優しい鎖で君を縛る

俺は人間らしい人間だと思う。 人によって解釈は違うけど、俺の考える人間らしいっていう意味は『弱さを持ってること』。 強すぎる人って怖いものもなくって動じないし、感情が無いみたいで不気味だろ? 俺はその逆。 弱いし泣き虫で、だいたいの嫌なことからは猛ダッシュで逃げてる。 わかってるよ、俺ってダメなやつだよな。最低だよな。 でもそれでいいんだよって、友達が言ってくれたんだ。 弱ければ弱いほど、人は火事場の馬鹿力を発揮してヒーローになれるからって。 これはそんな俺が死ぬほどの勇気を出した最初で最後の話。 ……それと。 たくさんの約束で大好きな友達を呪った、最期の話でもある。


ーーーーー

……これは、遡ること十一年前の話。 季節は真夏。 炎天下の中で、覚束無い足取りで歩く少年……こと、俺がいた。 歳は15歳。成長期真っ盛りだけれども少し小柄だった。 女装でもしたらたちまち女の子と間違えられてしまうだろう。 顔立ちは整っているんじゃないかと自分では思ってる。 黒縁眼鏡をかけているから少しばかり野暮ったい印象を与えるだろう。 そして一番特徴的であろうポイントが、この季節だというのに、黄色いロングコートを着込んでいること。 「あーーーーづーーーいーーーー!!太陽お前ちょっと休めよ!冷た〜いミルクティーでも飲んでさぁ!今なら俺作ってやってもいいぞ」 自分から体感温度を上げるようなことをしておいてどの口が言っているのか、とかいうツッコミが飛んできそうだ。 我ながらずいぶんサービス精神のある抗議だった。 さすがにコートを着込んだまま過ごすにも限界を感じたので、穴場である涼しい場所へ向かっていた。 通っている学園の屋上である。 日光が燦々と降り注いでいるかと思われがちだが、実は緑が豊富で、うまい具合に日陰が確保できるのだ。 そんなわけで、俺は屋上という名のオアシスへ向かっていた。 ……………しかし。 「……え、えええええええ!?」 肝心の緑がほとんど無くなっていた。まさかの事態である。 「なんで!?何で木とか植え込みとか無いわけ?俺のオアシスは何処!?」 「用務員さんが間違って刈っちゃったんだよ」


と、ここで更なる予想外の事態。 屋上にはひとり、先客がいた。 ひどくぼさぼさの短い髪の、とても小さな子だ。 制服を着ているから、ここの生徒だろう。 コートの俺と同じく、暑苦しい長袖を着ている。 「え、誰?」 「きみこそ誰」 質問を質問で返された。 「俺はルークだぞ。ルーク・ローレンス」 「ふうん」 ふうんって、おい。こっちが年上だからって百歩譲って先に答えてやったのに、塩対応もいい所じゃないのか。 思わずイラッと来てしまった。 「お前も名乗るべきだと思うんだけど」 「ぼくラスカル」 「世界名作劇場の?」 ちょっと茶目っ気を出して言ってみたら無視された。感じの悪いチビッ子だ。 今度こそ腹が立ったから、少し意地悪をする事にした。 「なぁ、どっか行ってくれないかな」 「なんで?」 「ここは俺の特等席なんだよ。第一、お前多分小学部だろ。先輩の言うことは聞いといた方がいいぞ。さもないと……」 「さもないと、何。ケンカ売ってるの?ぼく強いよ。きみみたいなチビ先輩ぼかぼかにしちゃうよ?」 「すいませんでした」 戦う前から負けてしまった。あっさり頭を下げた俺を一瞥もしないで、ラスカルと名乗ったチビっ子はただそこでじっとしている。 ……この子は、こんな暑い日にここで何しているんだろう。 「暑くないのか?」 「きみこそ。コートなんか着て、あつくないの」 「暑い」 即答してやった。当たり前だろ?真夏にロングコートなんか着てるのとか、我ながら正気じゃない。 しかも黄色とか、レトロ過ぎる。オシャレ番長すぎる。 「じゃあ何で着てるの」 「……それは……ひ、秘密!トップシークレットだよ。っていうか質問はぐらかすなよ」 「なに」 「だから、暑いだろって」 「あつい」 ラスカルが半分呻くように返した。 ほんの一言だけだけどメッセージ性を感じる。 わかりやすく説明するならば……とんでもなくイライラしている様子だ。 「あつい……あついよ。涼しいとこ行きたいよ。水飲みたいよ……ちくしょう」 ブツブツ恨み節っぽいものを呟くラスカル。こ、こわい。何この子どうしたの? そんなに暑いならさっさと室内に入るとかすればいいのに。 あ、もしかしてこの子ドMくんなのかな。こんなちっちゃいうちから将来有望だなぁ。 「でもダメだ……ここに居ろって言われたんだから、居、なきゃ……」 「っ!?」 今の今まで膝を抱えて座り込んでいたラスカルが、ぱたりと横たわった。 眠いのかな、と思ったけど違った。そろーっと顔を覗き込んでみれば、ラスカルは汗だくで荒い呼吸をしていた。 「お、おい、大丈夫か?なぁ!」 「……はぁ、……は……っ」 額に手を当てて驚く。すごい熱さだった。 こんな炎天下の中で、いつからいたのか分からないほど直射日光に当たり続けていたんだ。 このままだと死んでしまうかもしれない。 俺は咄嗟にラスカルを抱き上げて走り出した。


とにかく水で冷やさなければ。 そう脳裏に過って、体育館のシャワールームに駆け込んだ。 幸か不幸かシャワールームには誰もいない。 ラスカルを床に下ろして、冷水を浴びせかけてやる。 冷水の飛沫が火照った俺の体にもくっついて、気持ちいい。 ラスカルの様子を真上から見下ろしていると、少し表情が和らいだ。 あとは……そうだ、服脱がさないと。 剥ぎ取るように制服のシャツを脱がし。思わずぎょっとした。 「え……なんだこれ」 首から下の小さい体が、包帯でぐるぐる巻きだったんだ。 怪我してる。それもすごい重傷。 何があったんだろう。何者なんだろう、このラスカルって子。 ーーー だいたいクールダウンしてやれた頃、シャワールームから出た。 腕の中で眠るラスカルは、まだ苦しそうだ。次は……そう、保健室。 保健室に行って、先生にラスカルを預けよう。それで俺の役目は終わりだ。 「あれっ?」 脱衣場にて、ラスカルの身にまとわりつく服の残りをぬがしていく過程。 ズボンを脱がした時、ちょっと妙なことに気付いた。 股に『膨らみ』がない。要は、その……男ならあるはずのアレが無い。 よっぽどちっちゃいのかな。あんまり深く考えずに、パンツも引き下ろした。 「……え」 待て待て待てちょっと待て。何これ?サイズの問題じゃなかったんだけど。 この子、ついてないんだけど。しかもこれ保健の教科書で見たことある。え、まさか。 「お……女の子ーーーーーー!!?」



ーーーーーー 「先生ぇええええええええ」 保健室のドアを狂ったように叩いた。さながら借金の取り立て屋のように。 今さっき見たとんでもないものについて、保健室の先生に話しに来たのだ。 がらりとドアが開く。 真黒い髪と真黒い目、それにカソック姿が特徴の、保健室の先生が顔を出した。 「うるせーですよォ……せっかくいい気持ちでサボってたのに、なんなんですかァ」 「サボるなよ、仮にも先生だろ……」 「先生じゃなくて神父様って呼びなさい。そっちが本業ですから」 叫びすぎて息も絶え絶えの俺を面倒そうに見下ろす、先生もとい神父さん。 名前は、トオヤマシズカ神父。 物心ついた時から、この人にはお世話になっている。 俺は教会の孤児院で育ったから。 「神父さん、やばいよ!俺やばいもの見ちゃったよぉお!」 事の経緯を全部まるっと話した。 神父さんはタバコをふかしながら聞いてくれていたけど、それはこの際ツッコまない。今それどころじゃないし。 「女の股を見たァ……?」 「何で男子校に女の子いるんだよぉおおおおお!!び、びっくりしたっ……」 「で、その女子は今どこに?居ねーみたいですけど」 「寮の、俺の部屋にいるよぉ……まだ起きないから……」 「何でここに連れてこなかったんです」 「だって神父さん、何かしそうなんだもん!」 「失礼ですねェ……俺ァガキにゃ食指は伸ばしませんよ」 「っつかどうしよう責任問題だよぉおお」 頭を抱えて泣き叫ぶ俺の姿を見せつける。 そうすれば、神父さんが助けてくれると思ったから。 「じゃ、責任持ってお前が保護しなさい」 けど甘かった。というか忘れていた。 神父さんはこういう時、あんまり積極的に他人を助けないんだってこと。 「えっいや、でもあの、家族に迎えに来てもらうとか」 「家族に会ったら余計まずいんじゃねーですゥ?性別割れたってことは、証拠見たって事ですし」 「う」 「つー事で、しばらくお前が面倒見てやんなさい。はい解決」 勝手に話を終わらされ、「まだサボりたいから」とか言って保健室を追い出されてしまった。 神父さん、あんたそんなんでよく聖職者やってられるな。



結局、ラスカルが起きるまで俺の部屋で保護する事になった。 ベッドに寝かせたラスカルを、傍らに座り込んでじっと観察する。 今女の子が、俺の部屋の俺のベッドで俺の服を着て、安らかな寝息を立てて眠っている。 なんか、変な感じだった。どうしたいとかそういう訳じゃない。 単純に、俺が女の子と話したこともなかったってだけだ。 「……初めて人助けしたな」 別に、人助けしたかった訳じゃなかった。 ただ、少しでも関わった人間が死んじゃって、その責任が俺に押し付けられるのが怖かった。 それだけ。臆病だと思うだろ?実際そうだもん。……けど少しは感謝されたいなぁ。 ……しかし起きないな。 もう三日は寝ているのに、どれだけ眠るんだろうかこの子は。コアラの子孫なのか。 「あ」 目が開いた。 改めて見た目は、曇った空みたいな色の瞳だった。 目が合った瞬間、ラスカルは跳ね起きた。   「え、え、だ、だれ?」 「お、おはようございますッ」 「あ、おはようございます……え、だれ?」 焦燥のあまり元気よく挨拶してしまった。 起き抜けで混乱しつつもちゃんと挨拶し返してくれるあたり、この子は案外いい子かもしれない。 「あの、俺のこと覚えてる?」 「えっと……わかん、ない」 「俺はルーク。ルーク・ローレンス」   一応名乗り直してみたけれど、やっぱり忘れてるみたいだ。 きょとんとしていて、頭上に疑問符が浮いて見える。   「ほら、屋上でさ、暑い暑いって言ってたらお前、倒れちゃって」 「……ぼくたおれたの?」 「うん。ぱたって」 「で、きみが助けたの?」 「うん」   一応、助けてやったわけだし感謝されるだろうと思っていた。けれど期待は裏切られた。 ラスカルは幼い顔に似合わない憂鬱そうな表情を浮かべ、あろうことかため息までついたのだ。   「助けなくてよかったのに」 「は!?な、なんだよその言い草!せっかく俺がっ……」 「んーん。ごめんね、違うんだよ。ぼくは助かって嬉しいけど、ほかの誰も、それを喜ばないだろうなぁって」   急に寂しい事を言い出すラスカル。 包帯だらけの体からして、いじめか虐待でも受けているのか。


「……お前、なんでずっとあんな所に座ってたんだ?」 「あそこにいろって言われたから」 「誰に?」 「あにき」 「兄貴?お兄ちゃんいるのか」 「正しくは、鬼いちゃんかな」   ラスカルには、血の繋がらない兄弟がいるらしい。 その兄貴はラスカルにすごく冷たくて、痛くて悲しいことを毎日たくさんする。 殴る蹴るは当たり前。髪を引っ張る。ご飯を作ってあげても捨てる。 今回だって、炎天下の野外に「そこを動くな」と置き去りにされて、ああなった。   「……ひどい」   率直な感想を漏らす。ラスカルは遠くて虚ろな目をしていた。 「誰だか知らないけど、その兄ちゃん酷すぎるぞ!死んじゃったらどうすんだよ!」 「死んでほしいのさ、きっと」 「義理でも家族だろ!?妹にそんなことするなんて、最低だよ!」 「いもうと?」   ラスカルがまたきょとんとする。しまった、失言だった。   「弟だよ?ぼく、女の子じゃないもん」 「いや、あの……」   体を包む衣服の感触に違和感を覚えたのだろう。 ラスカルが自分の体……というか服装に目を落とした。あぁ、固まっている。   「え……な、なんでぼくおっきな服着てるの」 「あの……それ俺の、貸してるっていうか」 「ぱ、パンツもはいてない!どこいったの!?」 「洗濯中ですごめんなさいッ!!」 土下座して、洗いざらい白状……いや、説明した。 お股を見てしまったくだりで、ラスカルは泣き出した。   「お嫁に行けないぃいいい」 「大丈夫だから!あの、もし行き遅れたら俺が貰ってあげるから!」 「のーさんきゅーだバカぁあああ」   わんわん泣きながら、ベッドを転げおりる。 「え、どこ行くんだ?」 「帰るの!そろそろ暗くなるし、お夕飯の支度しなきゃ怒られるから!」 「まだ寝てなきゃダメだよ!調子悪いんだろ?」 「ぱーてぃーぴーぽーみたいに元気だもん!」  「嘘だよ、三日も寝てたくらいなんだから!」 「えっ」   ラスカルが、また固まった。 「三日……って、三日間、ぼくずっとここにいたの?」 「うん」 「自分の部屋に帰らずに?」 「うん」 急にラスカルが泣き止んだ。 その代わりに、みるみるうちに顔が青ざめていく。 そして、床にゆっくりと倒れ伏した。卒倒したのだ。   「ら……ラスカルーーーーーっっっっ」


 

一週間後。

 

「ラスカル〜〜……」

「……」

 

ラスカルはまだ俺の部屋にいた。兄貴に怒られるのが怖いのだという。

何日も無断で部屋に戻らないラスカルを、そいつは絶対に許さないだろうから。

きっと、戻ったところで今まで以上に酷い目にあわされるに違いない。

俺は俺で、別に部屋に居候がいることは苦痛じゃなかった。

保護していたのが鬼兄貴にバレた時は、全力で逃げるけど。

 

「なぁ」

「……なに」


部屋の隅で縮こまっているラスカルに、声をかけ続ける。

ずっと無視されてたけど五十回目くらいでようやく返事された。


「そんな所でちっちゃくなってないでいいんだぞ?のんびりしていいんだよ」

「ぼく、いそーろーだから」

「俺は兄ちゃんみたいに怒ったりしないよ」

「……」

 

また黙りこくってしまった。

ラスカルは、ちょっと暗いやつだ。

笑わないし無口だし、雰囲気も固い。

女の子ってみんなこうなのかと思ったけど違う。

この子には、何か一人で抱えてる重いものがあるんだろう。

二人っきりでいるうちにだんだんとこの子の雰囲気に慣れてはきた。

だからこそ、ちょっとでいいから打ち解けたい。そう思った。

 

「むー……」

 

女の子って、何したら喜ぶんだろう。

頭を撫でたり?いや、拒絶されたら俺が立ち直れない。

花でもプレゼント……いや、ないか。

考えれば考える程『女の子』を知らないのを痛感する。

じゃあ逆に俺は何をされたら喜ぶ?

 

「……あ」

 

甘いもの。お菓子あげてみよう。

俺はクラスメイトから「女みたいなやつ」とよくいじめられる。

理由のひとつとしては、甘いものが何より好きだから。

世間一般では甘いものイコール女の子らしい。

だからもしかしたら、ラスカルも。

 

「なぁ、ラスカル?」

「……なに」

「甘いものいるか?」

「あまいもの?」

 

久しぶりにラスカルがまともに反応してくれた。

コートのポケットからキャラメルを出して、差し出す。

ラスカルは目を輝かせているが、同時に戸惑っている様子だ。

 

「た、食べていいの?」

「うん」

「怒らない?ぶったりしない?」

「しないよ。する理由がないから」

 

それでも渋っているラスカル。

その小さい口に、思い切ってキャラメルを押し込んだ。

ぴくりとも動かないし喋らない。

硬直している……いや、口がちょっと動いてるから、味わっているのか。

 

「どうだ?」

「……おいしい……!」

 

白いほっぺたをほんのり桜色に染めて、ラスカルが顔を綻ばせた。

わ、笑った……!初めて笑った!


「おいしい!ぼくこんなおいしいの食べたことない!」

「そ、そっか。なら良かった……もう一個だけ食べるか?」

「うん!」

「ちゃんと口の中にあるやつ無くなってからな」

「ん、……わかった」 

 

早く口に入っているキャラメルを溶かそうと口をもごもごさせているラスカル。

俺も隣に座って、一緒に頬張った。

未だ嬉しそうにキャラメルを味わっているラスカルの横顔を、同じくにこにこしながら観察していれば、気づいたようでこっちを見上げてくる。

 

「なぁに」

「いや、お前も笑うんだなって」

 

ふとラスカルの表情が曇る。

どうしたんだろう。何かまずい事言ったか、俺。

 

「……ごめんなさい」

「えっ、何が」

「ぼく笑ったらダメなのに、笑ってごめんね」

 

本当に申し訳無さそうに謝ってくる。

どういうことだろうかと首を傾げてみせると、ラスカルが説明し出す。

 

「ぼくが笑ってるとね、みんな怒るんだ。おとうさんもあにきもクラスの子も」

「え……どうして?」

「よくわかんないけど、怒るの。もう笑うのやだ……ぼくが笑ってるとみんな怒るもん。きっとみんなふ、ふゆかい、なんだよ」

 

難しい言葉を知ってるチビッ子だ。

ともあれ、ラスカルの態度の理由がはっきりした。

端的に言えば、ラスカルも俺と同じくいじめられっ子なんだ。

家族にもクラスメイトにも迫害されて笑うのが嫌になったんだ、と。

 

「少なくとも俺はラスカルの笑った顔好きだぞ。バターが溶けたみたいにふにゃふにゃって笑う顔、大好きだよ」

「う、うそだもん」

「俺は嘘つかないぞ。……上手く嘘つけないから悔しいし、つかない。だから笑っててくれよ。ずっと」

「……わかった、笑ってるね。きみが言うなら、ずっと」

「うん。約束だぞー。指切りげんまん」

 

これが俺とラスカルの最初の約束だった。


それから、ラスカルはとてもとてもいい子になった。

素直になったし、よく笑ってくれるし、俺の言うことをよく聞くようになった。

毎日俺と部屋で一緒にいて、おしゃべりして笑い合っておやつ分け合って。

お風呂にも一緒に入ってる。その後、体に傷薬を塗ってあげるんだ。

最初は女の子とお風呂なんてって照れてたけど、もう慣れた。

だってこんなちっちゃな子に変な気持ちなんか抱くはずないし。……たぶん。

ただ。ラスカルと一緒にいるのは楽しいけど、ひとつ問題がある。

 

「てめーの趣味に集中できない……?」

「そう」

「お前の趣味って糖尿病目指すことでしたっけ」

「違うよ!?と、時計、作ることっ……だよ」

「何でそこで恥ずかしそうに言うんです」

 

だって何だか、だってだってなんだもん。

神父さんは別におかしくも恥ずかしくもないって言ってくれるけど、少なくとも自分では大きな声では言えない。

 

「俺、ちっちゃい頃から時計職人に憧れて色々作ってるんだけど……納得いくものが作れなくてさ」

「はあ」

「それをラスカルに見られて馬鹿にされるのが嫌なんだ」

「そうですか」


煙草をぷかぷかふかしながら明らかに適当に聞いている神父さん。

まぁこの人はいつもそうだから気にしないけど。


「そいつ、そんなに性格悪いんですゥ?」

「ラスカルが?まさか。すっごい良い子だよ。俺にべったり」

「じゃあ気にすることないでしょォ……いっそ時計見せちまいなさいよ」

「でも……」

「友達同士なんでしょう。趣味を分かち合えなくて、いったい何が友達なんです」


珍しく気だるくない声で言い放つと、神父さんは俺に煙を吐きかけた。

けむい。副流煙で頭悪くなったらどうしてくれるんだ。

……とかの文句が言えないくらい煙たくて、咳が止まらない。

咳き込んだままの俺の頭をがしがし乱暴にかき乱しながら、神父さんは言った。

 

「お前の趣味っていう『全部』、その子に見せてやんなさい。大丈夫ですから」




ーーーー

「……………………」

 

保健室から寮に戻ってきたはいいけど、俺は部屋の前で油を売っていた。

右手には自分で作った特製の懐中時計を握りしめて。

これをラスカルにプレゼントしようと思って。

でも考えてもみろよ、俺は根っからのヘタレだぞ。

時計職人っていう最大の夢を、俺の全てをさらけ出してラスカルがどんな反応するか。

怖い。馬鹿にされたり笑われたらどうしよう。

でもラスカルがそんなひどい子なわけはない。


「……ッ」

 

ウジウジしてたって仕方ない。

俺も男だ、友達に趣味カミングアウトするくらいすぱっとやっちまえ!

意を決して、ドアを開けた。

中にいるラスカルが嬉しそうにぱたぱた駆け寄ってくる……はずだった。

 

「え……」

 

ラスカルはいたといえばいた。

ただし、何故かもう一人いた知らない奴の足元にぐったり横たわって。

 

「ラス、カル……」

「誰だお前は」

 

知らない侵入者が俺を睨みつける。

暗い赤色をした、クマだらけの陰鬱な目。

背はかなり高くって、俺と並んだら月とすっぽん。

身の丈くらいある大きな刃物を持ってる。

一目見て、普通の奴じゃないってわかった。

 

「お、お前、だれっ……ラスカルに、何して……」

「あァ……お前か。うちの弟懐柔して帰さなかったのは」

「ってことは、お前がラスカルの義理の兄貴?」

「そうだが」


話には聞いてたけど、本当に家族を大事にする気がないらしい。

現に義理でも妹のはずのラスカルはボロボロ。

俺が整えてやった髪はぐしゃぐしゃ。服はべったりと足跡がついて。顔からは鼻血が出てる上、腫れていた。

 

「こいつは連れて帰る。邪魔したなァ」

 

足元のラスカルの首根っこを掴んで、そのまま引きずっていく義兄。

とても優しい扱いとはいえないし、何より友達にそんな事をする奴が許せなくて。


「おいっ」 


怖いけれど、ラスカルを助けなきゃ。友達だから。

  

「ラスカルを、は、はな……っ」


…………でも、必死に絞り出した声はか細すぎて、届かず。

結局俺は、無惨に引きずられていくラスカルを見送るしかできなかった。


それから、数週間ラスカルと会ってない。

あの後あいつはどうなったのだろう。凄惨な虐待の一部を見ても、助けなかった俺をきっとあいつは恨んでる。

でも仕方ないだろ?怖かったんだ。いつもいつもいじめられてるのに、この上何でまたあんな怖い奴に立ち向かわなきゃならない。

……でも、ラスカル、死んじゃったりしたらやだなぁ。せっかく初めてできた友達だったのに。


「あぁ、そいつはクローバーですね」

「クローバー?」

「ブルーノ・クローバー。最近入った転入生の。たしかお前と同い年でしたよォ」

「マジで?俺はまだこんな程度しか成長してないのに、何であいつあんなでかいの?」

「個人差の問題でしょォ」


クローバー。じゃあラスカルは、ラスカル・クローバーっていうのか。

なんで名字言わないのか不思議だったけど、あいつと同じ名字だって知られたくなかったんだろうと察した。


「そうですか、クローバーの妹だったんですかァ」

「……?何か言いたげだな?」

「いえ別に。ルークお前そろそろ出てってくれますゥ?出かける用事あんですよ」

「え、どこに」

「いいから」


話を早々に切り上げ、ぺっ、と掃き捨てるように追い出されてしまった。

助けてほしくて保健室に来たのに、ろくに助言もくれなかった。

本当になんなんだろうこの人。励ます時もあればこうやって蔑ろにする時もある。気まぐれなのか?


ーーー

どうしよう。部屋に戻ろうかな。でも今一人でいるの辛いな。

行く場所に困って廊下を彷徨っていれば、いつの間にか屋上庭園に来ていた。ラスカルと初めて出会った場所だ。

辺りを見回すけど、誰もいない。当然ラスカルも。

あいつ今何してるかな。あのおっかない兄貴に、ひどいことされてないかな。また会えるかな。また一緒に笑ってくれるかな。


「……ラスカル……」

「なあに」


ぎゃあ。声にならない絶叫が上がる。足元を見ると、ラスカル。


「ラスカル!!」

「どしたの、そんなにびっくりして」

 

曇り空の瞳で、きょとりと俺を見上げるラスカル。

至って普通の態度だ。けれど顔は泣き腫らしたみたいに赤くて、腕は折れてるのか三角巾で吊られてる。

きっとクローバーがやったんだ。痛々しい姿に目を背けてしまう。

 

「ルーク久しぶり」

「うん……久しぶり」


ぺたりと床に座り込むラスカル。それに倣って俺もそーっと隣に座った。 

俺なんかと遭遇したのの何がそんなに嬉しいのか、ラスカルはにこにこ笑ってる。 

 

「こないだごめんね、急に帰ることになっちゃって。あにきにね、見つかっちゃったんだ」

「……俺こそごめんな」

「??なにが?」

「あの……助けてあげれなくって」

 

ああ……とラスカルは声を漏らす。


「気にしないでいいよ。あにき見た目も中身も怖いもんね」

「笑い事じゃないだろ!?このままじゃお前っ」

「ぼくね、あにきに恩があるんだ」

「はっ?」


ラスカルは唐突に語り出す。義兄、クローバーとの出会いの話を。

ラスカルは父親に虐待されて、最後には瀕死の状態でゴミ捨て場に捨てられた。

それを、クローバーが拾って助けてくれたのだという。

以来、恩人と思ってクローバーに寄り添い世話を焼くが、どういうわけかクローバーはものすごくストレスを溜めていて。

八つ当たりで、ラスカルにひどいことをするらしい。

 

……最低だ。そう言おうと思って喉を使いかけた。けど、俺が言えた義理か?友達なのに見捨てたんだぞ。

ひたすらラスカルに申し訳なかった。でもさきっと俺じゃ何もできない。助けられない。

だからもう友達なんてやめてしまおう。どうせ何もできないししないなら、責任取って、独りに戻ろう。

それがお互いのためでもある。言い訳じみてて情けないけど。

……あ、そうだ。餞別に時計あげよう。ちょうどあげようと思ってたし。

 

「ラスカル。あのさ……これ」

 

コートのポケットにずっと入っていた物、懐中時計を首に提げてあげる。

ラスカルは片腕が折れてて大変だろうから、せめてもの気遣いだ。

不思議そうに懐中時計を触っているラスカルに、思いきって言った。

 

「それ、俺が作ったんだ」

「えっ。作ったの?イチから?」

「うん……俺時計職人になるの夢でさ」

「わーーーっすごい!!ルークって器用さんなんだね!」

 

えらくはしゃいで、目をキラキラさせてる。

喜んでくれて良かった。これがこんな状況でなければ泣いて喜んでたのに。

つられて笑うこともできずに、ただうつむいたままでいるとラスカルは。

 

「ありがとう!きみなら絶対なれるよ、時計職人!」

「そ、そうか?」

「うんっ。ずっと大切にするね。友達じゃなくなっても」

「……え?」

 

今、こいつなんて言った?

友達じゃなくなっても、って。まるで俺が見捨てようとしてるのがわかってるみたいな言い方だ。

驚いてラスカルの顔を見る。ラスカルはもともと垂れ気味の眉をもっと下げて、でも口元は笑ったままだった。

 

「だって、ルークもぼくのこと嫌いになったんでしょ?」

「そ、そんな、こと……」

「みんなね、うちのあにきが嫌いみたいなの。だからぼくが家族だってわかるとみんな離れてく。みんなみんな、ね」

 

人生にくたびれた大人みたいな、およそ歳に似合わない笑顔だった。

ぺたっと座り込んでいたラスカルが立ち上がる。

 

「ぼくもう行くね。今まですっごく楽しかった!ばいばいルーク」


行ってしまう。友達だと思っていたい人が、大好きな人が、ひとりぼっちで辛い目にあいに行ってしまう。

せっかく俺の夢をあんなに誉めそやしてくれたのに。俺の作った時計、大事にするって言ってくれたのに。


「お、俺さあ!!!」


学校中に聞こえるくらいの大声で、叫ぶ。

急に叫んだ俺に飛び上がって、ラスカルがこっちを振り向いた。


「身長、159cmしかないんだ!!」

「…………えっ」

「同級生みんな余裕で170超えてるのに、一人だけこれだよ!成長期って何、美味しいの!?おまけにそろそろ成長止まりそうで、もうやだ!!シークレットシューズ欲しい!!黄色いコートなら膨張色で体大きく見えるかなって思って着てるけど、暑っついんだよこれぇ!!」

 

ひと息で言いたいことを全部絶叫してやった。

息が苦しい。体も顔も頭もあつい。ものすごくコート脱ぎたい。

曇り空の目をまん丸にして俺を凝視するラスカルを、まっすぐ見つめ返す。

 

「これが俺の秘密だ」

「……は、はぁ」

「これからも俺の秘密含め、俺の全部を話すから聞いてほしい。ずっと、一緒にキャラメルとか食べてたい」


恥ずかしすぎたのか分からないけど、涙が溢れてくる。

ぐすぐすみっともなく泣きながら、すぐそこにいるラスカルを抱き寄せて、胸に閉じ込めた。 

 

「ごめ゛ん、俺、やっぱりラスカルの友達やめたくないよぉお……」

「わ、わ、泣かないで。ルーク……」


号泣している俺を、あわあわしながらもラスカルは抱きしめてくれた。

怒っても呆れてもいなくて、ただ俺を心配してくれて。

そんな様子を見て、心から思った。

ラスカルという友達が大好きだ。助けてあげたい。

だから、決めた。

俺がクローバーをぶっ飛ばしてやる。

 

「……で、果たし状送ったと」

 

煙が立ち込める保健室。そろそろ慣れつつあるこの煙たさに包まれ。

俺は部屋の主に事の顛末を洗いざらい喋っていた。


「送ったっていうか、ラスカルに渡してもらった」

「友達伝いに喧嘩売ってどうすんです。ラブレターでももう少し自力本願でしょォ……」

「だって、あいつ怖いんだもん!!やたらめったら背高いし顔色悪いし」

「それでよくぶっ飛ばそうなんて思ったもんですねェ」


呆れの色が濃い声。神父さんの言うことはもっともだ。

果たし状には、大雑把に言うと『お前をぶっ飛ばしてやるから屋上に来い』みたいなことを書き連ねた。

クローバー、きっと強いんだろうな。俺殺されたらどうしよう。でもラスカルのこと助けてあげたいしなぁ。

長くて節くれ立った指を器用に使ってタバコの灰を落とす様を睨みながら、最悪の未来を想う。


「神父さん」

「あん?」

「俺が死んだら、ラスカルのことよろしく頼めるかな」

「嫌です」

「にべもねーな……」

「死ぬ覚悟できてんなら何でもできるでしょォ……クローバーの百人や二百人フルボッコにしてきなさい」


あいつ量産されてるのかよ。

嫌だよあんなのが百人もいたら、百鬼夜行じゃん。


「ルーク、ひとつアドバイスしてやりましょうか」

「えっ。なに」

「あいつに勝てる確率が上がる、秘密の言葉があるんですよ」


聞きたいですか。ちょうど吸い終わったタバコを灰皿に押し付け、神父さんは言った。

クローバーに勝てる確率が上がる?どういうことだろうか。なんだか不穏なものを感じるけれど。

 

「……教えて」

 

今はなりふり構ってられないんだ。

唯一無二の友達が二度と酷いことされないためには、何でもするって決めたから。

神父さんが重そうに腰を上げる。タバコの香りがより一層濃くにおった。

俺の耳元にて、そっと……囁いた。



放課後、いよいよクローバーを迎え討つ時がきた。

決戦の場は屋上庭園。夕陽が照りつけるせいか、汗が止まらない。……いや違うなこれ、冷や汗だ。

だって目の前に、怖い人がいるから。でかい刃物持って、幽霊みたいな顔して、身長もやたらでかい。

そんな、人が恐怖を覚える要素をかき集めたような奴が。

 

「よ、よく来たなクローバー!」

「……」

 

無視だ。

今からぶっ飛ばそうってつもりで呼びつけたんだから邪険にされても仕方ない。

仕方ないけど、何か泣きそうになるから返事くらいしてほしい。

 

「……聞きたいことがある」

「えっ……な、なんだ?」

「俺は何でここに呼び出された」


……は?

 

「手紙に書いただろ?読んでくれなかったのか?」

「『俺の友達をいじめるな』……ってかァ?馬鹿馬鹿しい」

 

はあ???

 

「友達が酷い目にあわされてんだぞ!?助けようとして何が悪いんだよ!」

「別に悪いとは言ってない。あのチビなんか助けても無駄だってだけだ」

「何言ってんのか全然わかんねーよ!とにかく、ラスカルに謝れよ!」

「謝る意味も義理もない」


クローバーはあくまで淡々と、坦々と言う。

声にも表情にも怒りはなくて、ただ喋ってる。ラスカルを殴ったり蹴ったり骨まで折ってるのに、本当に何とも思ってなくって。

つまりは話にならない。なんだこいつ。これがコミュ障こじらせてる奴の頂点かってくらい話が通じない。


「勘違いしてそうだから言うが」

「え……なに」

「俺は別に誰彼構わずボコりたいわけじゃないし、理由もなくあいつに辛く当たってるわけじゃない。あいつが、あいつだけが、不快で嫌いで疎ましい。それだけだ」

「ッ……ら、ラスカルが何したってんだよ……!」

「生きてること自体気に入らないが、強いて言うなら……あいつが笑ってるのが一番気に入らない。死ねばいいんだあんなガキ」

 

ダメだ、これ以上聞いてたら怒りで頭おかしくなる。

死ねばいいだって?あいつが毎日どんな思いを抱えて、けど必死に生きてるのか知ってるのか?

ひとに対して殺意が芽生えたのは初めてだ。殺してやりたい。


ーーあいつに勝てる確率が上がる、言葉があるんですよ


何としてでもあいつに勝ちたい。勝って、ラスカルに謝らせたい。

二度と辛い目に遭わせないって誓わせたい。そのために、魔法を使おう。

 

「『ニルギリスが悲しむぞ』、クローバー」


『ニルギリス』。名前なのか何なのかも知らない言葉。

その一言を口にすれば勝てると、神父さんは言っていた。

なにも分からないながら、クローバーがひれ伏したりしてくれれば万々歳だと思って。


「……なんで」

  

けど、クローバーの表情が、明らかに変わった。

 

「なんでお前があいつを知ってる……ッ」

「え」

 

すぐ目の前にいたクローバーが、急に長い腕を伸ばして、俺の胸倉を掴んだ。

次の瞬間から、俺は地獄を見る。

顔や腹など急所をはじめとした箇所への、執拗な殴打。

ラスカルが受けたものと同じ暴力の嵐にさらされた。

鳩尾を思いっきり蹴りあげられ、吐き気が抑えきれず。今日食べたものを口から鼻から全て吐瀉する。

顔面も殴られる。眼鏡なんか粉々だ。高い上に、最近買ったばっかりなのに。

鼻血も止まらない。痛い。全身が痛い。どこもかしこも痛くって、涙が止まらない。

 

「おい」

 

一通り暴力を加えた後。

クローバーは俺の前髪を鷲掴んで引っぱり上げた。 

 

「お前、ニルギリスがどこにいるか知ってるのかァ?」

「がは、……ぅ……っ」

「答えろ」

 

もともと怖い顔をさらに怖くして凄んでくる。


「し、しら、な、しららいっ……」

「嘘だ」

「ほん、ほんとぉだよぉおおッ……」


みっともなく泣きながら、俺は必死に声を上げた。

いつもいじめっ子共に命乞いする時と同じような目を、涙で霞んだ視界にいるクローバーへ向けて。

クローバーはじっと俺を見つめていたが、やがて俺の身柄を解放した。

本当に何も知らないんだと判断したらしい。


「……ふぇ」

 

……と思ったけど、違った。

俺のことを殴る間、ずっと捨て置かれていたあの大きな刃物。

あれを握りしめて、おもむろに振り上げた。

こいつ、俺を殺す気だ。

足が竦んで逃げられもしない俺は、そのままーー

 

「だめーーーーっ!!」

 

切羽詰まった叫び声が轟いた。

とともに、クローバーの振り上げた腕が停止する。

ラスカルだ。ラスカルが、クローバーの背中越しに組み付き。

さらには巨大な武器を持った腕に噛み付いていた。

 

「テメェ……ッ」

「ルークを、殺しちゃダメっ」

「うるせェ離せ、このクソガキッ」


クローバーが噛まれている腕を振り乱す。けれどラスカルは離さない。

もう一方の腕でラスカルの頭を鷲掴むクローバー。

懸命に抵抗していたがとうとう引き剥がされる。

幼い女の子だし、怪我しているから、体力の限界が来てしまったのだ。

雑に放り投げられ転がるラスカル。

 

「お前……いい度胸してんなァ」

「ルークに酷いことするから悪いんだろ!」

 

ラスカルは泣いている。震えてもいた。

怖いだろう。この後自分の身に降りかかるはずの痛みから逃げたいだろう。

けど、曇り空の目はクローバーを睨みつけて、視線を外さない。

 

「どうしてもやりたいなら、ぼくが代わりになるからっ……だから、ぼくの友達、傷つけるなっ」

「望む所だ」

 

クローバーがラスカルの首根っこを掴むと、米俵のように持ち上げる。

へたりこんだままの俺を振り返りもせずクローバーは去ろうとする。

ダメだ、この流れはダメだ。俺が中途半端なことしたせいで、結局ラスカルがまた辛い目にあわされるだけじゃないか。

 

「……ッ」

 

動け、俺の足。立て。立ち上がれ。

でも立ち上がったところでどうすればいい?あんな強い奴にどうやって勝てばいい?

真正面から向かっていっても勝てやしない。頭を使え。

そうだ、俺は百科事典を読むのが好きだった。今まで吸収した知識をかき集めろ。

なにかあるはずだ。なにかないのか、不意打ちにうってつけな作戦は。


「……あ」

 

ひとつだけ、思いついた。

下手すれば殺されて終わりだけど、上手くいけば勝てる。そんな作戦を。

考えるより先に体が動いた。


「うわあああああああああ」


俺に背を向けたままでいるクローバーに向かって駆け出した。

照りつける太陽にまで届くような絶叫を、声の限りに。

当然、クローバーは気付いてこっちを振り向く。

鼻で笑ったような音が聞こえた気がしたけど、そのまま走る。

 

「ああああああああぁぁぁあああぁぁぁ!!!」

 

腕を振りかぶった。

俺が何をしようとしているのかなど分かりきっているだろうクローバーが、担いだラスカルを放り投げ。

代わりに向こうも、あの大きな刃物を振りかぶる。

クローバーに近づくにつれて、加速する足。

やがてクローバーの武器の間合いに入った。

 

「死ね……!!」


クローバーが武器を振るった。

俺は死も厭わず、カウンターとしてクローバーの腹に拳を叩き入れ

 


……なかった。


 

 

「ッッ!?」


クローバーがコントよろしくひっくり返った。

その拍子にクローバーの手を離れた武器を遠くへ蹴飛ばし、すかさず馬乗りになる。

 

「ど、どうだ!!参ったか!」

「ッ……おま、え、今何した」


俺みたいなチビにひっくり返されたのが相当計算外だったのか、クローバーは混乱していた。

自分に何が起きたのかも理解できないみたいだ。

俺は状況も忘れてちょっと得意になりながら、簡潔に言った。

 

「足払い」

 

俺は別に、クローバーに直接殴りかかりたかったわけじゃなかったんだ。

クローバーは強い。

きっと誰にも負けたことはないだろう。俺のことも舐めて、油断していたはずだ。

だから、真正面から殴りかかっていくフリした。

クローバーが武器を振るった瞬間、思いっきり屈んで、足を払って転ばせたわけだ。

 

「お、お前の負けだ!さぁ観念しろ、このっこのっ」


クローバーが放心しているのを、力の入らない拳でぽかぽか殴る。


「この、このっ」

「……おい」

「このっ、このっ」

「おい、聞いてんのか。痛くねェからもう退け」

「や、やめてほしいか!?」

「だから、痛くないし無駄だってんだよォ」

「じゃあラスカルに二度と酷いことしないって約束するか!?」


クローバーは小さな声で、「あァ」とだけ返した。


「よ、よし、今日はこの辺で勘弁しといてやる」



「勝った……」


初めて喧嘩に勝った。それも、クローバーみたいな強くて背も高くておっかない奴に。

……あ、そうだ、ラスカル。

少し離れたところで転がったままのラスカルのもとに這っていく。

転がっている状態のままでも勝負の行方を見届けたようだった。

ラスカルは目をまんまるくして、信じられないものを見た顔だった。 

 

「だ、大丈夫か?痛いとこは?」

「うん……だいじょうぶ」

 

ラスカルの声を聞いた瞬間、緊張の糸が切れたのを感じた。

堪えていた涙が滝のように溢れてくる。


「うわぁあああん、怖かったぁああああ」


ラスカルの目の前で大号泣する。

せっかくカッコ良く喧嘩に勝ったのに、結局泣いてしまった。

しょうがないよな。俺チキンだもん。あぁ、ラスカルの奴、見損なうかなぁ。


「ありがとう」

「う゛ん……」

「ルーク、かっこよかった」

「えっ?」


思わず涙が止まるくらい意外な言葉だった。

絶対馬鹿にされると思ったのに、なんで。


「俺のこと、笑わないのか?」

「わらわないよ」

「なんで?情けないだろ」

「うん、情けない。でもぼく、きみのそこがいいの」

「だから、なんでだってば」

「だって……」


ラスカルはうつむいて、口の中でもごもご言っている。

まだ震えている手のひらで、背中を撫でて促してやれば、ラスカルがゆるゆる顔をあげた。

ラスカルは白いほっぺたを赤く染めて、うるうるした目で俺を見つめていた。


「……ひとが、こわくないと思ったの、きみがはじめてなの」


ふにゃふにゃーっと、ラスカルは笑った。

その笑顔を見た瞬間、急に顔が熱くなって、心臓が早鐘を打った。

あっつ。顔あっついなおい。っていうかなんだろうこれ。胸まで熱い。

経験したことのない感覚に、ただただ戸惑った。


「あ、あのっ……えっと……」


何も言葉にならないで困っているうちに、寝そべっていたクローバーが起き上がった。

おもむろに立ち上がって、武器を拾ってどこかへ行こうとする。

 

「クローバー、どこ行くんだ?」

「……帰る。チビガキ、お前も来い」

「あ、うん……」

「ま、待った!もうラスカルに酷いことするんじゃないぞ!?」


クローバーは特に何も言わず。

ラスカルと二人で、寮に帰っていった。

 

ーーーーー

「あ、クローバーお前それいいな。たこさんウィンナー」

「キラキラした目で見るな」

「うさちゃんリンゴもある!いいなぁ!」

「……。……やる」

「えっマジで?やったありがとう!」

 

あの果し合いを終えた後、俺とクローバーは何かと行動を共にした。

クローバーは見た目が怖いから、一緒にいるといじめっ子が近寄ってこなくて。

なによりクラスメイトだし、嬉しかった。

今だって昼ご飯一緒にたべながら話してる。これはもう友達だ。……たぶん。

ちなみに小学部のラスカルは一足早く学校が終わり、寮に帰っていったから昼ご飯は一緒じゃない。

 

「チッ。あのチビ、こんな女々しい弁当こしらえやがって」

「む。お前もうラスのこといじめてないよな?」

「……ない」

「そうだよな。約束したもんな」

 

ラスに二度と暴力的なことをしないって、約束させた。

クローバーは案外そういうところはしっかりしてるみたいで、ラスに聞いても本当に何も痛いことされていないんだそうだ。

っていうかできないと思う。俺みたいなグズに負けたって、誰かに言いふらされたくないだろうし。


「ラスのお弁当、ちょっと甘めなんだなぁ」

「おかげで毎回地獄だ」

「あぁ、お前甘くない方が好きなんだっけ?でもちゃんと美味しいじゃん。あいつきっといいお嫁さんになるだろうな」

 

口をついて出た言葉は本当に自然なものだった。

だけど、クローバーはうつむいていた顔をわざわざ上げて、こう返した。

 

「お前、あのチビのことどう思ってんだ」

「え、普通に友達だろ」

「本当に?いつまでもかァ?」


頭に疑問符がたっぷり浮かぶ。

クローバーは何を言いたいんだろう。よく解らない。

首を捻ってクローバーの様子を伺っていれば、こう言葉が続けられた。

 

「あいつは男じゃない」

「うん、知ってる」

「今はガキだから寝るのも風呂も一緒にできるが、いつかは『女』になる」

「おんな……?」

「乳も尻もでかくなる。ガキだって産める体になる。お前、あいつがそうなっても、今と同じく接したいか」

「えっ。子供、って……誰との?」

「知るか」

 

一蹴された。子供?

ラスに、子供ができる?いや別にありえない話じゃない。

ラスにも人生があるから、きっといつか彼氏ができて、結婚して、子供を作る。

でも、誰と?俺、ずっと一緒に居られないのか?

俺が一番そばにいる存在じゃなくなるのか?……なんか、ちょっとやだな。

 

「ちなみに子供ってどうやって作るか知ってるか。セッ」

「ッッきゃーーーーーーー!!!知ってるから!言わなくていいから!!」



ーーーーーー

その日、俺はベッドに寝そべって考えていた。

クローバーの言っていたことを。ラスが成長して『女の子』じゃなくなった時のこと。

……ラスの子供、か。生まれるなら、どんな子なんだろう。

どんな男が父親になるんだろう。

よく分からないけど、何かモヤモヤするなぁ。

……ラスって、もう好きな男の子とか居たりするのかな?

クラスメイトには無視されてるし、兄貴はあんなだから、どうなんだろ。


「……はぁ」

 

ため息がこぼれた、ちょうどその時だ。

部屋のドアがノックされて、ゆっくりドアが開いた。

ラスだ。

 

「どした?」


今し方考えていたことなんか悟らせるわけにはいかなくて、なんてことない笑顔を心がけて迎え入れた。

 

「んとね、今日はひとつお願いがあります」

  

ベッドから起き上がったままで座っている俺に、ラスカルがちょこちょこ近寄る。

腕を広げてだっこ待ちのラスを、抱き上げて足に乗せてやれば満足そうに笑った。 


「お願いって何?」 

「えっとね。せいきょういく、おしえて」

 

ぴーーーー。頭の中で、ヤカンが沸騰したような音が響きわたった。


「なななな何で!?ラスカルそれ意味わかってるか!?」

「? わかんないから聞きに来たんだよ?」

 

これ、と差し出されたのは、教科書。保健体育だった。


「宿題なの。男の子と女の子のからだについて」

「お前9歳じゃなかったっけ?性知識得るの早すぎませんか!?」

「だめなの?」

 

きょとんと見上げてくるラス。

うん、ダメだと思う。どうなってんだよ最近の教育方針。

男子校なのに9歳で性教育ってちょっと早すぎるよ。せめて13歳くらいにしようよ。


「ね、お願い。これやらなきゃ怒られちゃうの」

「~~~、……わ、わかった」

 

こうして最悪のタイミングで、俺とラスのいきなり性教育が始まった。

 

ーーーーー

ラスを足の上に乗せたまま、教科書の読み聞かせをした。

ちょうど小さい子に絵本を読んであげるみたいに。

対面したままだと教科書が見にくいから、同じ向きを向いて座って。

つまり、今俺の足の付け根あたりにはラスのお尻がぺたっとくっついてる状態だ。


「えっと、まず……男は子供を産ませる能力を持ってて、女は産む能力を持ってるんだ」

「ぼく、おんなのこだよね?大人になったら子供産めるかな」

「うん。相手がいればな」

「でもどうやって作るの?」

「……えっと……お腹の奥に、赤ちゃん作るための袋があるんだ。そこに、その……ちょ、ちょっと、注ぐんだ」

「何を?」

「〜〜〜っっ……せ、ぇき……」


聞き取れなかったらしいラスがまたきょとんとする。

もう、何の罰ゲームなんだよこれ。

勉強のためとはいえちっちゃい女の子にこんな話するなんて。

俺めちゃくちゃ背徳的なことしてるよ。

大きくなってから思い出したラスにきもいとか思われたらどうしよう。

あぁ、ドキドキして頭が痛い。


「……ルーク?」

「う、うん?」

「これ、どしたの」


一瞬ラスが言う意味がわからなかったけど、その視線を辿ったら理解できた。

ラスカルの小さいお尻に敷かれた俺の、制服のズボン。股座辺りが、少し膨らんでた。


「……ッッ!!」


もう、青ざめるしかなかった。


「だいじょうぶ?ぼくが乗ってたから腫れちゃったの?」


心配そうに俺の局部を見つめるラスは、そこに触れようとまでする。

もはや無垢の暴力だった。


「ラスカル、おりてくれっ……」

「え?」

「おりろ!!離れろ、見るな!」


初めてラスに向かって大声を出した。

恥ずかしさのあまりだったけど、ラスにはもちろんそんな事情はわからなかったろう。

拒絶された事実だけを受け入れ、びくっと震えた。


「るぅ……」

「ご、ごめん……ッ!」


余裕のないままラスをベッドに放り、俺は一目散に部屋から逃走した。

最低だ最低だ最低だ。どうしよう。

ラスに、あんな小さい女の子に、汚い欲を向けかけてしまった。

勃起した様子を見せてしまった。怒鳴った事もそうだ。

泣かしてしまったかもしれない。

むしろ俺が泣きそうだった。

半泣きのまま駆け込んだのは、保健室。

いつもの癖、習慣というか、神父さんに泣きつきに来たんだ。

 

「神父さあぁあん!!」

 

飛び込んだ保健室。

いつも通り煙たい部屋の中だったけど、そこに居たのは神父さんじゃあなく。

 

「あ?誰だよてめぇは」


やたら口の悪い、真黒い服を着た子供だった。

艶のある黒髪と、まん丸い大きな黒い眼が綺麗な子。

どこか神父さんに似ている。もしかしてお子さんだろうか。

 

「あ、あれっ。神父さんは??」

「あの野郎ならどっか出かけてるぜぇ」


代わりに答えてくれる黒い子。

やっぱり口が悪いその子は、いつも神父さんが座ってる椅子の上にあぐらをかいて座っていた。

 

「っつか、誰だテメェは。え?この変態チビ野郎」

「だ、誰が変態だよ失礼な!」

「イチモツ半勃ちにさせてよく言うぜぇ」

 

言われてハッとする。

そういえばそうだったと慌てて前屈みになった。


「隠さなくてもいいだろぉ。見せろよ」

「見せるかぁああ!!ちょ、あのっ、出直します!!」

「待てよ」


いきなり黒い子にテーブルに置いてあった水を投げつけられた。

結構大きめのコップに、これまたなみなみと入っていた水を、顔目掛けて浴び。

びっくりついでに、頭が冷える。ついでに半分昂っていた熱も、うまく収まってくれた。

 

「これでいいだろぉ。さぁ礼を言え」

「う、うん……ありがとう……」

 

あれ、何か違う気がする。


「で、えっと、君だれ?」

「俺様かぁ?誰だろうなぁ。知らねえ」

「……あ、あぁ、自分探し中!」

「何言ってんだお前」


はは、それ俺の台詞ですけど。

 

「えーーっと、じゃあ、何て呼べばいい?」

「上様」

「領収書なの?」

 

ダメだ、言っていることが要領を得ない。

何か不思議……いや、変な子だ。なんとなくラスカルと同じ感じがする。

……ラスカル?

 

「……!」


不意にラスのことを思い出す。

もう変な気持ちにはならないけど、ただ罪悪感が湧き上がって。

あぁ、後でなんて言って謝ろう。許してくれるかな。

 

「なんだぁ、急に暗い顔しやがって。何かあったわけ」

「え、と……ちょっと、友達に、酷いことしちゃって」

「あっそう」

 

どうでも良さげだ。けど半分くらい聞いてくれてそうな感じ。

この子やっぱりどこか神父さんと似てる。

 

「その子に何て言って謝ろうかな、って……」

「もしかして、さっき半勃ちになってたのが関係してんのかぁ?」

「う」

 

顔が急激に熱くなった。きっと俺の顔は今真っ赤になってると思う。

それを見て察した自称上様が、気持ち悪そうに俺を見る。

 

「おっまえ……どんだけ飢えてんのよ?いくら男子校だからって、野郎相手におっ立たせてんじゃねぇよ、気色悪ぃなぁ」

「や、野郎じゃないし、女の子だし!!」

 

そう、ラスカルは野郎じゃない。ちゃんと立派な女の子だ。

そりゃあ普段はぼさぼさ頭だし、男の格好してるし、ぼくぼく言ってるけど。

実際は可愛くて、小さくて、大人しくて、抱きしめればいい匂いもする。


「女の子、だと?」


と、急に『上様』が声のトーンを変えた。

 

「女がいるのかぁ?ここに」

「え、うん。男子校だけど、一人だけいる」

「へええ、名前は?スミスってガキだったりするかぁ?」

「? ……違うよ、クローバーだよ。ラスカル・クローバー」

「は?クローバー?」

 

『上様』が不機嫌そうに顔をしかめて俺を睨む。

 

「誰だし、クローバーって。俺様が言ってんのはスミス、ラスカル・スミスだよボケ」

「スミス……?それこそ誰だ?」

「あーーもういい、知らねぇならどーでも。じゃあなぁ」


機嫌が急降下した上様は、さっさと保健室を後にした。眉間に皺を寄せたまま。

自分の部屋に戻る道中、俺は考え事をしていた。

結局、あの子は誰だったんだろう?ラスカル・スミスって誰のことだろう?

考えても考えても、誰かが答えを教えてくれる訳じゃあないから堂々巡りに終わったけれど。

廊下はしんと静まり返っていて、誰もいなかった。しかも電気が消えている。

今は夏とはいえ、夜の暗がりは肌寒い。帰ったら温かいミルクティーでも淹れよう。

 

「……ん?」

 

自分の部屋に近づくにつれ、ドアの前に何かが置いてあるのが見て取れた。

小さくて丸いなにかと、大きい黒いなにか。何だろうあれ?迷いにゃんこ、もしくはわんこ?

 

「……えっ」

 

だいぶ近付ききって、そのなにかの正体を知って、ぎょっとした。

それは極端なサイズ感を誇る、ふたりの人間。

小さい方はラスカル、大きい方はクローバー。俺の部屋の前で、義兄妹が揃って体育座りして待ち構えていたのだ。

俺に気付くと、クローバーは舌打ちで迎えてくれた。

 

「やっとお戻りかァ?」

「な、何してんの……?」

「こいつがメシの時間になっても戻らねェから迎えに来たんだが、てこでも動きやがらねェんで、仕方ないから一緒に待ってた」


多分俺がラスカルに乱暴するなって約束させたのをこじらせたんだろう。

クローバーの奴、変なところで律儀だな。

ふと、視線を感じて顔を向ける。体育座りブラザーズ小さい方、ラスカルだ。

 

「あの……ルーク、さっき、ごめんね……」

「えっ、あぁ、いや……」

「な、なんで怒られたのかぼくわかんないの、だけど、ごめんね……嫌いになっちゃやだぁ……」

 

泣きそうな顔で、ラスカルは謝り倒す。


「違うんだよラスカル、お前は謝る必要ないんだよ」

 

抱き上げてやれば、もう怒ってないと判断したらしくラスカルは安心したように胸に擦り寄った。

そう、むしろ俺が土下座するべきなんだ。

でもまさか男としてアレが反応しちゃったなんて、口が裂けても言えなくて。

 

「いいからさっさと部屋に入れろ。寒い。あと食い物をよこせ」

「俺の部屋でご飯っていったら砂糖多めの卵焼きぐらいしかないけど」

「調味料だけ持ってきた。七味、唐辛子、ハバネロ、カイエンペッパー」

「お前俺たちのこと痔にしたいのか?」


ーーーー

その後、俺の部屋にてみんなでご飯を食べた。

メニューは卵かけご飯。各自好き好きに味付けして、ちょっとしたご馳走に変えて。

ラスカルは、お腹いっぱいになったら眠気を催したみたいだ。

ちょっとうつらうつらしてる。


「そういえば、この学校に他にもラスカルって子いるのかな」

「あ?そんな世界名作劇場みたいな名前のやつ何人もいるかよォ」

「じゃあラスカル・スミスって聞いたことないか?」


クローバー兄妹がそれぞれ反応を示す。

妹は少し憂鬱そうに顔色が曇って、兄は兄で顔色が微妙に変わった。 


「それ、もとの家族といた時の名前」

「えっ。じゃあラスカルって、本当はスミスさんっていうのか?」

「うん。でもいい思い出ないから考えたくない」

「……その名前は、忘れた方がいい」

 

クローバーが話に蓋をするように言ったことで、その話題は終わった。

 

「ルーク……」

「んん?」

「だっこ……ねむたい」


腕を広げて待っているラスカルに二つ返事で応じて、腕の中に閉じ込めてやる。

俺の腕の中に収まったまま丸まって、すぐに寝息をついてしまった。

なんとなくラスカルの髪を撫でていると、クローバーがぼそっと言った。

 

「そいつがでかくなったら絶対くっつくよなァ、お前ら」

「くっつく?って」

「男女の仲になるだろうって意味だ」

「だっ、だんじょ!?そりゃあ俺はラスのこと大好きだけど、多分そんなんじゃないぞ!?ラスだって、俺のことなんか、男として見てないだろうし」

「あァ、そうだな、そんなんじゃねェ。神様だ」

「えっ?」

 

意味が分からなくて、反射的にクローバーの目を直視する。

こちらを見ていた暗く赤い色の眼と目が合う。

 

「そのチビは、お前のことを神様だと思ってるように見える」

「かみさま……」

「お前の言うことが全てで、お前だけ信じて、お前のために生きていたいと願ってる。友情というより信仰に近いレベルだ」

 

神様?俺が?

生身の人間が誰かの神様になるには、執着に似た相当の愛情を抱かれる必要がある。

一般的に考えて、親が一番考えやすい例だろう。

けどそんな親すらもいない、およそ家族愛も知らないような、ちっぽけな孤児の俺。

神様を持ったこともなかった、正しい愛を知らないこんな俺が、誰かの神様に、唯一になれたのか。もしそうなら……

 

「うれしい……」

 

思わず口をついたのは、歓喜。

 

「そっか、神様かぁ。俺、ラスの神様なんだ……へへ」


顔をふにゃふにゃに綻ばせて喜び倒す。

多少鬱陶しそうにクローバーが俺のことを睨んでるけど、気にしない。

 

「ところで」

「んー?」

「お前どこで聞いたんだ、チビの本名」

 

クローバーが、話を掘り返した。

さっき忘れた方がいいって言ったのは自分だろうに。

やっぱり気になるのかな?とか安易に思って、答えた。

 

「今日保健室で会った変な子に聞いたんだ」

「変な子?」

「可愛い子なんだけどさ。真黒い服きてて、口が悪いんだ。神父さんの子だったのかなぁ」


言い終えるやいなや、クローバーが俺の胸ぐらを掴みあげた。