ーーーー ーーーー それから二週間が経った。 「お兄やん〜〜。一緒に飲み会でもやんね?バタービール買ってきたからさ」 「キースくん~~。たまには日に当たろうぜー」 「キースさん、工場長とご飯食べに行きませんか。カツ丼奢ってあげますよ」 クレオが死んだあと、キースは部屋にこもりきりになっていた。 同僚の呼びかけにも応えず、ひとり静かに過ごしているようだった。 いくら無視されても匙を投げることもなく、同僚たちは根気強くキースに呼びかけ続ける。 「出てきませんですかー」 そこへ静句が現れる。 手には、何かオブラートに包まれた物を持って。 彼女はいつも通り馬鹿っぽい口調ではあるが、表情は堅かった。 「出てこないッス」 「困りましたねー。もうそろそろタイムリミットが来てしまいそうなのです」 そう言って手中のオブラート包みをつまみ、少し揺らした。 オブラート包みの正体は、オズの毒飴の解毒剤である。 キースは、あの飴を食べた。 食べてからそろそろ三ヶ月になるから、解毒剤を服用すべき時期だった。 このままではキースは……。 「わたくし、これ以上自分の失態で死人が出るのはもう嫌なのですー。せめてキース君だけでも救って、責任取らせてほしいのですー」 「そうは言っても……」 「ええいままよー」 ポケットから、どう考えてもそこに入ったはずのない質量の大砲を取り出して、キースの部屋目掛けて撃とうとする静句。 「待て待て待て!!クロさんが怒るから!」 「知らぬのですー」 「……何やってんだお前ら。うるせぇぞ」 「えっ」 騒いでいるところ、しれっとキースが出てきた。 「キース!!」 「よぉ」 彼は、あんな事があったというのにとても普通そうだった。 憑き物が取れたような……とでも言おうか。 「キース君、これお上がりなさいませー」 「何だこれ」 「解毒剤なのですー。オズさん特製飴ちゃんの」 「あぁなるほど。後で飲んどく。……それよりお前ら」 片手間に解毒剤をしまい込みつつ、同僚たちに向かって、キースは言った。 「ちょっと海見に行かねぇか?」
ーーーー 何か妙だとは、皆が思った。 キースは水恐怖症ゆえに水の近くを嫌い、基本的には避ける。 にもかかわらず海に行こうなんて。 考えにくいが、憑き物が取れたついでに恐怖症も改善したのだろうか。 「おぉー。海広いねぇ」 「キャンプファイヤーとかやりてぇな」 「マイムマイムとかかぃ」 「アレって水が湧いたこと喜ぶ歌なのに何故か火の周りで踊るんだよな。役所手続きだったらたらい回しにされてるぞ」 「何でそこ役所に例えるのよ」 ラスカルとニルが、キースとくだらない話をしている。 それを、ベルトは遠巻きに見つめていた。 「ベルトさん」 カリンが囁くように声をかけるので、ベルトは彼女と目を合わせた。 無感情そうな瞳からは、問いかけの意図が読み取れた。 「キースの目を見たのか?キースは何を考えている?」……と。 ベルトは再度キースに視線を向け、その目を凝視したが。 「あっそうだキース。静句さんの薬飲んだかぃ?」 「飲んでないけど」 「飲まなきゃ死んじゃうぜ」 「そのつもりだよ」 ほのぼのとした空気から一転、一同は硬直する。 耳を疑う。キースは今何といった。 そのつもりだ、だって?死んでしまうと言ったのが? 皆一様にキースを凝視するが、彼はただ柔らかく笑っている。 「僕さ、愛してるよ。お前らのこと」 突然そんな事を言うキース。 死ぬつもりと言っておきながらそんな事を言われ。 一同の胸にはひとつの答えが導き出されつつあった。 「僕みたいなクズでも、みんな対等に接してしてくれたよな。家族が欲しいと思ってたけど、お前らこそが家族だったのかもしれないと思ったよ」 「キー……」 「でもな。同じくらい、憎くてしょうがないんだよ」 心臓が痛いくらいに鼓動する。 冷や汗が止まらない。 キースが、ラスカルに視線を移す。 「あらいぐま。お前言ったよな。何があっても味方だよ、って」 「……言、った」 「でも実際は違ったよな。みんなして僕のやる事を否定した。嘘をついた。支えになるって言っといて、いざとなったら、そうはしなかった」 「それはっ……」 それについては彼らなりの理由があった。 誰も彼も、余裕がなかったのだ。キースに構ってやる余裕が。 だから反論と説明をしようとした。 が、口を噤んだ。今キースは、おそらく何も聞く耳を持たないだろう。 だから、無駄だと思った。伝えることを諦めてしまった。
いつの間にか、キースの手には銃が握られていた。 この中の誰かを撃つ気だ。あるいは、撃たれるのは全員か。 そうして自分の願いを叶える邪魔した彼らに、復讐する気なのだ。 「……私達のこと、殺したいのね」 「いや。安心しろよ。お前らは殺さない。さっきも言ったとおり、僕はお前らのことが好きだ。大好きだ、愛してる」 そう、同僚たちは殺さない。 そんな安易な復讐がしたいわけじゃあない。 「だから」 キースの銃口が向けられる。同僚の誰でもない、彼自身のこめかみに。 「やめろ!!」 今更になってベルトが焦ったように叫んだ。 ほかのメンバーも、キースの意図を察知した様子だ。 そんな同僚たちに向かってキースは満面の笑顔でこう言うのだ。 「呪われろ」 それが最後の言葉となった。 止めに入る間も与えてはくれなかった。 呪いの言葉を発し、間髪入れずキースは銃口を自らのこめかみに向けて発砲。 発砲音で全員が硬直したもののそれも一瞬で、すぐにキースの元へ駆け寄る。 「キース!!」 「誰か救急車呼んで!!早く!」 拳銃自殺を図る際にしてはならないことがある。 こめかみを撃つことだ。 頭蓋骨というものは案外硬く丈夫で、こめかみを撃っても自殺は失敗する可能性があるそうだ。 まだ助けられる。そう一縷の望みをかけて、同僚を救おうとした。 が。 「ッッ……!」 辺りに響く聞き覚えのある破裂音。 とともに、キースの首から上が無くなった。 そこから発生した血飛沫が同僚たちの顔や服を盛大に汚す。 とうとうオズの飴の効果が発揮されたのだ。 キースははじめからこのタイミングを待っていたのだろう。 愛する仲間たちに見守られながら、呪いの言葉を残して、死ぬつもりだったのだ。 「キース……」 誰かがぼんやりとつぶやく声が聞こえる。 それが誰の声なのか、なんてもはやどうでもよかった。 眼前に広がる海原のごとく、深い深い絶望に沈んでいく。 こうして、クレオに続きキース・アンダーソンも、泉下の人となった。
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トオヤマシズカは途方に暮れる。
クレオは殺された。ドーズは命こそあるが、死んだと言っても過言では無い。
保護している「化物」と同等くらいに大切で、失くしたくないと思っていた友人たちはもう帰ってこない。
オズのせいだと言ってしまえば簡単だ。
が、自分に責任があるとも思う。
何故ならば、心のどこかでこうなるかもしれないと予感していたくせに知らぬふりをしたから。
「死にそうな顔してますねー、兄ちゃん」
そこへ妹、静句が現れる。
何の用だと睨んでも静句は気にも留めず、ベロア素材のソファに座っている彼の隣に腰掛けた。
「キース君、亡くなったそうです」
「……聞きました」
「悔しいのですー。諸悪の根源が目の前にいたら今すぐぶっ殺したいです。その前にわたくしの反省点を考えねばならぬのです」
「……別に反省することないでしょォ」
「いいえあります。関わった者全員」
彼女にしては珍しく厳しい口調だった。
どういう事かと視線をやり続きを促すと、静句は語り出す。
「わたくし達はみんな、自分勝手すぎたのです。自分勝手で無責任。己の何の気なしの言動挙動で他者の運命を変えていることを自覚できていない。だからこんな最悪の展開になるのです。自業自得というものです」
「……何が言いてぇんです」
「反省して、次にどうするべきか考えろ。それだけなのですー」
急に子供っぽい態度に戻った静句が、ぶんぶんと掲げた拳を振り回す。
「次……次なんてあるんですかねェ」
「ありますです。生きてる限りは」
「……。静句。頼み事があります」
「何でしょー?」
「紙とペン、持ってきていただけますか」
ーーーー
ーーーー 「鎮巳。離しな」 「ダメ……」 「離せってんだ」 コノハナが、鎮巳の腕の中でもがいている。 男女がくっついているわけだが、どう見ても、いやらしい空気は無い。 抱きしめられているコノハナが、修羅のごとき様相でいるから。 「ハナちゃん、諦めなさい。もう親父殿はひとつになってしまった後じゃよ」 ダメ押しと言わんばかりにミフネに窘められ、とうとうコノハナは戦意喪失した。 鎮巳に抱きしめられたままの体勢でへたり込んで、呪わしそうにつぶやく。 「クソ野郎が……」 彼らはまさしく踏んだり蹴ったりだった。 オズワルド・ユジーヌの企てが成功したあの後、何も関係ない市民は皆、安全確保のために亡命していった。 今このイブムニアに残っているのはいわゆる関係者のみ。 圧倒的に数で勝っている「オズワルド側」は、新たに国王を父たる彼と定め。 アヴァホテルに籠城するもの達を非国民とし、鏖殺しようとしているとの事。 「もう終わりじゃな、この国は」 「すまねぇ……全部あたしのせいだ。恩を返すどころか、父さんを殺しちまった。他もめちゃくちゃだ」 「ハナちゃん一人に責任押し付けはせんよ。わしも共犯じゃ。というか、ここは責任転嫁してもいいところだと思うがの」 ミフネのひとことで、激しい憎悪で何も考えることが出来ないコノハナの脳裏に過ぎるワンフレーズ。 『あいつさえいなければ』 そうだ、あいつだ。全部あの生首が悪い。 大好きな父さんを、汚い思考回路で染まった頭ごときに奪われた。 憎い。殺してやる。絶対に許さない。 「許さねェ……ッッ」
ーーーー ーーーー カリーナ、と本名を呼ばれる。 彼女を昔の名前で呼ぶのは、現在世界中でおよそ一人だけだ。 俯いた顔を上げれば、やはり黒服黒髪黒眼の可愛らしい子供がいる。 「何スか」 「……ちょっと、伝えたいことあってよぉ」 どこかくたびれたように見える黒い子・社長。 それでいて顔を紅潮させ、何やらもじもじしている。 「あのっ……、俺!お前のこと恋愛的に好きなんだと思う……!」 「……はあ」 「え、何そのうっすいリアクション」 仮にも愛の告白だと言うのにと社長は不服そうに抗議する。 対して、カリンは淡々と答えた。 「知ってますよ、だいぶ前から。ってか気付くでしょ、カリンにやたら執着してるし、ちょっかいかけてくるし」 「……。……で、返事は?」 「返事とは」 「えっ」 微妙にカリンから目を逸らしていた社長は、そこで初めて気づく。 カリンが、いつも無表情の顔を珍しく歪ませ、大激怒しているという事実に。 「あんた、この国のことどうすんですか」 「えっ」 「実質オズさんの物になってるそうですけど、取り返さなくていいんですか」 「……、取り返したって……もう元通りにゃならねーだろぉ」 イブムニア国。ここは社長とよばれる化物のための楽園だった。 社長の、社長による、社長のための巨大な遊園地。 統治は申し訳程度にしかしていなかったから治安は最悪だったが、それでも、この遊園地を所有物として愛していた。 そんな愛した物がたかだか他人に奪われたのだ、悔しいし怒りを覚える。 戦おうにも、彼の味方は神父くらいのもの。 多勢に無勢すぎる。 「しっかりしてくださいよ。あんた、それでもカリンを本気でキレさせたあの化物ですか。カリンの大事なものを奪っといて、なに今更弱気の逃げ腰になってんですか」 「……そんな事言ったって、俺に味方なんかいねぇし」 「なら、頼んでください」 「は」 「依頼してください、カリンに。お客様としてならいくらでも味方しますよ」 思いがけない申し出に、社長は目を見張る。 味方。この娘が?俺に? 嬉しい。是非そうしてほしい。
「ただし、報酬は弾んでもらいますよ。何たって国盗りが依頼ですからね」 「……ハッ。ナメたこと言ってんなよなぁ、俺がどんだけ稼いでると思ってやがんだぁ?世界買収できるほど金くれてやんよ。チップも含めてなぁ。だから無事国盗りが終わったら、俺様と結婚しろよなぁ」 「心に決めた人いるんで」
ーーーー ーーーー 「やっぱり此処にいたな」 集合墓地の一角。 草むらにて座りこんでいる、小さく頼りない背中の持ち主にクローバーは声をかける。 振り向いたその顔は、意外にもけろっとした顔だった。 「やぁ、何か用かぃ」 「別に。お前こそこんなところで何してる」 「お墓参りだよ」 何食わぬ顔で言ってまた正面に視線を戻すラスカル。 そこには毎度お馴染みルーク・ローレンスの墓標……と、その隣に、キース・アンダーソンの墓。 「趣味悪いよねぇ、誰が考えたんだぃ?他人の空似同士を並べて弔うなんて」 「俺だ」 「きみかよ」 「墓に入れてもらえるだけマシだろォ、こんな野郎」 吐き捨てるクローバー、だがラスカルは咎めることも無く。 「そうだね、ほんとうに」 むしろ肯定した。 「キース……。キースったらもう……、同僚のぼく達に呪いをかけて死ぬなんてね。自分の願いが叶わなかったからって、やっていい事と悪いことがあるだろう。最悪だよあいつ」 「思いのほか罵倒するじゃねェか。どうした、お前あいつが気に入ってたんじゃないのかァ?」 「ああ気に入ってたとも。ぼくの最愛の人と瓜二つだからね」 ラスカルが、ワンピースの生地をぎゅっと握りしめる。 「瓜二つだ。死に様までほとんど同じだよ。首が無くなって。ぼくに呪いを残して。ひとりでおっ死にやがって……っ」 顔を伏せているから表情は見えず。 だけれども、淡々と怒っていたラスカルの声が、徐々に涙声に変わっていく。 「ぼくはどうすれば良かったんだよ。余計なこと言わなければ良かった?味方だなんて言わなければ良かった?無闇に優しくしなければ良かった?自分のことそっちのけで彼にかまければ良かった?」 後悔は先に立たず、そして際限なく。 ラスカルは、嗚咽とともにこぼれていく涙を拭う。 クローバーは何も言わずに、ラスカルの真後ろに座り込んだ。 ラスカルに背を向けた体勢……いわゆる背中合わせで。 「ラスカル。今の気持ちを言葉にできるか」 「……、……腹が立つ」 「誰に?」 「自分と、キースと……あとオズさん」 「そうか」 クローバーが背中越しに何かを差し出してくる。 見ると、分厚めの茶封筒。 「じゃあ俺からの依頼を受けて欲しいんだが」 「……依頼?」 「オズの野郎を殺すから手伝え」 突然物騒なことを言い出すものだ。 だが、ラスカルは今「オズに腹を立てている」と言った。 それはもう、怒りのあまりぶち殺して良い魚礁にしてやりたいくらいだろう。 「どうだ。断ってもいいが」 「……。やる。引き受ける。殺してやる、キースの仇だ」 「あァ、あと、封筒にはもうひとつ別のものも入ってるんだが」 「……?何だぃ」 「指輪」 「ゆびわ?」 「結婚してくれねェか、俺と」 「…………えっ??」