。


「うるさい!!どうせ……!きょうだい皆そう思ってるよ!!」


きょうだい、全員が……死にたいと思っている?

………………。

…………………………………………。

……妙に納得した。


「……そうか」


まるで濃い霧が一瞬で晴れた心地だった。

そうか。そうだったのか。

皆、死にたいのか。

ならオレが兄貴としてできることはひとつしかない。

テーブルに突っ伏してまだ「死にたい」と言っている可愛い可愛い弟。

その頭に、手近にあった灰皿を思いきり叩きつけた。


「そうかァ……こうすりゃ良かったんや」


弟が何か叫んでいた気がする。

助けてとかやめてと聞こえたような気もする。

だがきっと気のせいだから構わず灰皿で殴りまくった。


「きょうだい全員殺してまえば、みんな幸せなんや。もう寂しくないんや」


オレはもう、きょうだいが他者の手にかかって死ぬのを見たくない。

ならば救ってやろう。殺してやろう。

床の血だまりに胸が踊り、オレは満面の笑みを浮かべた。

かんざし(ミフネ、コノハナ)

「おや、今日は髪おろしとるんじゃの」



兄に指摘され、コノハナは反射的に頭に手をやった。

彼女は普段、かんざしを好んでさしている。

なのに今日に限ってかんざしをさしていなかった。



「あァーー……どっかに失くしちまってよぅ」

「ほうか。おろしてても可愛ええよ」

「そうかァ。あたしはイマイチ、締まらねェけどな」




鎖骨あたりまである金色を、鬱陶しそうに払いのけつつコノハナは嘆息する。



「代用品とか無いもんかねェ」

「かんざしの代用品て何じゃろうな。割り箸?」

「それだ。割り箸くれよぅ」

「待ちなさい冗談じゃよ、女の子が頭に割り箸さすもんじゃない。手作りロボットじゃないんだから」

「ペットボトルロボだろうが人間の頭部だろうが変わらねェよ」



させれば何でもいいと言うコノハナ。

対してミフネはこだわり、譲らない。



「あっ。そうじゃ」



と、ミフネが急に自室に引っ込んだ。

オンラインゲームのログインボーナスでも忘れていたのか?

さほど気にせず煙草に火をつけると、ちょうどミフネが戻ってきた。

にこにこして何か差し出すミフネ。

その手には、化粧箱に収まった一本かんざし。



「どーしたァこれ」

「ハナちゃんにあげようと思ってのう。ちょっと前に買っといたんじゃ」



箱から取り出し、まじまじ見てみる。

煙管の形をしたかんざしだった。

ミフネが普段喫煙するときに使うデザインと、よく似ている。



「……」

「ハナちゃん?どうした、気に入らんか?」

「いや。めちゃくちゃ気に入った、サンキュ」



コノハナは、淡々と礼を述べた。

早速髪をまとめつつ、コノハナは考える。

ミフネは知っているのだろうか、男が女にかんざしを贈る意味を。

一般教養としてなら知っていそうだが。



「おお!愛いのう。さすがわしの妹じゃ」

「……おう」



柔らかく笑んで誉めそやしてくれる兄に、コノハナは控えめに笑うのだった。