「ラスカル……ッ」
あまり感覚がない四肢を無理に動かして、クローバーは妻のもとへ這いつくばっていく。
ようやく見下ろせる距離まで近づいたはいいが、ラスカルはもう手遅れだった。
虫の息ながら苦痛すら感じていないのだろう、安らかな表情で宙を見ている。
「……ラスカル」
「……やぁ、旦那様……無事?」
夫婦は静かに言葉を交わす。
「ブルーノくん……ぼく、ちゃんと全部……自分で選んで動いたよ……きみと約束したことも、ちゃんと……まもったぜ」
「……あァ、見てた。よくやった。本当によくやったな」
損傷しすぎて動かない腕では、もはや抱きしめてやることもできない。
そのうえラスカルは目も見えていないから、せめて彼女が唯一認識できる聴覚……つまり声に心を込めた。
一片の涙声も混じらぬように。ひたすら穏やかに。
「ハイジおじいちゃん……もう行っちゃった?」
「そうだな、もういない」
「……ブルーノくん……おじいちゃんのこと、憎まないで、あげてね……あのひと、ちょっと疲れちゃった……だけだから。ルークと櫻子さんも、怒ってないよ……って言ってた、から」
「そうか、わかった」
ラスカルの瞼が、徐々に閉じていく。
力尽きようとしている。
クローバーは焦った。看取るのが自分である以上、最良の死に様を迎えさせてやりたい。
何かないか、ラスカルが喜ぶような何かは。
ーーぼくねぇ、仲間の喧騒に囲まれて眠るように死ぬことが理想の最期なんだよね
「……!」
脳裏に過ぎった、かつてラスカル自身が語っていた理想の最期。
そうか、仲間に囲まれるのが望みか……ならばそれを叶えてやろう。
クローバーは咳払いをすると、おもむろに口を開いて喋り始めた。
「よぅ、あらいぐま」
ラスカルの瞼が、目一杯に開かれた。
「キース……?そこにいるのかぃ?」
「おにーさんもいるぞぅ」
「工場長もここに御座しますよ」
「ベルト……カリン、ちゃん……?」
ラスカルが驚く。
その場には、ラスカルとクローバーしかいない。
クローバーが声を真似ているのだ。
ずいぶん前にラスカルにも試しに聞かせてやったことがあった。
彼女は、そのことを覚えているだろうか?
上手く騙されてくれるだろうか?
「なーによラッスー。おねむの時間なわけ?」
「僕たちが子守唄でも歌ってやろうか」
「キースさんが歌うとヘドバン付き滅びの歌になるんでやめてください」
「……ふふ……にぎやかだ、ね……」
再びラスカルの瞼が閉じていく。
「ありがと……クロー……バー……」
完全に瞼が閉じきったと同時に、ラスカルは息をしなくなった。
「……声真似はバレてたか。やっぱり」
クローバーはつぶやく。
ラスカルときたら、いつも眠気を催していたくせに死ぬ時まで眠るのと同然とは。
誰かが聞けば呆れるかもしれない。
しかしその死に顔は、とても幸せそうで、すべてをやり切った解放感に満ちた笑顔だった。