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ーーーー
いっけなーい懺悔懺悔。
ハァイ、静句おばちゃんなのです。
クソ兄貴をぶっ殺すのに大失敗して、地下の監獄の独房に閉じ込められてしまいましてもうたーいへん!
とりあえず早くごはんの時間になって欲しいのです。
わたくしにオムライスを食わせなさい、です。
ーーーーー
「なにこれ……」
「わたくしなりの反省文なのですー」
「いや……反省する気、無いじゃん……」
同じ獄中の甥っ子に苦言を呈され、わたくしは唇をとがらせた。
「静句おばちゃん……もう少し……真面目に反省した方がいいかも……」
「でも、わたくし達の役目はこれで終わりなのでしょー?」
わたくし達の役目という名の『演目』は終わった。
うちの兄はあれでも馬鹿ではないから、事の黒幕に薄々勘づいている。
そのあとどうするかは、わたくしには関係ない。……でも。
「『あの人』は、わたくし達を利用する気なのでしょうねー」
「……それはまぁ……けど、言うこと聞くしか、ないと思う。恩があるから……静句おばちゃんが、眠ってる場所……僕に教えてくれたし」
「むー。なんか不服なのですー」
分かりやすへそを曲げるわたくし、だったが、甥っ子は別のことを気にしている様子だ。
視線で発言を促せば、お面の下からぽつりぽつりとつぶやく。
「……早く、出たいね、ここ」
「ですねー」
「仕事、あるし……課長にも、迷惑かかるから……」
「あぁ、あの子に関しては問題ないのです。何か文句言ってきたら、昔みたいにちょんまげ引きちぎったりますのでー」
「ダメだよ……痛いことは」
「それに、もう決まってる事でしょー?彼の方から、ここに来るってー」
そう言い返せば、口下手な甥っ子は黙りこくってしまった。
つまらない。もっと喋りたかったのに。
わたくしは、また唇を尖らせた。
ーーーー
昏睡からさめた神父のカチコミにより事態は収束に至った。
静句と鎮巳は地下監獄へ収監され、ドーズの監視下に置かれ、一方で救出された者達も、神父の意向により監獄にて療養している。
何にせよ平和は取り戻った。きっともう何も起こらないはずだ。
『静ァアアアア!!!』
「うーるーせぇーですよォ……何ですかァ」
『何が、何ですかァだ!!貴様の妹どうなってるんだ、四六時中何かガラクタを作って遊んで監獄生活をエンジョイしてるんだが!?』
「まぁ……腐っても発明家ですしねェ……」
『しかも材料になるものなど与えてないぞ!一切合切だ!錬金術師かお前の妹は、……コラァ!!大型扇風機など作って俺の紙袋を飛ばすなァァ!!』
「ハーイハイ、その調子でよろしくお願いしますねェー」
ドーズの怒声まみれの通話を勝手にブツ切りし、神父はポケットにしまいこんだ。
「はぁーーー。やれやれどいつもこいつも元気ですねェ……」
後ろに撫で付けた黒髪をがしがし掻きつつ独り言ちると、彼はまっすぐ真下を見下ろす。
そう、壁際に追い詰められた状態の小柄な女……ラスカルの怯えきった顔を。
「お前はどうです。元気でしたかァ……?」
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
「何で急に経文唱えやがるんです」
「あのすいませんぼくお金持ってないんで勘弁してくれませんかほんとに今にも泡吹きそうなんでごめんなさいごめんなさい」
「別にお前みたいなのからカツアゲなんかしませんし」
「じゃあ何なんだよぉお!!ぶっ飛ばすぞこらぁーー!!」
ラスカルは半泣きで叫ぶ。
どうやら神父は、下手をすればクローバーより嫌われている様子。
アライグマだかレッサーパンダだかのごとく両腕を振り上げて威嚇するラスカルを見るにつけ、心底鬱陶しそうにヤニ臭い息を吐き出した。
「そんなビビらんでもいいでしょうに。一応、旧知の間柄じゃないですかァ……」
神父の何の気なしな台詞が、ラスカルの記憶とトラウマを刺激する。
彼女の友人……もはやお馴染みのルーク少年だが、彼はクローバーに斬首されたことで命を落とした。
だがしかし、斬首される前に、酷い拷問を受けたのだ。目の前のこの男……遠山静神父によって。
「……神父」
「神父様ですけど」
「きみ、よくルークにあんな事できたね」
拷問の際、神父はルークの全身を順番に壊していった。
片目、鼻、歯、脚、……最後に手。
時計職人になりたがっていたルーク少年に不可欠だった手の骨を、再生不可能になるまで砕いた。
夢も未来も壊された絶望は、いかほどだったか……それは潰れた手を見た瞬間死を望んだ点から察せられる。
「ルークに聞いたよ。父親代わりだったんだろう、きみ。なら夢のことも知ってるはずだよね。よくも、あんな真似ができたね」
恨み言に近い台詞のわりにラスカルの表情は死んだようというか、空っぽだった。
神父は何も言わない。
黙秘して、ただただラスカルの空っぽな顔を見下ろしていた。
「……ルークに会いました?」
「え」
「会ったんじゃないですかァ、夢……淫夢か何かで。あいつ何か言ってました?何かしました?」
神父は矢継ぎ早に質問を飛ばす。
少々急な展開だ。やけに確信めいているし、そもそも何故そんな事を聞くのか。
対してラスカルは「話をはぐらかすな」と怒る
「……あぅ」
……ではなく、赤面した。
毎晩のように見ていた淫夢の中で、自分に触れて散々いたずらしていた男の正体は、言わずもがなルーク少年だったからだ。
ろくな説明、解説など無くても、神父は大体の事情を察した様子だった。
「会ったんですねェ……やっぱり」
「な、なんで、知ってるの……?」
「チビ。よく聞きなさい」
何を思ったか、神父がラスカルの両肩を掴んでぐっと顔を近付ける。
歩くトラウマのごとき男に急にそんな事をされ、目に見えて怯えるラスカル。
そんなことは意にも介さず神父は告げる。
「お前はもうすぐーー」
不意に、神父の体が丸ごと宙に浮く。
誰かに首根っこを持ち上げられたのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「……人のことを猫みてーに持ち上げねーで欲しいんですけどォ」
神父を持ち上げたのはクローバーだった。
ひょい。とか、そんな効果音が合いそうなほどに軽々……しかも片手でやってのけた様子だ。
神父は睨みを利かせてくるが、クローバーは睨み返す。
「そのチビに構わないでいただきたいのですが」
「あん?」
「近付かないでください、ラスカルに。怯えているから」
どうやらラスカルを庇っている模様。
クローバーの恋心を知らないのは、おおよそラスカルだけである。
要するに神父も知っているわけだ。
彼は聖職者のくせに意地悪い性格を持っているので、なんだか無性にからかいたくなった。
「何です?彼氏面ですかァ?」
「違います」
「格好良くて惚れちまいそうですねェ。キスしてもらったらどうです。あぁ、嫌われてるから無理なんでしたっけ?じゃあ俺がキスしてやりましょうかァ……」
「違うと言ってるのが聞こえないご様子で。耄碌ですか。墓穴を掘って差し上げましょうか」
「はあいストップゥ〜」
一触即発状態の二人の間に割って入ったのはオズだった。
手を打ち鳴らす代わりにおさげ髪を床に叩きつけて、彼はふたりの関心を己へ向けさせる。
「喧嘩はやめなさいよ、もぉ」
「別に喧嘩してませんし。ちょっとからかってるだけです」
「なんでもいいけど、ラスちゃんだいじょーぶなのぉ?腰抜かしてるわよ」
事実だった。
ラスカルは、歩くトラウマ二名が至近距離でいがみ合う光景に過度のストレスを感じて、見事に腰を抜かしていた。
ふるふる震えて半泣きでいるラスカルを見るやいなや、クローバーは瞬速で考えを変えた。
「神父様、外に行きましょう」
「えー。もう少しいじめたいんですけど」
「早く」
カソックの首根っこを掴んで引きずるようにして神父と共にクローバーは出ていった。
それを見届けるとオズはラスカルの膝に飛び乗る。
自身のおさげ髪で彼女の頭を撫でてやりながら優しく声をかけた。
「もう大丈夫よ」
「オズさぁん……っ。助けてくれてありがとう」
「よしよし。あんたは案外泣き虫ねぇ」
オズを掻き抱いてラスカルは呼吸を整える。
抱きしめたオズからは、心地の良い匂いが漂う。
花?石鹸?お日様?いろいろないい物が合わさったすごくいい香りが、オズからはする。
この匂いはきっと女子ウケするだろう。
「ぬいぐるみじゃないわよぉ〜」
「え」
「何かやたらぎゅーっとしてくるから。アタシのことぬいぐるみだと思ってるのかって思ってね」
「あ、ごめん。オズさんすごく懐かしい匂いするから」
「懐かしい?アタシとのファーストコンタクト、まだそんなでもないわよん」
「そうなんだけどね、ぼくの友達と同じ匂いがするんだよ」
オズからはルークと同じ匂いがする……ラスカルはそう感じていた。
似ているような気がする、とかではなく、『同じ』匂いだと。
「友達?ルークって子?」
「う、……ん。そうだね」
ルークの名前をはっきり聞いた途端にラスカルが言い淀む。
視界を完璧に覆われているオズには分かるはずがないけれど、ラスカルの顔は熟したトマトのようだった。
「なぁに、どしたのん」
「……なんでもない」
「嘘。何かあったんデショ。聞いたげるから言ってご覧なさいな」
大好きなルークと同じ匂いの男に、優しくされて悪い気はしなくて。
ラスカルはぽつぽつと語り出した。
「そりゃああんた、両想いだわさ」
聞き終わるや否や、オズはあっさりと宣言した。
「両想い!?そ、それってアレかぃ、男女の仲ってこと……?」
「それしか考えられなくない?」
「でも、ルークが死んだ時ぼく九歳だったし」
「今は大人でしょ。だから幽霊になって夜這いに来たのよ、きっと」
二人はずっと昔から両想いだったのに、子供だったから分からなかった。
というかお互いにずっと分からないふりをしていた。
それが今、ラスカルが大人サイズになり、ルークが我慢しきれなくて襲っているのだ……というのがオズの見解だ。
「……」
胸が高鳴る。妙な高揚感に駆られて、いまにも踊り出したくなる。
初めての気持ちだ。嬉しい、嬉しい嬉しい。
「うれしい……」
声にまで出てしまうその歓喜ぶり。
「どこが嬉しいわけ?」
にもかかわらず、オズは冷ややかに水を差した。
「……え?」
「何がそんなに嬉しいの?」
声は冷たく、纏う空気はつい今し方までとは似ても似つかない固さ。
すべてが氷のようだった。
急に変わったオズの態度に、ラスカルは困惑の色が隠せない。
「だって、両想いだろう」
「うん、そうね両想い。ただしとっくに死んでる男と」
「ぼくの中では生きてる」
「死んだ者は死んだで終わりよ。心なんて触れもしない不確かなものの中に住んでるわけないじゃない」
オズの言葉は飛び散ったガラス片のごとく突き刺さる。
対してラスカルは耳を塞ぎたかったけれど、できない。
そんなことしたらもっと傷つく気がして。
だから懸命に自分の心だけでもなだめようとした。……無駄だった、けれど。
だって、知っているから。目の前で酷い殺され方をしたとき、ルークの命は終わったのだ。
人は死んだら終わりなんて解っている。絶対的に解っているから解りたくなかった。
「ルーク、もうあえないの」
「あえないわよ」
脂汗をかいたあとが寒い。
「もう、ぎゅって、してもらえないの」
「してもらえないわよ」
喉がからからに乾く。
「もう、ぼくのこと、あいしてくれないの」
「愛してもらえないわよ」
死んだんだから、とやはり冷淡に言い放たれ涙が溢れた。
感情がたったひとつまで消え去っていく。
絶望というワンフレーズに、すべてが支配される。
死にたい。今すぐに。死んでしまえば、きっとまたルークに会える。
でも、ルークと約束した。死んではいけないと言われた。だから死ねない。
ならどうしたらいいのか。
この痛みは、悲嘆は、絶望は、死ぬまで続くのに。
気付けばオズは膝元から消えていた。
「う、ぁああ、ーーーーー!!ーーーーーー!!!」
クローバーに「恋を教える」と言われた彼女は、曲がりなりにも恋を知れたのだろう。
しかし、本当の意味での叶わぬ恋をしてしまった。
恋を知った瞬間、せっかく両想いだったろうに失恋した哀れな女。
その悲痛な叫びは、天まで届いたろうか。
ーーーーーー
その頃、教会の正面玄関にてクローバーと神父は口論していた。
口論と言ってもクローバーが一方的に怒っているだけで、神父は煙草をふかしながら適当にかわしているのだが。
「ですから、ラスカルのトラウマを必要以上に刺激しないでいただきたいのですが」
「ほぉ」
「貴方は自分のした事を少しは反省すべきだと思います。私が言えた柄ではないですが」
「へえ」
何を言っても生返事。イライラが限界付近まで募ってきたクローバーが、そろそろ一発かまそうか思案し始めた頃だ。
「クローバー。お前は愛情深い奴ですねェ」
「……は?」
神父の唐突な褒め言葉がかけられた。
クローバーが面食らっていると、ゆっくりと次の言葉が紡がれる。
「もったいないですよねェ……あいつも、応えられなくても気付くくらいはしてやってもよかったのに……」
「……何ですか、急に。というか、まるで死人を偲ぶような言い方はやめて下さいませんか」
「死にますよ」
神父は、さらりと言った。
「……は?死ぬ?誰が」
「あのチビが」
「何故」
「死因として挙げるなら、老衰です」
クズ工場という店は、もともとラスカルのための独房だった。
時間がとてもゆったり流れているように感じる、特別な仕様の牢屋。
ラスカルはそこに長い間閉じ込められていた。
それが最近になって出てきたため、急激に体が成長した。
「……って、とこまでは知ってますね?」
「ええ」
「ここからが問題なんです」
しかし、それは正確には成長ではない。老化だ。
肉体が老いるとともに精神も老いていく。
ラスカルは、約100年分の時間をあの牢屋で過ごした。
100年も生きれば、人間は老衰で死ぬ。
「待ってください」
クローバーが制止した。
「話についていけない。そんな無茶苦茶な理論があるか。あるわけが無い」
「あいつ、よく寝ると思いませんか」
「だから何だという」
「歳食うと寝たきりになるでしょォ……あいつァまさに年寄りなんですよ。寿命だけね」
クローバーは頭から冷水をかけられた心地を覚える。
ラスカルが、死ぬだと?
老衰で?あいつはまだまだ若いのに。
「嘘だ……そんな訳ない。非現実的だ」
「もっと非現実的な話がありますよ」
神父は咥えたままの煙草を少し噛み締め言った。
「俺ねェ……死にかけた時、あいつに会ったんですよ」
「あいつ……?」
「ルークです」
ルーク……先に死んだから、迎えにでも来たのか。
友人であるとともに恋敵ゆえ複雑ではあるが、あいつならばきっと笑顔で極楽浄土に導くのだろう。
「あいつ、すっかり怨霊になっちまってましたよォ」
そんな楽観思考は、無残にも崩れ去ることになった。
「チビを連れて行く気満々でね。言うなれば殺そうとしてるのと同じ事だっつーのに、全く。……どうして、こんな事になっちまったんだか」
タバコの煙を大量に吐き出し、神父は嘆くように呟いた。
それを聞き、クローバーの頭に血が昇る。
後先考えずに、彼は神父の胸倉を掴む。
神父は特に暴れもせず、ただ面倒くさそうにクローバーを見た。
「どうしてだと……?お前があんな所にラスカルを閉じ込めたからだろうが……!!」
「そうなる原因は誰が作ったんです。どこのどいつですか、チビを手がつけられないくらい荒れさせたのは」
たしかにあの牢を作ったのは別の者だ。
だが、ラスカルが死に追いやられるのはクローバーのせいでもあるのだ。
「そんな……」
全て認めたくない。認めざるを得ない。
ラスカルがもうじき死ぬことも、ルークが怨霊に堕ちたことも、それらの元凶が自分であることも。
クローバーは頭を抱えたくなった。
「……!!」
その時だ。
どこかから、誰かの絶叫が聞こえてきた。
声質的に、女。今ここには女はラスカルひとりのみ。
つまりラスカルに何かあったのだ。
クローバーは神父を放ると、一目散に駆け出した。
ーーーーーー
愛する人への気持ちに気付けた、否。気付いてしまった。
彼はもうずいぶん前に死んでしまっている。
幸福も未来も希望もありはしない。
この先自分は、いつまで生きていなければならないのだろう。
考えているうち、無性に腹が立ってきた。
何に?全ての物や事柄にだ。
忌々しい。
憎い。
恨めしい。……自分さえも。
いっそ腕でも刺してしまおうと辺りを見回してみるが、生憎と部屋は片付いていて、ガラス片等が落ちている様子はなく。
ならばと自らの爪で腕を掻きむしって傷付ける。
皮膚を裂く音とともに指先が赤く染っていく。
痛いけれど、やめる気にはならず、むしろ自傷行為をエスカレートさせた。
「ラスカル……!!」
と、ここで邪魔者が登場。
クローバーが部屋に飛び込んできた。
瞬時に状況を把握し、彼はまずラスカルの腕を掴んだ。
ラスカルは弾かれたようにクローバーを見上げる。
「……クロー、バー……」
一瞬だけ、頭が冷える。
次の瞬間、再び頭がおかしくなるほどの憎しみがラスカルを支配した。
こいつだ。こいつが、ぼくのルークを殺した。
二度と会えなくしたんだ。
ラスカルはほとんど衝動的に、クローバーの胸板にタックルし押し倒す。
荒々しい呼吸、血走った目。剥き出しになった歯。
今のラスカルのそれらはまるで興奮した獣だった。
がたがた震える指を、クローバーの首に巻き付け絞める。
「……、どうした」
しかしそんなラスカルを前にしても、クローバーは今から殺されるかもしれない態度とは思えぬ冷静ぶり。
理由は明白。彼女に殺意を抱かれる理由などわかりきっているから。
己の首筋に巻き付きながら震える彼女の手を、クローバーは優しい手つきで握った。
「やっていい。やれ」
「だまれ……っ」
「もし良ければ手伝ってやろうか?」
こちらは嫌悪感しか持っていないのに、この優しい態度。
不快だ。不快すぎて涙があふれる。
目の前に横たわる男の少し太い首を、必死に絞め落とそうとする。
が、過去に何度も損傷して筋力の弱った手では無理だった。
他に何かないかと手段を探そうにも、錯乱した頭ではまともに考えることもできず。
なんとかしてクローバーを傷つけたかったけれど、腕力も語彙力も劣る自分には為す術もなく。
「っ……ああああああああぁぁぁっ、うああああああぁ!!」
何一つできない事実に、ラスカルはまたひとつ絶望した。
クローバーの腹の上にて、背を丸め絶叫する。
ばりばりと顔の皮膚を掻きむしるも、クローバーに阻まれた。
「は、なせ……!」
「自分を傷つけたらいけない。やめろ」
「誰のせいだと思ってんだよ!!」
「全部俺のせいだ。でも、頼むから自分を傷付けることはやめてくれ。なんでもするから」
「ならルークをかえせよ!!ぼく、やっと自分の気持ちがわかったんだ、やっと恋ができたんだ、なのにっ……ルークもうこの世にいないじゃないか!!お前が殺したから!!」
咽び泣くラスカル。
抱えきれない悲しみに押し潰される小さい身体を、クローバーは横たわったままで抱きしめた。
時間ばかりが過ぎていく。
もともと非力な方のラスカルだから、クローバーに半ば取り押さえられている状態でいるうち、抵抗力もこそげ落ちていった。
やがて暴れることはおろか、泣きわめく体力もなくなった様だった。
「……」
かける言葉が、見つからない。
もう離してやっても問題ないだろうか?いや、また急に錯乱しないとも限らない。
目を離せば自分を傷つけたり、最悪の場合……死を選ぶこともあるかもしれない。
ーー死にますよ
先ほど聞かされた話を思い出す。
死んでしまう。ラスカルが。人並の幸せを得ることも出来ずじまいで。
そんなことがあってなるものか。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……
「ッ……!?」
不意に下腹部にくすぐったい感覚を覚えた。
柔らかい……手のひらで、触られている。
他でもない、腕の中の、ラスカルに。
ぎこちない手つきでクローバーの下腹部を撫でるラスカル。
その手が徐々に、彼の局部まで下がって……とうとうそこに、触れた。
何をしようとしているか察知したクローバーは、慌ててラスカルの手を掴み、上体を起こす。
「お前ッ……この馬鹿、何してる……!」
「考えてたんだよ」
「あ?何をだ」
「きみがどうしてこんなにぼくに優しくなったのか」
クローバーの呼吸が止まる。
それを虚ろな目で見つめてラスカルが続ける。
「きみさ、多分だけど、ぼくのこと好きだろう」
「……」
肯定も否定も、余計なことも、何も言葉にはしなかった。
ただ表情だけは、感情を隠しきれなくて。
……ラスカルは、その反応でむしろ確信を覚えてしまったようだった。
「クローバー。ぼくとえっちする?」
急にとんでもない事を言い出すラスカルに、クローバーは絶句した。
「なに、いって」
「したいんだろう?いいよ別に」
「なんでそんな流れになる。おかしいだろォ」
そう、ラスカルはおかしくなってしまっている。
あれだけ性行為をトラウマに思っていたのだ、ましてやクローバーを相手にしたいなどと思うわけは無い。
死ぬまで叶わない恋を自覚して、やけを起こしてしまっているのだ。
ラスカルが胸に擦り寄ってくる。
彼女の長い長い三つ編みからシャンプーの香りが漂う。
「クローバー」
「よせ、やめろッ……俺は、こんな事がしたい訳じゃ」
ない、と言い切りたかった。
……だが無理だった。
体の奥、芯が、すでに熱を持ち始めているのに気付いていたから。
愚かしくも、クローバーは欲情してしまっていた。
震える指で彼女の頬をなぞる。
くすぐったそうに頬擦りする様に、これ以上無いくらいに理性が揺さぶられた。
「ラス、カル」
ダメだ、やめろ。手を出すな。
ラスカルの好きなやつは俺じゃないことくらいわかってるだろう。
あぁわかる。わかってる、そんなこと。
ラスカルはきっと後悔するだろう。
でも。
「ラスカル……ラスカル……!!」
ーー今だけでいい、俺のものにしたいんだ。
長く保たれた忍耐の糸が、音を立てて切れ落ちた。
ーーーーーーーー
「痛みは無いか」
「ん……だいじょうぶ」
「そうか……」
前戯として、ゆるやかに体に刺激を送られていく。
体を解されていくにつけ感じることがあった。
自分で触っている時とは違うと。
手指は大きいし、長いし、太い。
感触はごつごつしていて、完全に大人の男の手だった。
以前のラスカルなら怖いと思ったろう。
けれどクローバーは、とてもとても優しく労わるように、ラスカルを愛そうとしていた。
ここまでに至って、彼は一度たりとも愛の言葉など口にしていない。
代わりに体で教えてくれるのだと、ラスカルは予感させられた。
「や、そこ、だめ……」
「あァ、気持ちいいか」
「だめだってば、くろぉっ……」
誰が聞いても甘いものの混じった声だった。
ラスカルは思う。
以前目撃した性交現場のせいで、とても怖いものだと思い込んでいたけれど、案外そうでも無いのかも。
だって、夢でしか味わえなかった気持ちいい事を、現実でできてるんだもの、と。
その時だ。
「うそつき」
どこからか、声が聞こえた。
聞き覚えのある、誰かの声だった。
愛してやまないその声の主は、明らかに怒っていた。
「うそつき」
遠いような近いような場所から聞こえるその声に、一気に頭が冷えた。
何故ならば、その声は。
……何やってるんだ、ぼくは?なんでこんな事してる?
ぼくはルークが好きなんだから、他の男にこんな事されていいわけないのに。
数十分前の自分の思考回路が意味不明すぎて混乱していると、自らの両脚が一層大きく広げられた。
クローバーがおもむろに覆いかぶさってきたかと思えば、ラスカルの頭の横に手をついた。
「え、え?なに?」
「そろそろ頃合いだ」
頃合い?頃合いって何の?
はっとして見遣ったクローバーの下腹部、そこには大きく醜く膨れ上がったクローバー自身が存在している。
背筋が凍った。
「やっ……まって、だめ、ぼくっ、あのっ」
必死に暴れて、懇願する。
そうすればクローバーなら止めてくれるだろう。
そう思ったが、もう遅かった。
クローバーの方も理性と我慢の限界を迎えていた。
荒い息を滴らせ、欲にまみれた雄の目で見下ろして、悪あがきするラスカルに構わずねじ込んできた。
「ーーーーー!!」
声にならない悲鳴が上がる。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
体が、頭が、心が、苦痛で支配されていく。
半分ほど入ったろうか、クローバーの腰が止まる。
同時に聞こえた舌打ち。
「ックソ、やっぱり全部は無理か……」
「か、はっ……」
不幸なことに大人と子供ほどある身長体格差が手伝って、苦痛も一入。
まともに呼吸もできないでいるラスカルの様子に、ようやくクローバーが気付く。
「……ラスカル、大丈夫か」
「や、ら……いや、いや、ぬいて」
うわ言のように、拒絶を繰り返す。
嫌がっている。どうやら彼の思った通り、ラスカルは後悔するはめになったようだ。
が。
「……泣くんじゃない」
クローバーは、やめなかった。
それどころかむしろゆっくりゆっくり律動を始めさえした。
痛みと恐怖に泣き叫ぶラスカル。
だが泣きそうなのはラスカルだけではなかった。
「痛みなんかすぐ消える。俺が、消してやるから……ッ」
傷つけてしまった。ラスカルを、子供の頃と同じように。
この事態を引き起こしたのはラスカルだ。が、受け入れたのは他でもないクローバーである。
受け入れてしまった以上、彼女を犯してしまった以上、どうせもう引き返せない。
なら、少しでも快楽を与えてやりたくて。
「や、だぁあああっ……いた、い、くろ、くろぉっ」
「……」
「ごめ、なさ、ごめんなさィイっ、ゆるして、ゆるひっ」
あぁ、ダメだ。快楽どころじゃない。
このまま続けてもラスカルの心が壊れてしまうだけだ。
「クソッ……」
クローバーのなかの性衝動もほとんど萎えてしまっていたので、もうやめざるを得なかった。
ラスカルの中から、ゆっくりと引き抜く。
とにかく謝ろうとして、気付いた。
ラスカルが気絶している。
……取り返しのつかないことをしてしまった。
もう二度と口をきかない方がいいのだろう。
彼女の前に現れるなんてもってのほかだ。
大丈夫、向こうだって近付こうとも思わない。
それに。
ーーどうせ、もうすぐ死んでしまうんだから。
「……ラスカル……あいしてる」
初めて愛の言葉を口にするクローバー。
クローバーは、ラスカルの意識があるうちに一度もそんな言葉を言わなかった。
言ってはいけない事だ。
最愛の人に、一途に想い続けるひとが、己の他にいるならば。
それに、ラスカルが自分のような男に恋されて嬉しいわけが無い。
でも。せめて、最愛の人にかかった呪いを解きたかった。
「ッ……〜〜ッッ」
意識のないラスカルの裸体に縋り付いて、声を殺して泣きじゃくった。
背後で誰かが嗤った声が聞こえた、気がした。
オズに言われたあと、調べ物のために図書館を訪問したキース。
通いつめること、もう何日ほどだろう。
調べる事柄はもちろんクレオのこと。
なぜ彼女はあんな価値観を持ってしまったのか?
とりあえず性暴行事件を洗ってみた。
図書館に行けば、新聞の切り抜きのひとつくらいは残っているだろうと思ったが、当ては外れた。
切り抜きひとつどころじゃあなかったのだ。
数十年前。この国……イブムニアでは性犯罪が横行していた。
監禁、暴行の末、何人もの愛を欠いた子供達が今も残されているという。
被害女性たちのプライバシーに配慮ゼロであるが、顔写真も載っていた。
……クレオの写真も。年端もいかない少女時代のものだろうけれども、たしかにクレオだった。
「……」
あの晩目撃した、クレオの顔を思い出す。
情交の真っ最中だというのにひどく冷めきったあの顔。
きっと、かつて巻き込まれた事件当時の記憶が掘り返されていたのだ。
「……クレオさん……」
オズに見抜かれた通り、キースはクレオに恋をしてしまっていた。
辛い目に遭って、今も苦しみ続けているであろう愛する女性。
救ってやりたい。護ってやりたい。愛してやりたい。そう、思った。
「なーに、すっげーもん見てんなお兄やん」
「うぎゃああああ」
背後から声をかけられ、キースは飛び上がった。
大慌てで振り返れば、特徴的な燕尾服姿の同僚。
ベルトである。気配を消して近寄ったらしい。
「ざっけんなよてめぇ!!ビビらせやがっ……何だそれ」
振り返って見たベルトの顔面。
そこまで端正とも言えない顔の目元は、眼鏡で覆われていた。
「眼鏡」
しれっと、ベルトは言い放った。
「お前視力いいんじゃなかったか」
「おん」
「っつか、お前眼鏡かけてるやつの心は読めねぇんだろ?逆は?」
「何も分からなくなるわな。だからだよ」
だからだよ、とは。
どういう意味か分からず、かと言ってどう突っ込めばもいいのか分からないキースは少し困ったが、ベルトは気にする様子もなく。
眼鏡の奥の視線を、今し方キースが取り落としたスクラップ帳に向ける。
「それ、クレオだべ。さっきすっげえ顔で本睨んでたけど」
「あ?……あぁ」
「誰だか教えてやろっか、その事件の犯人」
同僚たちは、皆ベルトの能力をあてにしている節がある。
謎めいた言葉や態度の真相を知りたいと思ったら、ベルトに目配せすればいいだけなのだから。
キースも、然り。
「やっぱ分かんのか!?誰だ!」
「オズだよ」
「……えっ」
オズが犯人?あの恋バナ大好き生首がか。
……無理があるだろう。そもそもオズには、性暴行事件を起こそうにも体がない。
髪は動くそうだが、それで女を何人も孕ませるのは不可能だ。
キースが疑い深そうにベルトを凝視していれば、ベルトは
「オズだよ、オズ。あいつに決まってる」
と半分うわ言のように呟いている。
……オズ。彼は確かに、なにか妙な雰囲気を持っている。
けれど、キースにクレオについて調べろと唆したのは彼だろう。
自分の悪行三昧の模様をさらけ出して、何を得する事がある。
「でも……そうだとしてもあいつ、他人事みたいに言ってたぞ」
「実際他人事なんだろうよ。あいつからすりゃあ。……お前さ、あいつの首から下どこいったと思う」
「え」
「首だけで生きてるってことは、胴体も単品で動いてると思わね?」
有り得る。あの生首の胴体なら、どんな行動を起こすのか。
……想像したらすごく嫌だ。
「多分、お前は知ってんだろ。オズの胴体がどこにいるか」
「……それ話す前にさ、言うことあんだわ」
「ーー俺、工場辞める」
ーーーー
ーーーー
ほぼ同刻、地下監獄。
「どーもォ……」
遠山静神父が、ふらっと現れ気だるげに挨拶を投げる。
誰に対してか?
牢獄に囚われている妹と息子にである。
「ぶーーーーーー」
「アメリカンにブーイングすんじゃねーです」
「ぶーーーーーー」
「ちょっと」
両手親指を下向きにし、上下させて、さらには両足もばたばた踏み鳴らす。
猛ブーイングだ。そんな猛ブーイングでの出迎えを受け取って、神父は心底面倒そうに顔を顰めた。
「お前ら、ミジンコ程も反省してねーじゃないですかァ……」
「反省って何をですー?兄ちゃんがゲジ眉になるように星に願いをかけた事ですかー?」
「願いがくだらな過ぎんですよ」
「これは失敬、次は兄ちゃんが水虫になるように祈りますです」
「もうなってます」
「わたくしとみーくんに近付くんじゃねーです不潔野郎!!」
「いや信じないで欲しいんですけど」
指をはさみに見立てて兄との縁を切る真似をしてみせる静句。
神父の言うように、反省の色は皆無。
けれど、別に神父は反省しているか確認しに来た訳では無かった。
「……怪我の具合は、いかがなもんです」
まず、すぐ目の前にいる妹の静句に問う。
静句は面食らった顔をする。
彼女自身は無意識だったのかもしれないが、手が腹を労わるようにさすっていた。
「……びちびちです」
「ぼちぼち、ねェ」
静句はじっとりした目で兄を睨むと、やがてそっぽを向いた。
次に、牢の奥の方にて座っている……息子、鎮巳へ。
「鎮巳、お前はどうですか」
「……黙れ」
鎮巳がお面の下から呟く。小さいながら敵意に満ちた声だった。
「今更気遣わないでくれる。偽善にしか取れないから」
「そんだけ噛みつけるなら元気ってことでいいですかね。上々上々」
「僕がここから出たら覚えてろよ。次こそ殺してやる」
「はいはいお待ちしておりますよォ……」
聞こえよがしな舌打ちを飛ばされたが、神父は平然と無視した。
「んな事より、ドーズの野郎は」
「管理人さんですかー?ニルさんと向こうで話してますですー」
「どうも」
ーーーー
ーーーー
「どういうことよ」
「聞いた通りだ」
ランタンにほの明るく照らされた男女。
顔にハート形のペイントを施した女・ニルと、紙袋を被った男・ドーズだ。
ニルは美しい顔を歪ませ、酷く憤慨していた。ドーズの提案のせいである。
「懲罰房に入れる!?カリンを!?」
「貴様も医者なら解るだろう。あの小娘は壊れかけている」
「そんな事ないわよ!」
「そうか、なら小娘の様子をもう一度見てくるがいい」
ニルは口篭る。
静句の元から救出されたカリンは、シンプルに言うとおかしくなってしまっていた。
常時無表情だった顔は、妙に喜怒哀楽が豊かになった。
よく泣く。よく笑う。よく怒る。
はたから見たらいい事のように思えるかもしれないが、知り合いからすればとても……同じ人間には見えなかった。
「記憶を複数回いじったあれは脳に異常が出ている。極めて情緒不安定、危険だ」
「だからって、何で懲罰房なのよ……!あの子暗いとこダメなんだから!」
「やつの喉を掻っ切った女がよく言えたものだな」
こうなったのも元はと言えば二ルのせいだ。
彼女はその事実を苦々しい思いで噛み砕く他なかった。
その後ニルは大人しく帰っていった。
不服ではあるものの、自分に出来ることはないと悟ったのだ。
残されたドーズは一人きりで突っ立っていた。
何を考えているのか。
紙袋の下にある顔は、どんな表情を浮かべているのか。
「……!」
ドーズの背目掛けて、突風が吹いた。
ふわっと風に紙袋が舞う。
飛ばされた紙袋を追いかけ、ドーズは監獄の仄暗い通路を進んでいく。
と、地面を流れるように飛んでいた紙袋が、何者かによって拾い上げられる。
「お魚くわえたどら猫ですかァ」
神父だ。
「誰がサザエさんか。紙袋を返せ」
ひったくろうとするドーズだったが、神父は意地悪して紙袋を己の頭上まで持ち上げた。
「貴様ァ……何の真似だ」
「いえ、別に。たまにゃあこうしてダチの顔をガン見したいと思いましてェ……」
「ガン見だ?俺の顔を?馬鹿を言う」
渾身のジャンプで紙袋をかすめ取ったドーズは、悪態をつきながら紙袋の形を直す。
その様子を、神父はじっと見つめていた。
ほとんど鏡のごとき真黒い瞳に映るドーズの紙袋の下。
「顔など無いだろうが、馬鹿め」
そこにドーズの顔はなかった。
それどころか、首から上が、完璧に、無い。
見えないとかではなく、そもそも存在しなかった。
「面白いもんですよねェ……頭無くなっても動けるし喋れるなんざ、ふざけてるとしか思えねーですよ」
「大真面目だがな。で?俺に何か用か」
紙袋を元通り被……いや乗せて、ドーズが聞いた。
神父は「あァ……」と少しバツが悪そうに頭を掻き、告げる。
「よくねー報せです」
「良い報せの方が少なかろう。何だ」
「お前の何百人いるかわからねーガキどもの話ですよ」
それを聞き届けた瞬間、あからさまにドーズの肩が跳ねた。
「お前、ルークって知ってます?お前の最後の子……いわば末っ子ですけど」
「……あのラスカルとかいうちんちくりんがよく話しているな」
「そう、そいつです。俺が昏睡した時、あいつ追い返してくれましてねェ……代わりに伝言頼まれました」
「伝言……?」
「逃げられる時間は終わりだぞ、父さん……だそうですよォ」
他人が聞いてもさっぱり事情が分からない流れだった。
けれども、ドーズは。顔が無いながら体が不自然強ばっていて、あからさまに緊張し……動揺しているのが見て取れた。
「逃げられるのは、終わり……だと?」
神父は、吸っていたタバコを指先に挟んだままで静止していた。
ドーズが次にどうするのか見守るように。
「ふざけるな」
しばしの間の後、ドーズは声を絞り出すようにして反抗する。
次にこう言葉を続けるのだ。
「逃げられないと思うか?地下に潜んで何十年だと思う。あの生首はここまでは来られん」
「まぁ、オズはここには来ないでしょうねェ」
「なら問題なかろう」
「ただ。お前のガキどもが、オズの所に集まってきてんですよ。あいつらなら来ると思いますよォ、数が数ですから」
地下監獄の通路のど真ん中。
ランタンにほの明るく照らされ壁に映ったふたつの影、その片方が妙に揺れている。
ドーズの呼吸が荒くなっていく音が響く。
「どうなると言うんだ。俺は、どうなる。殺されるのか」
「聞かんでもわかるでしょうに……あの生首は、胴体であるお前と一体になろうとしてやがるんですよ、胴のオズワルド。胴オズ……ドーズ」
「そんな事になったらまた世間が大混乱に陥る!嫌だ、俺は二度とあんな事は御免だ、自分に誓ったんだぞ、二度と性欲に流されないと!理性を失くしたくない!獣になりたくない!人間でいたい!!クレオを傷つけた時に決めたのに……」
「やっぱりそうか」
若い声が割り込む。
帽子を被った青年が、物陰に潜んでドーズ達を覗き見ていた。
キースである。
いつからそこにいたのだろう。
否、それよりも、どこまで聞いていたのだろう。
帽子の影に隠れた眼差しは、いやにぎらぎらと輝いていた。
「お前だな」
キースが物陰から、揺れるような足取りで姿を現す。
右手人差し指をまっすぐドーズに向けて、呪わしそうな口調でつぶやいた。
「お前、やっぱりオズの胴体だったんだな……お前がクレオさんを辱めて、あんな風にしやがったんだ」
神父は、面倒くさいと顔に出ている。
が、あえて何も言わないでおく様子だった。
「……俺じゃない」
「言い逃れしてんじゃねぇ、お前だろ!!全部お前のせいだろ!」
「違う!!俺はッ」
「この害悪野郎!お前なんか消えちまえばいいんだ、謝れよ!クレオさんだけでなく、この世の全てに謝罪してそのままくたばれ!!」
キースによる怒涛の罵り文句に、ドーズは見事にキャパシティオーバーを起こした。
凄まじい絶叫を迸らせ、その場から走り去っていってしまう。
「あーぁ逃げちまったじゃねーですかァ……アレ多分トンズラしますよ」
「別にいいだろほっとけば」
「良くねーですよボケ。監獄の管理どうすんですか、囚人が多少なりとも残ってんですけどォ……」
「知らねぇ。お前がやるかバイトでも雇えよ」
管理者を罵倒しまくって追い出した挙句、勝手をほざくキースを、神父はしばらく憎々しげに睨んでいた。
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ーーーー
地下監獄、懲罰房前。
現在、そこにはひとりの少女が監禁されている。
彼女は囚人ではないものの、ドーズの許可のもとの特別措置である。
少女は以前と振る舞いが違ってしまっていた。
というより、気が違ってしまっていた。
何も可笑しくはないはずなのに延々笑っている。かと思えば泣き止まなくなる。
そんな少女の様子を一目見に来た者が、房の前に立っている。
「……よぉ」
艶やかな黒髪黒眼がきれいな、黒服の子供。
社長と呼ばれる化物である。
「元気かぁ小娘」
声をかけても応えてはくれない。
そもそもが全く聞こえてないだろう。
彼は、どうすればいいのかわからなかった。
他人に気付かされた、少女に対する『憧れ』という感情。
とりあえずというかなんというか、まずは想いを伝えてみたかった。
けれども、彼女はこの通り、壊れてしまった。
二度と以前のような彼女には戻らないかもしれない。
「……なぁ」
返事はない。
「たのむよ……元に戻ってくれよぉ」
返事はない。
「なんかよくわかんねぇけど、たぶん、俺、お前のこと……」
返事はなかった。
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ーーーー
「え、辞める?ベルさんが?」
「突然な。何か聞いてねぇのか、恋人だろ」
私の恋人、ベルトさん。愛称ベルさん。
彼は一言で言うならとても面倒くさいひとだ。
よくいじけるし、よく甘ったれる。そのわりに、進んで頼ろうとはしない。
全部ひとりで抱え込んで、解決しようとする。
だからきっと、今回も何かあったんだと思う
「……聞いてないです。ごめんなさい」
「やっぱりか。ニルとかに聞いても、心当たり何もねぇって言うんだよ」
ったく……と悪態をつくキースさんを尻目に、考えてみる。
思いつく理由は……あると言えばある。
オズにいだ。
ベルさんは、彼のことを怖がっていた。
何も無い、とは言っていたけれども、本当は過去に何かあったんだと思う。
「オズにい……どうしてます?」
「あ?オズにい?」
「あ、えっと、オズワルドさんです……」
そう聞けば、キースさんの表情が強ばった。
怒っている……いや、急に機嫌が悪くなったみたいだ。
「オズワルドな、オズワルド……お前仲良かったのか」
「え、はい、まぁ。幼い頃から知人で」
「ドーズは。あの紙袋とも仲良かったのか」
「ドーズおじさまです?どうして急にドーズおじさまが出てくるんでしょう」
「あいつら同一人物だから」
「へぇっ」
思わず素っ頓狂な声が出た。
ドーズおじさまとオズにいが同一人物……ってことは、ドーズおじさま、紙袋の下お顔無かったの?
「……あ」
そこで私は以前ドーズおじさま聞かされた話を思い出す。
ーー胴体は愛想を尽かして逃げてしまったのかもな
彼が性犯罪者だったっていうのが本当なら、おじさまは、頭から逃げていた……?
「……ちょっと私、ドーズおじさまと会ってきます」
「無理だな。あいつもうどっかに逃げたし」
「えっ、どうして」
「僕が正体問い詰めたら、叫んで逃げてった」
「……」
キースさんは淡々と喋りつつも、どこか誇らしげだった。
……理解に苦しむ。
あんな優しい人を追い詰めたことを、何故そんなに誇っているのだろう?
なんだか気分が悪くて、胸がざわざわする。
「それよりベルトの説得よろしくな。たぶん歓楽街辺りにいると思うから」
「……。……わかりました」
私は久しぶりに、人を嫌いになりそうになった。
ーーーー
ーーーー
あたしはアホの子だ。
記憶力がほとんど無いから、ほとんどのことはすぐ忘れちまう。
でも覚えてることがひとつある。
「コノハナ」。あたしの名前。いい名前だろォ、異論は認めねェ。
付けてくれたのは父さんだ。
あたしの家は、暗いところ。
ここはたぶん地下……だろう。牢屋が大量にあるから、監獄かもしれねェ。
あとすっげえ静かでな。
そんなところでも、父さんがよく逢いに来てくれるから、寂しくはない。
「コノハナ!」
「よぅ」
今日も父さんが来てくれた。
紙袋を被ってる変な親父だけど、優しい父さんだから好きだ。
……でも、今日は様子がおかしい。
牢の向こうで、息せき切って、妙に震えている。
「どーしたァ?」
「すまない……すまない、コノハナ……俺は、もうお前に会いに来れん」
「は」
牢の向こうから、何かが差し出される。
鍵だった。多分、あたしの牢の。
会いに来れん、て、どういう意味だよ。
知りたくて、鍵を受け取ったのと逆の手を伸ばすけれど、父さんはどこかに走って行ってしまった。
「……父さん……」
しばらく呆然と立ち尽くしていた。
が、はっと我に返って、鍵を開けることを試みた。
とにかく父さんを追いかけようと思って。
慌てているせいで、手が震えて開きやがらねェ。
ふざけんな止まれ、止まれよぅ。早くしねぇと、父さんがどっか行っちまう。
「お困りかね、お嬢ちゃん」
「!!」
闇に溶けるように、立つ影がひとつあった。
背の低い男だった。
「誰だァ、おめぇさん」
「おまえさんの、お兄ちゃんじゃよ。迎えに来たんじゃ」
その時、やっとこさ鍵が開いた。
鉄格子がゆっくり開く。
男が手を差し伸べて、あたしに優しく微笑みかけてくる。
「おいで、コノハナ……いや。ハナちゃんや」
ーーーーー 遡ること数日前。 オフィスビルが建ち並ぶ通りのなか、一際巨大なビル内にて、幽霊面の男がデスクについていた。 と言っても仕事に打ち込んでいる様子でもなく。 むしろ上の空に見えた。 今にも首をくくりそうな顔をして、ぼんやりと前を見ている。 「久しいな、クローバー」 そんなクローバーの前に凛と立つ人物。 眼鏡をかけた灰色のコートが特徴の女、クレオである。 「……ホプキンスを呼べ」 「私がホプキンスだが」 「お前じゃねェ、消えろ。というか何でここに居る。どうやって入ってきた」 「きちんと正面玄関から入ってきたさ。水戸黄門のように警察手帳をチラつかせてな。一度やってみたかったんだ」 職権乱用してまで何をしにクローバーに会いに来たのだろう。 水戸黄門ごっこがしたかっただけだとしたら、今すぐスケさんカクさんを召喚してどこぞに連行していってほしい……と、クローバーは思った。 が、今クローバーは口論する気力もなかった。 「ラスカル・スミスを手篭めにし損ねたな」 クレオは、いきなりそう言った。 その台詞だけで全てを察するには十分だった。 「なぜ最後までしなかった?」 少し前、クローバーは長年想い続けた女を犯した。 たしかに合意の上だった、はずだった。 だが彼女は途中から嫌がりだし、泣いて暴れた。 まるで誰かが、行為自体を責めているのに気づいたように。 「……。……嫌がるから、止めた」 「その程度の欲求だったということか?泣かしてでも我が物にしたいと思うほどの魅力があいつには無かったと?」 「違う。ずっと見てたならそれくらい解るだろォ……」 「解らない。全く解らない」 嫌味で言っているふうではなかった。 クレオは本気で、恋愛のもたらす心の機微が理解できない様子だった。 ともあれそんなことはクローバーにとってはどうでも良かった。 ただでさえ死ぬような気分でいるのだ。こんなトンチキ女に構うのに、労力など使いたくはない。 「もう帰れってんだよォ……頼むから」 「そうだクローバー、飴はいるかね」 無視だ。 なぜ急に飴なんだ、おばちゃんか。 「友人に貰ったんだが、私は甘い物は好まんのでな。いらないかね」 「いらねェ」 「そうか……おっと、そろそろお暇しよう」 壁掛け時計を一瞥し、クレオは踵を返して部屋を後にした。
結局何をしに来たんだろうか、彼女は。 大きなため息をつき……クローバーは、デスク上の書類に目を落とす。 会社でもっとも重要な書類に目を通していたところだったのに、すっかりサボりきってしまっていたのである。 コン、コン 「……?」 副社長室のドアを、ノックする音。 クレオがまた来たのか。 ならば知るものか。さっさと諦めて帰れ。 無視するクローバー、だったが。 コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン しつこい。 なんなんだあの女、公僕のくせに暇なのか。 いい加減にしないと、そろそろ一発かましたくなってくるのだが。 と、ここでノック音がリズミカルなものに変わった。 どこかで聞いた覚えのあるリズムだ。 コンコンコン、コンコンコン、コッココ、コンコンコン。 記憶を手繰りよくよく思い出してみる。 これは……そう、あれだ。 一昔前に話題になった、中年女性のあれだ。 引越しせよと布団を叩きまくって威嚇する、あの歌。 つまり、ノック音はこう語りかけているわけだ。 ひっこーし、ひっこーし、さっさとひっこーし。 「しばくぞ」 とうとう切れたクローバーがドアに飛び蹴りをかます。 ドアを、その向こうにいるだろう人物ごと蹴飛ばした。 やたら図体のでかい男が力任せにそんなことをしたせいで、ドアは枠から外れ。 無残にもべこっとヘコみ、跡形もなくなっていた。 「な、何ですか突然んんんん!!」 そこにはクレオがいるはずだった。 が、足元にて腰を抜かしているのはクレオではなく、その妹。 クローバーの秘書、パティであった。 「クレオはどうした。ノックしてたろォ」 「お姉ちゃんはさっきすれ違いましたけれど……」 「は?じゃあお前がノックしてたのかァ?」 「ノックですか?」 きょとんとしているあたり、パティが騒音おばさんノックしていたわけではないのだろう。 なら誰が? 不思議に思いつつパティを放ってデスクへ戻る。 「……あ」 そこでクローバーは気づくに至る。 先程までデスク上に置いてあったはずの重要書類が、きれいさっぱり消えていることに。
ーーーー
ーーーーーー 「へえ。ミフネさん、バイト色々掛け持ちしてるのかぃ」 「おうとも。何かと金がかかるもんでのう」 地下監獄の通路を、雑談しながら歩く男女。 やたら小さい女・ラスカルと、コーディネートが怪しげすぎる男・ミフネだ。 「一人暮らしかぃ」 「社員寮住まいじゃ。が、一人っちゃあそうじゃの」 「寂しくない?」 「妹が遊びに来るでな。いつもわしがゲームしてるのを見とる」 「一緒に遊んでくれないのかぃ、妹さん」 「ノリ最悪なんじゃよ。……わしの顔に何か付いとるかね?」 急にそんな事を言い出すミフネに、ラスカルは思わずはっとする。 無理も無いことだ。 実際ラスカルはずっとミフネの顔を見上げ続けていたから。 じいっと。 埃被ったアルバムか何かを見るように。 「なんじゃ?わしがイケメンすぎて見とれてたかい」 「え、いや、えっと……」 「はっはー。冗談じゃよぉ、そんな動揺せんどくれ」 朗らかに笑いつつミフネは「さて仕事じゃが」と話を変えた。 地下監獄には、現在ほとんど囚人は残ってはいない。 数ヶ月前に逃げてしまったからだ。 では何の業務が残っているのか? ミフネがトオヤマシズカ神父に依頼されたのは、ごく最近収監された囚人の世話。 対象となるのは、遠山静句、遠山鎮巳の二人組。それとカリンである。 「ってなわけじゃ。わかったかの?何か質問はあるかね」 「ミフネさん、子供いるかぃ」 「ちょっ、全然聞いとらんし」 またずいぶん突飛かつ唐突な質問だった。 ミフネに子供がいるかなんて、今は一切関係ないだろうに。 「クローバーって知ってるよね」 「ああ、幽霊面の小僧じゃろ」 「あいつと同い年くらいの子供、いない?」 冗談めいた顔ではなく、むしろ妙に確信めいた口調だった。 「子供はおらんよ。兄弟姉妹は死ぬほど居るがの」 「何人くらい?」 「五、六百人」 ミフネはいたずらっぽく笑った。 あからさまな嘘だ。 そう、嘘。普通に考えたらそう思うだろう。 聞いたラスカルはどう取ったか分からないが、ただ静かに、まばたきを数回した。 「お、着いた。ここじゃの」
たどり着いたのは、とある独房。 比較的広めの牢に閉じ込められるは一組の男女……だが、奥の暗がりに潜んでいるようで、姿が見えない。 ミフネが鍵を開ける。その際、さりげなくミフネが後ろに後退った。 ラスカルが先に入るように、ということらしい。 とくに疑うこともなく、ラスカルが牢に足を踏み入れる。 「わっ!?」 暗がりから人が飛びかかってきて、ラスカルの腹に馬乗りになった。 ショートウルフヘアの、日本人女性。 遠山静神父の妹、遠山静句だ。 「あーら、可愛い女の子なのです」 にっこり笑顔でラスカルを覗き込む静句。 「あなたはたしか、ラスカルさん……でしたねー?おはようございますですー」 「えっ、ちょ」 「静句おばちゃん……ダメだよ急に乗っかっちゃ……びっくり、してる」 続いて、スーツの上に青い着物を羽織り、お面をかぶった男……鎮巳も出てきた。 たしなめながらも鎮巳は、無理に退かす訳でも無く。 ラスカルの傍らに、ゆらりと立つのみ。 「……っ」 この状況は少々、まずいのではないか。 静句は、国中の人間を皆殺しにするという目的を持つ危険人物だ。 それに鎮巳にいたっては、ラスカルは一度殺されかけている。 ラスカルは、焦りを覚えつつもミフネに助けを求めるべく、視線を向けた。 ミフネは、助けるでもなく、ただただ笑っていた。 にやりと、妖しく、いやらしく。 「ミフネさん……?」 「ラスカルちゃん」 ミフネがゆっくりと牢を閉めた。 「のう……いけない事、しようか?」
ーーーーーーー 所変わって、株式会社ブランクイン本社。 「馬ッ鹿じゃなかろか」 「申し訳ございません」 床に正座したまま、上司にどこかの訛り言葉で罵倒される。 国で一番の大企業の、裏側と表側の社長を担う二人は……強いて言うなら、『表社長』のトオヤマシズカは、大層腹を立てていた。 普段の気だるい口調も爆散させ、ただただ詰ってくる様は、見事にただの感じの悪いおっさんそのもの。 「マジ何やってんですお前。なに仕事中に書類盗まれてんですか?馬鹿以外に形容できねんですけど」 「申し訳ございません」 「申し訳ございませんしか言えねーんですかァ。他に何かいってみろってんです」 「クソ上司」 「はい減俸。上司の心傷つけました、ざまぁ」 「あーもういつまでもうるせえなぁ。やっちまった事はもういいって」 素直に暴言を吐いてクローバーが見事減俸を食らったあたりで、もうひとりいる社長が声をかける。 「んな事よりとっととアレ取り戻さねぇと」 「そもそも誰が盗んだんでしょうねェ……」 「怪しいのはクレオではないかと思います」 クレオが怪しい、と睨むはクローバー。 何故ならば寸前まであの場にいたのは彼女だけだから。
「クロちゃん、監視映像見たかぁ?」 「無論です」 あの後クローバーは、もちろん監視映像をすぐに確認した。 が、犯人は映っていなかった。 肝心の書類が消えた瞬間だが……厳密には映っていたことは、映っていた。 少し妙な形で。 「なんというか……透明になって消えました」 「よろしい今すぐお前の命の灯火も消してやります」 「お待ちください。ふざけている訳ではないんです」 映像の中で、書類は透明人間が触って隠したように消え去った。 一瞬にして、さっと。ぱっと。 「透明人間……そういやうちの愚妹が昔、そういう発明品作ってましたねェ……」 ならば静句がやったのか? ……いや、それはありえないだろう。 彼女は現在収監されているから、こんなところに来れるはずがない。 「あいつについては、ちょうどミフネに任せた所でしたっけねェ。クローバーお前、行って聞いてきなさい」 「私がですか。というか何故わざわざ出向く必要が?電話で事足りると思いますが」 「罰ゲーム」 しれっと神父は宣った。 要はいじめ、パワハラである。 「あぁ、ミフネなら教会か監獄にいます。クズ工場の連中と一緒ですよォ。じゃ、よしなに」 さっさと行ってしまう社長コンビの背を見送り、クローバーは舌打ちをした。
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一方、教会。 「へえ、そぉ。静ちゃん相当怒ってたのねぇ〜。はははっ」 「笑い事じゃねぇよ」 キースはオズと話していた。 内容はオズの胴体、ドーズについて。 「諸々の事情は、お前のほうに先に聞いといて正解だったな」 「あら、アタシ何か言ったかしらン」 「言っただろとぼけんな」 キースは、地下監獄のドーズの元へ向かう前にオズに会っていた。 幼い日のクレオを穢した動機について、問い詰めるために。 オズは冷静にこう言っていた。 「あの子には悪かったと思ってるわ。でも、アレはアタシのせいじゃあないわよ。だってそうでしょう。頭が何考えるにしたって、行動するのは結局身体なんだから。身体の……ドーズ?っていうの?そいつの責任よ」 「考えたのは頭部のお前だろ」 「あら。アタシがそんな酷い奴に見える?誰にでも優しく接してるつもりだけど?逆にドーズの方こそ、結構情緒不安定なんデショ」 「それは……」 ……たしかに、とキースは思った。 オズの人柄とドーズの人柄を比べてみれば、どちらがより過激な思考回路をしているかは明白。 (なら……ドーズのせいだ) キースはそういう経緯で、オズの言い分を信じ、ドーズを責め立てたわけだ。
これで良かったのだ。
オズはまともだがドーズは普段から異常だったわけだし、例の事件についてもドーズに非があるに決まっているのだから。 「どこ行ったんだろうな、ドーズの野郎は」 「さあ。そのうち戻って来るんじゃないの」 放り投げるようにオズは相槌を打った。 ふと、部屋の扉が開く音が聞こえたので、キースは視線を向ける。 灰色のコートの女、クレオの姿がそこにあった。 「クレオさん……!」 「やあ少年、オズ」 「あら、どうしたのくーちゃん。何か用事?」 「親友に会いに来るのに理由がいるのかね?」 「ああんもう、嬉しい事言ってくれるんだからっ」 それを聞き面食らうのはキースだった。 親友?オズが? 過去の全責任がドーズにあるにしても、自分を辱めた男の頭部であることは間違いないだろうに。 「ねぇねぇ、また恋バナしなぁい?」 「またか?残念だが話のネタはないんだ」 「ぶうー」 クレオは、他の誰にも向けないような、優しい目でオズを見ていた。 「それよりもニルギリスは何処かね。彼女に用があるんだ」 「ニルちゃん?さあ、自分の部屋にいるんじゃないかしらン」 「ありがとう」 オズのおさげ髪を手に取り、握手会するように、きゅっと握るとクレオはそのまま部屋を後にする。 「クレオさん!」 それをキースは追いかけていく。 クレオはいくら呼びかけても、返事もしなければ振り返りもせず。 無視して歩き続ける彼女に付き纏って、キースは声をかける。 「クレオさん。あの、オズはっ」 「私の友人を甚く傷つけてくれたようだな少年」 ようやく返事をしてくれたクレオ。 だがその声はひどく冷ややかだった。 「全く君は厄介だよ。何を勘違いしているんだ」 「え……」 勘違い。その意味はいまいち解らないけれど、クレオが怒っているのは解った。 クレオがドーズと友人だというは知っているが、それにしたってやけに温度感が高くはないか。 謝った方がいいのか。否。僕は悪い事はしていない、と開き直る。 ただ自分の善意に忠実になっただけだから。 「その昔、私に悪戯をはたらいたのはオズじゃない。もちろんドーズでもない。その辺の変質者だよ」 「……え」 クレオの言葉に耳を疑った。 オズワルドが犯人じゃ、ない? ……いや、そんなはずはない。ドーズで間違いないはずなのだ。 きっとクレオは友人だからと真相をねじ曲げているに違いない。 「クレオさん、」 「少年、飴はいるかね」 「えっ??飴?」 話を遮って差し出されたのは、まん丸い飴玉。 鮮やかな赤色で、大きなビー玉のようにも見える。 甘いものはまあ好きだ。いつも煙草型チョコをくわえているくらいだから。 クレオはきっと、気まずい思いをさせないようにと気を使っているのだろう。 大人の気遣いだ。 「い、いただきます」 ありがたく受け取って、舌で転がした。 甘い。この味はリンゴ……だろうか。 「この飴どこで買ったんですか」 「オズが大量に作ったらしいんだ。方々で配っている」 「へえ……」 クレオはしばらく無言で飴を舐めるキースを観察していた。 が、不意に「そういえば」と話しかけてきた。 「本当はニルギリスに話したかったんだが、お前たちにひとつ依頼があるんだ。よろしいかね」 「え、依頼?どんな」 「お前達も既に聞き及んでるのではないか、街で噂の泥棒のことを」 「あー。あの顔泥棒とかいう」 「その犯人逮捕の手助けを頼みたい」
「それなら俺も同じ内容頼みたいんだが」
やたら陰気な声が割り込んだのでそちらに目を向ければ、ほぼ毎度お馴染み幽霊面男クローバー。 「よぅ。墓地に里帰りか?裏に回れ、ここは生者の居所だ」 「ナチュラルに死人扱いしてくれてんじゃねェ」 「聞いたぞ、クローバー。お前重要書類を盗まれるヘマをしたそうだな」 例のごとく耳が早いクレオが、挑発とも取れることを言うがクローバーは無視した。 辺りを見渡し、舌打ちをひとつ打つとこう訊ねる。 「ミフネはどこだ」 「コーディネートイカれたおっさんなら監獄にいるぞ。あらいぐまと一緒に」 「……」 一瞬クローバーが静かになる。 彼は想い人が関わると中学生並みにナイーブになるから、いつものことだ。 そう思ったのだが、今回はなにか雰囲気が違っていた。 「どうした、あらいぐまと会いたくねぇのか」 「……あいつが会いたがらないはずだ」 「そんなのいつものことだろ」 クローバーは、普段の三倍は陰気な顔で俯いた。 そしてぼそっと言うのだ。 「……今言った依頼の件で、ミフネに用があるだけだから、あいつとは極力顔を合わせたくない」 どうやら、ふたりの間に何かあった様子だ。 別にからかう気は無い。が、気になりはする。 「依頼の件で、という事は我々にも関係ある。クローバーに同行しよう少年」 クレオの提案に、よっぽど嫌だったのだろうクローバーは目を輝かせた。 キースはキースで、クレオの言うことには逆らいたくなくて。 結局三人揃って監獄へ向かうのだった。
ーーーーーー 「も……もぉだめ……」 地下監獄に、荒い呼吸がこだましている。 むわっとした濃い空気の中、とても小柄な女に集る人々。 「ね……ほんともうだめだって……死んじゃう」 「大丈夫じゃよ」 「ラスカルさん……もう少し、がんばって……」 「これも大人への第一歩、なのですー」 余裕なさげに慌てる女に、優しく声をかける周りの人々。 「まって、まってっ……もぉ、そんなにそそがないでっ」 「……何してるんだお前たち」 女の声が、至極呆れたような声で横槍を入れた。 もうだめ死んじゃうとか注がないでとか。 聞くだけだといかがわしい空気、だがしかしその実態は。 「何やってる、って飲み会じゃよぉ〜」 ミフネが真っ赤になった顔を晒して、陽気に返す。 「ラスカルさんたらどっか暗いお顔してらっしゃるのでー。アルコールで打ち解けてわいわい盛り上がってたのですー」 「でも……ここに居るみんな下戸……なんだよね……」 「わしらカルピスサワー一杯でべろべろじゃもんなー」 酒が入っているせいでみんなにこにこしている。 誰も彼も、ラスカルでさえも、実に愉しそうに。 「腹踊りでもしたいのう、アッハッハッハッハッ」 「ぼくも、腹踊りできるかなぁ。ちょっとやってみたいなぁ」 「おーできるできる、一緒にやろッッッ痛あ!!」 ノリノリで腹を出そうとするミフネを、思い切り蹴飛ばしたのはクローバー。 「何すんじゃあものもらい小僧!!おにぎりでもよこしてそのものもらい治してやろうか!」 「俺の目はものもらいじゃねェ、馬鹿が。馬鹿が」 「おおん!?なぜ二度言った!」 クローバーは諸々の事情やらをすっ飛ばせるほど、単純にミフネに腹を立てていた。 何故仕事中に、酒盛りをしている。 あろうことか囚人どもと。 「仕事しやがれこの野郎」 「これも仕事っちゅーことでひとつ、よろしゅう頼む」 「却下」 「おい、じゃれてねぇでとっとと業務連絡しろよ」 けらけら笑っているラスカルの手からカルピスサワーの缶を取り上げながら、キースが言う。 クローバーが舌打ちする。 彼はそばに転がっていた汚いバケツを拾い上げ、次に水道を全開にして水を溜め。 なみなみと入った、なかなか冷たいそのバケツの水を、ミフネにぶっかけた。 「ぶっは、げっほごっほ」 「酔いはさめたかァ?」 「げほっ、あーー寒。はいはい、ばっちりさめたぞぃ畜生め。わしに何ぞ用か」 「静句ってのはそこのお前だなァ。話がある」 「え?わしに話じゃないん?水かけられ損?」 クローバーが静句に聞きに来たのは、過去の発明品について。 人の姿を消せるマシンか何かを作ったことはあるかどうか。 あったとして、それを誰かに讓渡したか。 静句は、酔っ払って締まりの無い顔ながら答える。 「作ったことはありますです。正確にはマシンではなくお薬ですがー」 名称を、プレデターごっこ薬。というそうだ。 プレデターという映画を見てインスピレーションを受けた静句が作ったという。 飲むと一時間ほど姿が消える。やはり静句の発明だったのだ。 「で、それ今誰が持ってんだァ?」 「知りたいならば条件があるのです」 カルピスサワーの缶の飲みくちを、ぺろっと舐めつつ。 静句は、こんな交換条件を提示してきた。 「わたくしとみーくんを釈放なさい」
ーーーー
ーーーー 突如として工場脱退を宣言したベルト。 便利屋は自由業、つまり収入が不安定であるが、それでもなんの職にも就かないよかましだった。 にもかかわらず後先考えず辞めてしまったわけだ。 「ようこそお嬢さん」 そんなわけで彼は現在、街の路地裏にて占い師稼業で生計を立てていた。 占い師を選んだ理由はいくつかある。 彼は得意の「悟る力」の応用で、いくらか後の未来も分かる。 それに、客が女だった場合、うまく言いくるめれば家に上げてくれるからだ。 「血液型は?」 「知らねェよぅ」 「趣味は」 「なんだっけなァ」 「……家どのへん」 「覚えてねェ」 「嘘おっしゃァアアい!!」 唐突に客にキレたベルト。 質問に対して回答すべてをすっとぼけられたのだ、無理もないだろう。 目の前の客は、怒鳴られてもきょとんとしていた。 「忘れたんだよぅ」 「はぁん?」 「個人情報ぜんぶ忘れちまったからよぅ、占ってもらおうかなってな」 「姓名判断じゃねんだからさぁ」 客は、ラスカルと同じくらい小柄な女だった。 かんざしをさした派手な金髪に、まん丸い青い目。それに瓶底眼鏡が特徴的だ。 肩には巨大な麻袋を担いでいる。 何か、とても大量に物が詰め込まれているようだが。 「なぁ、占ってくれよぅ」 「無茶言わないでくんない。おにーさん専門外だから」 「かてェこと言わねェで。ほら、これやんよ。代金の代わり」 「いや代金ちょうだい?」
担いでいる袋の中を漁り、ひとつの四角い物体を取り出してベルトに差し出す女。 「要らねっつの、こんなでけーの。ってか何よこれ」 「知らねェ」 「はいはい何もかも知らないのね記憶力が生まれたてのバンビなのね」 面倒そうにあしらいつつ、何となく差し出された物体を確認するベルト。 と、彼が目を見張った。 女から受け取ったものは、包装紙に包まれた四角い箱らしきもの。 表面には、なんと彼の前職場、クズ工場の住所……さらにはベルトの名前が書かれた宛名シールが貼ってあるではないか。 「おい、これどしたん」 「盗んだ」 しれっと女はとんでもないことを言う。 「教会に用があって行ったらそれが置いてあってよぅ。とりあえずパクった」 「とりあえずで泥棒すんなし」 「泥棒?」 女が、きょとんとする。 数秒ほどぼーっとしたかと思えば、急になにかに納得したように手を打ち鳴らした。 「思い出したわ、あたしの職業。泥棒稼業だ」 「だろーとも。一応これ貰っとくわ。俺宛の宅急便だから」 「それ、何が入ってんだァ?」 「……ボードゲームだよ。同僚みんなで遊べそうだから買ったんだ、けどもう必要ねーや」 ベルトはそっと目を伏せる。 みんなで遊ぶためにボードゲームを買うくらいだから、彼は『工場』を辞める気などさらさら無かったわけだ。 少なくともつい最近までは。 「ゲームならあたしの兄ちゃんがよくやってんなァ」 「兄ちゃん居んのけ」 「あぁ、いる。おめえさんよりも変なコーディネートした兄貴が」 「誰が変なコーディネートだこんにゃろう」 「兄ちゃんっつっても、大勢いる中のひとりだ。うちは兄弟姉妹がいっぱいでなァ」 「へえ、そうっすか。何人くらいいるんだか気になって夜しか寝れねーや」 「五、六百人くらい」 くだらない嘘、冗談ととれるその言葉だったけれど、ベルトは愕然とした。 「で、本題に戻るけどよォ。あたしの素性占ってくれよ」 素性を占え、と女は迫る。 ふざけているのかと思ったけれど、眼鏡の奥の眼差しは真剣そのものだった。 何だこの女は。記憶喪失か何かなのか? 普通の人間ならば個人情報を自覚しているから、目を見れば悟れる。 だが記憶が無い場合は、それが難しい。 ……けれどもベルトには、ひとつ心当たりがあった。 「……お前、マジで自分の情報何も覚えてねーのけ」 「名前だけ覚えてるぜ。ハナだよ」 「花?」 「コノハナ。あたしの名前だ」
ーーーー
ーーーー 地下監獄へ向かった一行が、教会に戻ってきたところだった。 依然として酔っ払ってへらへらしているラスカル、それを呆れたように見ているキース、クレオ。限界までイライラしているクローバーの四人組が。 「あのアホ女、何が釈放だ。却下に決まってんだろうがふざけやがって」 「プレデター薬とか言ったかね?おそらくクローバーが盗まれた時に、犯人はそれを飲んでいたのだろうな」 「てか、何がそんなに重要だったんだよ。その盗まれた重要機密書類ってのは」 言われてみればそうだ、誰も『重要機密』が何かは知らされていなかった。 クローバーが「あァ……」と思い出したように感嘆を吐き、語り始める。 「この国で、長らく続いてた事件に関する事が書かれていた」 「事件?」 「……、……性暴力事件、だ」 不安そうにラスカルの方を気にかけつつ、クローバーは、それでも全てを喋った。 ……百余年のあいだ、イブムニアでは一人の男が性犯罪事件を繰り返していた。 その男は、何度も捕まっては絞首刑に処されたが、どういうけか生き返り、逃走してまた罪を重ねた。 彼のせいで、国中が恐怖と不安、悲しみ、憎悪に包まれた。 その男の種で生まれた子供達は、いわば無数。 すでに老衰で死んでいる者もいれば、今も生きて一般人に混じって生きる者もいる。 「その犯人の名前は、オズワルド。あの生首野郎だ。あいつの胴体は、地下監獄の紙袋野郎。ドーズとか名乗ってる」 「ああ、そう」 真面目くさった顔で言うクローバーだが、皆してさらっと流した。 クレオも。キースも。ラスカルも。 「……?おい、あらいぐま……」 「で、肝心の内容は?それだけじゃないんだろう?」 不思議に感じたらしいキースが詮索しようとしたが、ラスカルは無視、クローバーに続きを促した。 「その『オズの落し子』たち全員の名簿が、あの書類だ」
そんな鉛のごとく重い話に花を咲かせている時である。 突然、彼らの頭上のあたりの天井が崩れてきた。 テーブルに落ちる、無数の木屑。……と、人。 美しい髪と容姿、それにハート型のボディペイント特徴の女。 ニルである。 「ニル……また天井裏徘徊してたのかお前」 「今回は違うわ。撃退してたのよ」 撃退、とは。 不思議に思う一同だったが、すぐにニルが誰かを組み敷いていることに気付く。 見知らぬ人だった。 金髪を簪でまとめ、瓶底眼鏡をかけた、ラスカルと同等くらいに小柄な女。 「泥棒よ」 「泥棒!?」 「あぁクレオ、ちょうどいいところに居たわ。こいつ逮捕してちょうだい」 自分が警察に引き渡されるところだというのに、簪の女はやけに大人しかった。 ぼーっとしているというか、間の抜けた顔をして、ただ虚空を見つめている。 「……クレオさん?どうしたんですか?」 「……、彼女は誰だ?」 「えっ」 「記憶にない。私が市民の顔を知らないはずはないんだが」 妙な話だ。キースは特にそう思った。 クレオは地下監獄にて監視部屋を設置し、常に市民を監視している。 そのクレオが、市民の顔を知らないはずはない。 ということは……市民ではない、よそ者か? 「泥棒……ってことは、クローバーの書類盗んだのってこいつかもしれねぇな」 「女ァ、ちょっと聞きたい事がある」 話しかけられても依然としてぼーっとしている泥棒。 もとより苛苛しているため我慢ならなかったのだろう、クローバーが女の髪を引っ張った。 痛みで意識がはっきりした泥棒女が、「いてて」と言いながらクローバーを面倒そうに見上げる。 「何でィ」 「お前、最近どっかの会社侵入したか」 「会社……?知らねェ」 「でも泥棒はしたんだろ。現に今も不法侵入してるし」 「まじかァ、あたしん家だと思った。じゃああたしにこの建物一個くれてもいいぜェ」 「ぬらりひょんみたいなこと言いやがってよォ……」
「きみ、もしかして、オズさんのお子さんかぃ?」
と、その時だ。 ラスカルが酔いが覚めないまま、気の抜けた声でそんな事を訊ねた。 一同は当然、奇妙に思う。 ちょうど今し方オズの子について話していたからといって、いささか発想が突飛ではないか。 「何故そう思うのかね」 「いい匂いがするから」 「匂いって」 「オズさんとドーズさん、同じいい匂いがするんだぜ。お花みたいな、お日様みたいな、なんかすごくいい匂い。この子も同じ匂いがするんだ」 ふにゃふにゃした笑顔で、ラスカルは嬉しそうに語る。 「ミフネさんと同じく」 「は?」
ーーーー
ーーーー
「そうじゃよ」 ラスカルのトンデモ発言によって、一同は急遽、地下監獄に戻った。 不法侵入した泥棒女を収監するため、と……ミフネに真相を聞くために。 本当にお前はオズの子なのか?だとしたら何故黙っていたのか? ……するとミフネは、あっさりと自分の正体を認めた。 「わしも、コノハナも、『オズワルドの子』とか言うやつじゃ。びっくりじゃな」 ミフネは朗らかに笑い飛ばす。 コノハナ、と呼ばれた簪女は、やはりきょとんとしている。 「そうだっけ」と言いたげな顔だ。 「笑い事かよォ。お前も泥棒事件の片棒担ぐ動機あるってことじゃねェか」 「ほう、どんな理由があると?親がアレだからといって、何故アレ関連の書類なんぞ盗む必要が?言うてみい」 ミフネの質問返しに、クローバーは言葉に詰まる。 勢いのまま詰問しただけで、思いつく限りの納得出来る理由がない様だった。 「……お前が、正体黙ってたことは事実だろォ」 捻り出したクローバーの反論に、初めてミフネは不快そうに顔を歪めた。 「そりゃ黙っとるじゃろ」
オズワルドの子と、生まれた時からそう呼ばれてきた。 意味するところは「生まれて来なければよかった子供たち」といったところかの。 そう言われるのも無理はない。 凌辱の末身篭らされた母も。その父兄にも。 だが、父親はどうなのか? あのオズワルドとかいう男は、何を思って子供をここまで大量に拵えた? オズの子全員が、どれだけあの親父に振り回されたと思う。 大人になった今はいい、問題は子供時代じゃ。 親がいないだけでも後ろ指さされるが、肝心のその親がアレだと知ると、酷いんじゃよ。 まさに筆舌に尽くし難い目に遭ってきた。 自分たちきょうだいの不遇な人生に、そもそも意味などあったのか? それを知りたいというのが、わしら「子供」たち一同の願いだ。 だが、生憎とオズワルドは、首と胴が泣き別れた挙句、人格もそれぞれ違ってしまっている。 だから、判らない。 優しい頭と感情的な胴体、はたしてどっちの言い分が正しいのか……。
「それだけじゃ。奴の子供たちの名簿なんぞ、盗む理由はわしにはないよ」
「……現状、事実が不明瞭過ぎる、が」
クレオが慎重に言葉を選びつつ、喋る。
「君達が最も怪しいのは事実だ。容疑者として、二人とも収監させていただく」
「あぁ〜、やっぱりそうなるんじゃのぅ」
陰った表情をもとの朗らかなものに戻し、ミフネは頭を掻く。
「まあええよ。ここに居れば、色々と都合いいんじゃろうしの。一緒にゲームしてようなぁ、ハナちゃん」
「嫌でィ」
「ノリ悪ぅ」
ーーーー
ーーーー
無事オズの子二人を収監したあと、クローバーはある決意を固めていた。 ラスカルに、あの日のことを謝ろうと。 あの行為が合意の上なはずだったとはいえ、嫌がっているのを無理に続けた。 そのことは有耶無耶にすべきでは無いものだ。 「ラスカル」 「ん〜?なんだぃ」 未だに酔いを引きずっているのか、一人でゆらゆら揺れて鼻歌を口ずさむラスカルに、声をかけた。 ラスカルは、別に不快そうにはせず、むしろへにゃっと笑う。 こんなふうに笑顔を向けられるのは、いつぶりだろう。 「その……先日は、申し訳ないことを……」 「えっちした事かぃ?いいよ別に。ぼくこそ悪かったね。色々と」 土下座ののち切腹する覚悟だったのに、恐ろしくあっさり許されてしまった。 「そんな、あっさり許さないでくれ。ビンタでも、蹴りでも、なんでも……」 「いいって、そこまで気にしてないよ。少なくとも今は」 「……お前まだ酔ってるのか」 「酔ってないよ。シラフだよ」 「シラフでそんな風な態度ができるような男が相手じゃないだろォ。どうしちまったんだ」 単純に、心配だからそう聞いた。 どうもラスカルが酔っ払っているだけには思えなくて。 「いい事があったから。だから、全部どうでも良くなったんだ」 「いい事……?」 「ぼくね、気づいたんだ。『オズワルドさんの子』達の共通点。みんな、ドーズさんより背が低くて、いい匂いがして目が悪くて、目が青いんだよ。もちろん親もいない」 にっこりと、ラスカルが笑う。 嬉しそうに、幸せそうに。 「ルークもオズさんの子だったんだね」 それを聞いたクローバーは、ラスカルが何故こんなにも上機嫌なのか悟って、愕然とした。 ラスカルはそんな事気にもとめず、またゆらゆら揺れ始めた。
ーーーー
ーーーー 「あの、コノハナという女。彼女がオズの子だとすれば、ドーズが監獄に匿っていたんだと思う。だから私が存在を認知していなかったのだろう」 「……」 「詳しくはドーズを探して聞かねば。……聞いてるかねニルギリス」 やけに気安く声をかけてくる大嫌いな女。 いつもならば猫パンチのコンボ技を見舞っているところだが、今はそんなテンションではなく。 ただじとっとした目を向けるだけに留まった。 「なんだ、元気がないな。今日は猫パンチはしないのかね。猫じゃらしでも要るか?」 「何よ、何の用。さっさと用事を言ってちょうだい」 「そうか、では。『いつもの』を頼む」 「あら……もう切れたわけ?使いすぎじゃないの?」 いつもの、とはなにか。 薬だ。 ニルは腐っても医者であるから、薬を処方する資格も有している。 して、クレオの必要とする薬は何か。 ……経口避妊薬だ。 クレオの『仕事』上、どうしても必要不可欠なもの。 「あぁ、いつも通りの仕様のものを頼むよ」 「不感症になるのは副作用よ、仕様じゃないわ」 「どちらにしても助かるよ。あんなことで快楽など感じたくなどないからな」 吐き捨てるクレオに、ニルは妙に苛つきを覚えた。 一瞬だけ目を細めたあと、ポケットから錠剤が入った瓶を取り出す。 「はいこれ」 「ありがとう。このことは他言無用でよろしく頼む」 「わかったわよ、もう早くどっか行って」 瓶をポケットにしまうクレオを、ニルは含みありげに眺めていた。
ーーーーー その頃、歓楽街。 いやらしさが前面に出たリクルートスーツ姿で、聞き込みをしている女……パティが居た。 「あ、あのぅ、すみません。この辺で占い師さんを見かけませんでしたか?」 そう問うこと、何十回目だろうか。 彼女は、キースに言われて恋人の所在を探している。 この辺にいるという噂は聞いたが、何故かどこにも見当たらない。 それでも懸命に探し続けた。 「え、占い師……知らないけど」 「そうですかぁ……」 「占い師は知らないけど、さっき飴を配ってる人が居たよ。大勢に配ってた」 「飴ですか?」 「赤い美味しそうな飴でさ。いっぱいあるから一個いる?」 「あ、はい、いただきま……痛ぁ!」 頭になにか衝撃を受け、驚きのままに振り向く。 ……見慣れた燕尾服の男。彼女の探し人、ベルトだった。 「他人から食いもんいただいてんじゃねーよ」 「す、すいませんベルさん。あのぅ、申し訳ないですがこれ遠慮します」 素直に飴玉を返せば、その人は不思議そうにしながらも行ってしまった。 「ベルさん!どこ行ってたんです、皆さん心配してらっしゃいますよ」 「辞めたんだから関係ねーべ」 「何で突然辞めちゃったんです?」 「関係ない。あんたとも別れるわ」 「嫌です」 さらっとした別れ話に、きっぱりした口調でパティが返す。 悲しんでるとかぐずってるとかいった風ではなかった。 「納得いく理由も聞かずに別れるなんて無理です」 「そう言うと思ったよ。多分他の連中も同じだ。だから勝手に辞めたんだけど」 よくよく見れば、ベルトは憔悴している様子だった。 ベルトは意固地だが、こんな風になるほどの精神状態ならば、押せば事情を話してくれるかも。 「ベルさん、本当に何があったんですか。お話してくださいませんか」 「……」 「ロールベルトさん。お願いします」 真摯に呼びかけ続けていると、ベルトはやはり限界だったようで。 ぽつぽつと、起こった事を語り始めた。
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俺はなにかの間違いで過去から来た人間だ。 つまり世界でひとりだけ、『今』を生きてないわけで。 世界の理に反してるんじゃねーか、とは薄々思ってた、そしてそれは当たっていた。 何か、よく分からない存在が、俺を連れて行こうとするんだ。 過去に引き戻そうとする。 「ここにはいられない」 「戻ってこい」 そう言って無理に連れ戻そうとするんだ。 大人しく自分の元いた時代に戻らないと、どうなるか? 聞いた訳じゃねーけど、悟ることができたよ。 「存在が、消滅する」んだ。 過去には戻りたくないし戻る気はないから、いずれ俺は消えるだろう。 だから、せめてお前らと距離を置こうと思った。 消える時に、誰にも好かれてなければ、寂しくないと思って。
ーーーー
ーーーー それを聞いたパティは、呆然としていた。 存在が、消える? 自分の恋人が最初から居なかったことになるって? 嘘だ、嘘だ、嘘に決まってる。 パティは初めて恋人の顔が見たくないと思った。 その目を見れば、きっと嘘だと思い込むことも出来なくなるだろうと確信していた。 ーーああ、ベルさん、私の目が見れない理由これだったんだ。 「ベル……なぁ、頼む。俺と別れてくれ」 「……あ……」 「あいつらにもよろしく。……あと……」 ベルトがまだ何か言い残そうとする。 が、その時不意に、とんでもない大絶叫が耳を刺した。 方角は、街の方。 どうやら、街の中で何か事件が起こった模様。 「な、何っ……?」 「おい、退んな。誰かこっち来んぞ」 「えっえっ」 たしかに足音は聞こえる。けれど、どこにも人が見当たらない。 音の響く路地裏、それも十字路だから、なおさらよくわからない。 何かいい匂いが鼻をくすぐった、瞬間、ふたりの横を何かが通り過ぎた。 けれどもやはり何も見えない、というか誰も居ないのだ。 透明人間……といったところか。 「よぅ、あんたあの日傘持ってるけ」 「えっ、はい」 「あの辺撃ってみ。できるだけ下の方」 指し示された方向に、言われた通り仕込み日傘を向ける。 そして思い切って、引き金を引いた。 「ぎゃあっ」 すると聞こえる、誰かの短い叫び声。 とともに、何も無いところから血飛沫が上がる。 奇術のような光景であるが、たぶん違う。 実際にそこに透明な誰かが居て、今し方パティの放った銃弾に被弾したのだ。 「あっ」 地面に散らばる血痕は、逃げるようにその場から離れていこうとしている。 追いかけるか否かベルトに視線で問えば、首を横に振られた。 「いいよ別に、多分あいつは仲間のところに帰るだけだから」 「仲間?何かご存知なんです?」 「……さっき言いそびれたことだけど、もっかい言うわ。よく聞きな」 「ーークレオを見捨てろ」
ーーーーー 「何と言った……今?」 「は、はい。顔泥棒が、また出た、と」 自警団団長、クレオは頭が痛くなった。 顔泥棒がまた出現した? 一等怪しいコノハナと、ついでにその兄まで収監したのにか? じゃあどこの誰だ、犯人は。 ストレスだろうか、何やら体の調子が悪い。 目が妙に潤むし頭もぼうっとする。 足腰もしっかりせず、今にもへたり込みそうだ。 更には、風邪だろうか体の感覚がおかしい。 「まずいですよ団長、市民の反発がそろそろ無視できないものになってます」 心配そうに囁く部下に思わず苛立つ。 部下が心配しているのは、クレオではなく己自身の安全だとわかっている。 ここまで露骨に不調なのに、誰もそれに気づかない。 それだけクレオに興味が無いのだ。誰も。 「……っ」 悔しい。寂しい。 普段そんな事思わないのに、どうして今日に限ってこんな女々しい気持ちになるのか。 拳を握りしめ、誰にもバレない程度の深呼吸をひとつ。 そんなクレオに、ひとりの部下が近寄って報告してきた。 「団長、妹様がお見えになっております」 「……パティが?」 クレオは不思議に思う。 クレオとパティの姉妹は、そこまで仲は良くない。 妹であるパティが、厳格な姉に対して苦手意識を持っているからだ。 普段は会いに来ることもないのに、何の用なのか。 通せと命じればすぐにパティは入ってきた。 「お姉ちゃん……」 「何だ。今忙しいんだが」 思いつめている様に見えた、が、今のクレオに他者を気遣う余裕はなかった。 それがたとえ家族でも。 「……情報提供に、来たの」 「情報?なんの情報だ」 「顔を盗む泥棒が、居るでしょ?犯人に会ったわ。透明人間よ」 パティ曰く、今し方、噂の顔泥棒に遭遇した。 が、姿は目視できなかった。まるで透明人間のように。 だけれども、犯人の特徴に気づいた。だからそれを教えるために、ここに来たと。 「いい匂いがしたの」 「匂い?」 「お花……みたいな」 思わず天を仰いだ。『オズの子』だ。 コノハナとミフネでこそ無かったものの、やはりオズの血を引いた誰かが顔泥棒の犯人である。 そういう確信を得た。 「……工場と、ブランクイン、それと神父に連絡を取ってくれ。あぁ、あと監獄に迎えをやれ」 「はあ、誰を迎えに」 「オズの子……あの兄妹だ」
ーーーー
ーーーー 「そんなこんなで、ミッフィーアンドハナちゃん復活じゃ」 お茶目たっぷりにミフネが横ピース、その隣でコノハナはぼーっとタバコを吸っている。 兄が、「一緒にやらん?」と言いたげな視線を送っているのも無視して。 清々しいまでのノリの悪さ。宅急便で例えるなら着払い拒否である。 「おい……何故こいつらを連れてきた」 低く唸るような不機嫌たっぷりの声で、クローバーはクレオに向けて問う。 「使えるからだ。彼女は泥棒稼業なのだろう?泥棒のことは泥棒が一番知っているからな。兄の方は特典だ」 言い様が酷い。 いつも以上に雰囲気が堅く、クレオもまた不機嫌そうだった。 使えるだとか道具のような扱いをされても、コノハナは気にもとめていない様子。 だがミフネは少なからず気に障ったらしい。 笑みはそのままに殺意が滲む眼差しをクレオへ向けていた。 クレオの招集の結果、総勢十名の主戦力が集まった。 工場からは、キース、ラスカル、二ルが来た。ベルトとカリンは不在である。 ブランクインからは神父、社長、クローバー、パティ。 それから、ミフネとコノハナ。 「で。作戦はあるの?」 「チームに別れて行動しようと思う。オズを保護する係、犯人をおびき寄せる係、そして司令塔係」 「何でオズを保護する必要があるんだよ。あいつ、俺様と同じ不死身だぜぇ」 「だろうなァ、首だけでも生きてんだからそれは察せられる。ただ、あたしとミッフィー以外のきょうだい達は、父さんを恨んでる。万一って事もあんだろうよォ」 言われて、社長は納得したようだった。当然、他の者も。 「ぼく、オズさんの保護係がいいな」 「俺とホプキンスもそっちに行く」 「え、私もです?……承知しました」 まず決まったのはオズの保護係。 メンバーはラスカル、クローバー、パティ。 「俺ァおびき寄せる係でェ……」 「とか言いつつ逃げないように監視する係は、私に任せてちょうだい」 「俺様もそっちでいいぜぇ」 「じゃあわしらもそうしようかの、ハナちゃん」 次に、おびき寄せる係が決まった。 神父、社長、二ル、ミフネ、コノハナだ。 「では私は司令塔に回る」 「じゃあ、僕も」 「……少年。何故君が?」 「クレオさんが心配なんで」 「……はあ」 最後にクレオとキースが司令塔に決定。 全員の役割分担が完了した。 「では、早速取り掛かってくれ」
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ーーーー ラスカル、クローバー、パティの三名からなるオズ保護チーム。 彼らは、保護対象・オズが居る教会に向かった。 道中、やはりと言うべきかラスカルはやけに明るかった。 跳ねるような足取りで、長い三つ編みを揺らしつつ先をゆく。 反対にクローバーとパティは、絞首台に向かうような顔でとぼとぼ歩いていた。 「あれ、オズさんがいないや」 教会に到着して中に入るが、オズがいない。 敷地外には出ていないはずだが、どこかに隠れているのか? 「どうしましょう……三人で手分けして探しますか?」 「いや、二手に別れよう。俺はラスカルと行く。……ホプキンス」 ぽん、とクローバーがパティの肩に手を置く。 珍しく部下の身を案じているのか。 「いだだだだだ!!肩、肩ミシミシ言ってる!折れる!」 「お前、今回も役に立たなかったら、クビにしてやるからなァ……?」 と思われたが違ったようだ。 骨が砕かれる寸前で解放されるパティの肩。 激痛にうんうん唸って肩をさするパティを尻目に、クローバーとラスカルは進んでいった。
そうして二人は、パティが探すのとは逆の方向へ進む。 そろそろ日が暮れる頃だ、灯りも付いていない廊下は当然暗い。 部屋をひとつずつ見ていくがオズは見つからない。 廊下の一番奥まで来た時。 不意に先を歩いていたクローバーが立ち止まったのでラスカルも立ち止まった。 「どうかしたかぃ」 「それはこっちの台詞だ」 背後を振り向くことも無く、クローバーは妙なことを言う。 クローバーの視線の先には窓がある。 額縁のごとき立派なそれに嵌ったガラス、そこにはクローバーと、その後ろに立つラスカルの姿が映っている。 酸を含んだ泡の滴る武器を、まっすぐクローバーに向ける姿が。 「得物の矛先が味方に向いてるのは何故だ」 「おや。きみが味方だったなんて知らなかったなぁ」 「……寝返ったのか」 「人聞きが悪いけど、そうなるね」 すぐ足元に酸が落ちて、床が焦げる音が聞こえる。 クローバーは気付いていた。 ラスカルが、地下監獄にて飲み会していたときからおかしいと。 ミフネや、遠山静句とその甥に何かそそのかされたのだと。 つまるところ、飲み会メンバー全員が『敵』の回し者だと。 「あいつらに何を言われた」 「なにも」 「命令されたはずだ、何かを。お前が自分の意志で裏切るとは考えにくい」 ラスカルは自分で自分のことを考える力がない。 人生のすべてを亡き友人にかけすぎて、友人に呪われすぎて、何もかもどうでもいいと思っているから。 「静句さんに聞いたんだ。もうすぐ死ぬんだってさ、ぼく」 ラスカルはさらっと、自分なりの理由を言う。 「多分きみは知ってたんだろ?ぼくがいつも眠い理由」 「知ってた」 「なら分かるよね?何でぼくがこうするか」 「分からねェなァ」 ラスカルの表情が一瞬強ばる。 が、また笑顔に戻った。 「他人なんだから分かる訳がねェだろうが。ちゃんと自分で言語化しろ」 「……」 「どうした、言語化出来ねェのか。テメェの目的だろォ」 「……きみってぼくのこと好きなんじゃなかったっけ?」 クローバーがゆっくり振り返って、ラスカルを見た。 愛しい人を見るその目は、軽蔑一色だった。 「見損なったなァ、ラスカル・スミス」 「……は」 「裏切った上に俺の好意を利用する気かァ?お前がそんな下卑た奴だとは思わなかった。最低だ」 ラスカルは面食らう。 クローバーは嘘つきだが、根は誰より誠実だ。 こういう真剣な場面でこういう嘘は好かないだろう。 どうやら本心から言っている様子である。他でもないラスカルを、最低だと。 彼の一番の地雷を踏んだ模様。 「ぼくの友達殺したくせに」 「今そんなこと関係ない」 「黙れ、うるさい。黙らないと殺してやるぞ」 「人を殺したこともないくせにどの口が言ってんだ」 癇に障ったラスカルが、得物でクローバーの顔面を殴った。 小さい体ながら手加減無しの、全力で。 クローバーは躱しもしなかったため、モロに直撃。よろけて壁にぶつかった。 「どうしたクソチビ、こんなもんかァ?」 「うるさい!!」 叫んで、クローバーを殴りつける。めちゃくちゃに、ひたすらに。 さらに得物を振り回して、酸入りの泡でクローバーの全身を焼き焦がす。 何度も何度も何度も殴った。 どこもかしこも火傷だらけにした。 なのにクローバーは、ラスカルから目をそらさず、睨み続けている。 暗い赤の瞳には、憎悪や敵意とはまた違う力強い光が宿っていた。 「うああああああっっ!!」 金切り声にも似た絶叫を上げ、一際力を込めて、クローバーの脳天を殴りつけた。 するとようやくクローバーはその場に倒れた。最後の一撃は打ちどころが悪かったと見える。 倒れたクローバーに、ラスカルは罪悪感を感じた。 それがどんな感情から来るものなのか。 生まれて初めて殺人に手を染めたかもしれない恐怖? それとも……。 「……っ」 頭をふるふる横に振り乱し、ラスカルは思考を放棄した。
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その頃。 パティが無事オズを見つけ出したところだった。 聖堂にて、ステンドグラスを背に存在する生首男は、何が起きているのか知ってか知らずか不明だが、とても愉しげに鼻歌を口ずさんでいる。 「ん。そこに居るのだあれ?」 「……私です、パティですよ。オズワルドさん」 「あらぁ、どうしたの、何で丁寧語?アタシのこと、いつもみたいにオズにいって呼ばないの?」 パティは押し黙っている。 拒絶が濃く香る沈黙に、オズはまた笑った。 「オズワルドさん、どうしてこんな事したんですか」 「あら、何の事?」 「……貴方の仕業だと思うことを、挙げていきましょうか」 ひとつ。遠山鎮巳を、コールドスリープしていた静句のもとに導いて恩を売った。 その代わりにテロ行為を働かせて、静神父を昏睡状態にまで追い込んだ。 ふたつ。キースを焚き付けて、ドーズを追い詰めた。 みっつ。例の、飴玉を作って配ったこと。 よっつ。自分の子供達に命じて、泥棒させたこと。 「これ、きっと全部貴方が仕組んだことでしょう?」 「うん。そう」 驚く程にあっさりとオズは認めた。 詰問しようとしていたはずのパティが、多少なりとも面食らってしまうほどに。 「よしっ。恋バナしましょ!」 「は」 「アタシの目的が知りたいんデショ?話の流れから察するに」 「それは……まぁ」 困惑するパティを差し置いて、オズはノリノリで喋りだした。
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アタシね、恩を売るのだーい好きよ。 ねえ知ってる?アタシって植物の血が混じってるとかで、顔が半分植物なの。 お花も咲くからとってもいい匂いがするデショ? でも世の中には奇形だって迫害されまくったわ。 ガチャ大失敗よ。 しかもどっかからわいて出てきた化物に、勝手に不死身にされちゃってェ〜。 死にたくても死ねないの、勘弁して欲しいわ。んもう。 イライラしてしょうがないから、そこいらの女の子に手ぇ出して暇潰してたんだわさ。 そんな時に出会ったのよ。クレオちゃんと。 あの子、全然アタシのこと怖がらないし、笑いもしなかったの。 本気で愛するのに時間はかからなかったわねえ。 ……でも、あの子ったら、アタシ以外の野郎に先に唾つけられたのよぉ! しかも、その事があっても「オズがいるから大丈夫」とか言って有耶無耶にするし。 解釈違いよ、そういうの求めてるわけじゃないのよ。 憐れみとか愛とかより、クレオヘの憎しみが頭占めたわね。 だからね、思ったの。 この子は、クレオは、絶対殺すって。 何年かけてでも。心も体もぼろ雑巾みたいに擦り切れさせて。 全てはクレオを殺すため。 そのためなら、アタシ、なーんでもしちゃうの。
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ーーーー 一方、犯人誘き出しチームでは。 「アッハッハッハ、似合っとるぞ〜〜静」 「黙らっしゃい」 トオヤマシズカ神父がふてぶてしく吐き捨てた。 彼は今、ドーズよろしく紙袋を頭に被せられていた。 「何ですかコレェ……」 「言ったじゃろうが。囮作戦じゃ。紙袋被っとれば親父殿だと思ってみんな出てくるかもしれんじゃろ、わーいぶっ殺せーって」 「殺意持ってる割にノリ軽過ぎんでしょォ」 「おいミフネぇ。お前ふざけてんなよ、もっとまともにやれし」 ダメ出ししてきたのは、意外にも社長。 さすがに馬鹿丸出しというか、穴だらけの作戦すぎたせいだろうか。 「ドーズはもっとチビだろうが。神父ちゃんの首まで地中に埋めとけよ」 「テメェが一番ふざけてるじゃねーですか」 「打首アフターみたいになるのぅ。おもろ過ぎん?やろうやろう。ハナちゃんも手伝っとくれ」 逃走しようとする神父をミフネが取り押さえている間に、社長とコノハナが道端に穴を掘る。 「ちょ、ニルギリス、ニルギリスは?あいつどこ行きやがりました」 「さっきどっか行ったぜぇ。バックれたんじゃねぇ?」 「くっそあいつこんな時に限って居やがらねぇ……」
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「少年っ、待て……ぁあっ」 私は何をしているのだろう。 いや、それは痛いほど理解できる、解っているが……なぜこんな事を? 私を抱きしめ上下に揺さぶる少年に問えば彼は律儀に答える。 「クレオさんが、誘うから」 ずっと体が、熱かった。 そればかりか感覚がおかしくて、熱かと思ったけれど違った。 あろうことか、私は何も無いのに発情していたのだ。 なぜ?なぜ?こんな事は初めてで、恐怖感に駆られて、だがそれより……『発散』したくて。 「少年、たのむ……」 私を、抱いてくれないかと、そう頼んだのだ。 もとより私に気があったから少年は二つ返事で応じた。 物陰に身を潜めて、激しく交わり続ける。 ……ドーズが見たら、きっとまた怒るだろうな。 「クレオさん……っ」 「っーーーー!」 腹の中で何か熱いものが弾けた感覚がした。 だが、問題ない。私には『薬』があるから、間違いがおこることはない。 感じたことのない快楽に堕ち、自分でも聞いた事のない恥ずかしい声に酔いしれ、私は何もかも忘れた。ーーーー
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「ハナちゃん」 背後から声をかけられ、振り向けば兄・ミフネ。 「……よぅ。『段取り』通りにいったかィ」 「おう。行こうか、時間じゃ」 ミフネがゆるく微笑みながらコノハナの横を通り過ぎ、路地裏の奥へ向かう。 吸っていた煙草の煙を思いきり吐き出し吸殻をポイ捨てしてから、その後を付いていった。 「案外上手くいったな」 「これからが本番じゃがの。この後の段取りは覚えとるか」 「あー……」 コノハナは確認すべく口に出していく。 段取りとやらを、聞いたとおりに。 「まずはあの……レッサーパンダちゃん?がこっちに寝返って、幽霊面のデカブツとムチムチ女をぶっ殺す」 「おう」 「神父の野郎と化物を、きょうだい達が始末する」 「じゃのう」 「あとは……なんだっけ」 「やれやれ、やっぱ忘れたんかい」 如何なる時も健忘症の妹に少々呆れたようで、息を吐いた。 「クレオを、潰すんじゃよ」 途端、ミフネの纏う空気が変わる。 いつもの穏やかな雰囲気はまるで無い。 皆の前で父親について吐露した時と同じく、憎悪と嫌悪に塗れていた。 「親父殿が言っとったじゃろ。首と胴体が泣き別れる原因になったのはあの女じゃと。あの女を潰して体を取り戻せば、親父殿は心を入れ替えると言っておった」 「ああー」 「あの女を失脚させて、市民の怒りを一身にぶつけさせれば流石に破滅する。そうすればきっと……」 「きっと、父さんもあたしらを見てくれるってか」 コノハナは馬鹿にした口ぶりで、完璧に水を差そうとする意志を感じられた。 興奮気味に早口でべらべら喋っていたミフネだったが、ぴたりと口を噤む。 「考えてもみろよぅ。あの優しいことしか言わない生首が、事実だけを言ってると思うか?自分がこさえたくせに放置し続けたガキどもを、今更見るとでも?女ひとり潰した代わりに?」 「……どういう意味かね?」 「生首の方は信じちゃならねェってんだ。分からねェ兄貴だな」 歩みを進めていたミフネが立ち止まった。 同じくコノハナも立ち止まって、しかし口だけは動かすのを止めない。
「なァミッフィーよぅ。おめえさん、マジであたしの側かァ?」 「どういう意味かのう」 「ほかのきょうだい達は、全員『頭部』派だがおめえさんだけは違うと言った。あれは嘘か本当か?」 「どうかのう」 「ミフネ。ふざけてんじゃねェ」 砕けた呼び名を改め、兄を呼び捨てにするコノハナ。 立ち止まっているため空いたままの距離。 それを詰めるべく、コノハナが一歩踏み出した。 「っ!」 コノハナの鼻先を、何かが掠める。 刃物……日本刀だ。 鈍い銀に輝くそれに付着した血液を雑に振り払うと、ミフネは再び刃を鞘に納めた。 「なあ……おまえさん、思わんか?人が人を正そうとするのは、そいつに余裕がある時だけだと」 「……何が言いてェんだィ」 「コノハナ……コノハナ……妹よ。わしはおまえさんが嫌いじゃ。ほかを差し置いて自分だけ幸せなおまえさんが。だからあまり調子に乗ってくれるな。殺したくなっちゃうじゃろ」 台詞はどこかひょうきん。 だがつい先程までの優しい態度は、完璧に消え去った。 表情、所作、声色、目つき。それら全てから放たれる『憎悪』。 きっとこれがミフネの本質なのだ。 「……殺すだァ?あたしをか」 「何じゃ、怖気付いたかね」 「いやあ?」 だるそうに返しつつ、彼女が懐から取り出すは玉飾りのついた簪数本。 ちょうどクナイのように構えて、ミフネを睨んだ。 「返り討ちにできる気しかしねェよ」
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地下監獄の狭い房にて、遠山静句とその甥は今頃起きているはずの事態を想っていた。 数々の裏切りが招く、黒幕……オズの思うつぼの未来を。 あらゆる者たちの悲嘆に暮れる声が、耳をすませば聞こえてきそうだ。 「静句おばちゃん……みんな、大丈夫かな……」 「ダメでしょうねー。このままだとみんなくたばりますです」 ふたりは全てを知っていた。 知っていてなお、オズに加担したのだ。彼に、たった一つの恩を売られたから。 が、今となってはそれがまるっきり間違いだったように思う。 「……」 遠山鎮巳は考える。 じっと、ずっと、考えている。自分が、一体何故今ここに居るのかを。 そもそも自分の目的は、父を……どうしたいのだったか。 殺害しようとも思ったが、それも本当のところどうなのか。 父親が憎い。それは間違いない。 だがそれは全て、自分たちの家庭の問題である。 父親ごと国ひとつ潰すのは、筋違いもいい所ではないか? 「……」 決まっている。間違いだ。 自分は、人生の重要な選択肢を間違えたのだ。 もうこの間違いは正せないかもしれないけれど、それでもなにかをすべきだと思う。 たとえばそう……『オズの企みを、止めること』なんかを。 「……一抜け」 「え?」 「やめた……国、潰すの。オズさんの言うこと聞くのも」 静句は目を見張る。 甥が、鎮巳が、自分の意志を喋るのは非常に珍しいことだ。 大きく強い体を誇ることも無く、常に静句の後ろに隠れている。 鎮巳は昔からそういう子だから。 「やめるのですー?」 「うん」 「どーして」 「…………、……八つ当たり、ダメ絶対……だから」 とんでもなく口下手ながら、自分なりの持論を述べる鎮巳。 静句はといえば、鎮巳の言う「八つ当たり」に少なからず感化された様子だ。 「八つ当たり……ですかー。たしかにそうなのです。わたくし達は皆、自分勝手が過ぎる。そろそろ反省する時間なのです」 「うん……反省しよう」 「兄ちゃんも化物もぶっ殺したいのは山々ですがー。それは後で良いのです」 「うん……」 「よし!みーくん、皆さんを止めに行きますですよ。メガトンパンチをお見舞いしたりましょー」 「無理……」
ーー 「殺す?……クレオお姉ちゃんを?」 「あの子を孤独にさせて、野垂れ死なせる。それだけがアタシの目的よ」 オズはクレオを好いていた。愛していた。文字通り性的に。 なのに殺そうとしている? 他の何を踏みにじり、犠牲にしてでも? 「……何言ってるのか分からない」 パティは混乱したと同時に、吐き気を催すほどに憤慨した。 未だかつて無いほど訳の分からないことをほざく馬鹿がいる。 そいつと喋っているという現実に、直面して。 「え〜?アタシのとっておきの恋バナなのにィ」 「だって、好きなんでしょう。愛してるんでしょう、昔も今も。どうして愛した人を大事にしてあげないんですか?しかも他の女の人には乱暴して……!」 「話脱線してない?そんなことどうでもいいじゃないの。……ねえ、そうでしょ」 不意にオズが、パティ以外の誰かに話しかけた。 パティが背後を振り返ると、そこらじゅう無数のシャボン玉。 その中にラスカルがぼーっと立ている。 「ラスカルさん……!オズさんが、」 オズが、すべての黒幕だという真実を伝えかけて、止めた。 一緒に行ったはずのクローバーが居ない。 「ラスちゃん。クロちゃんは始末した?」 「したよ」 「そお。いい子ね」 直感する。 ああ、ダメだ。このひとも敵だ。 「何で……どうして裏切ったんですか」 「ぼくもう死ぬからさ。どうせ死ぬなら、もう何でもいいやって」 「だからって……!」 「それにオズさんはルークのお父さんだ。味方すればルークが褒めてくれる。オズさんがそう言った」 「そんなのっ……自分で考えて行動してないじゃないですか……!」 弛んでいたラスカルの表情が、ふと能面のようになる。 「あなたはいつもそうです。曖昧に返事して、流れに任せて、ほとんど自分の意志で動かない!そんなだから騙されるんです!」 「いいじゃないか別に、流されてたって。現に今まで誰も何も言わなかったろ」 「そうでしょうとも、あなたが行動の全責任を負う事であって、あなたが潰れても周りの誰にも関係ないんだから!」 正論である。 今まで同僚たちは、ラスカルについて放任的だった。 どこでも構わず眠り込んでも、夜遅くまで出歩いていても、何をしても別に怒らなかった。 けれどそれは、ラスカルを信頼しているとかでは無い。 いい歳の大人だから。行動に責任を持つべき年齢だから。 それをラスカルは、精神薄弱ゆえ、わかっていなかった。 「自分で考えなきゃダメです!!そろそろ現実を見てください!」 「黙れ!」 ラスカルが、自身の周りに浮かぶシャボン玉をパティ目掛けて殴り飛ばした。 対してパティは携帯した日傘を広げ、盾のように使う。 「きみなんかにわかるもんか、ぼくが失くしたもの全部もってるきみに!見苦しい気持ち悪い反吐が出る、聖女だと思ってたのに、とんだ淫乱女だったわけだね!気持ちいいことしましょう、とか言ってたものねぇ?ぼく思わず吐いたぞ!」 ラスカルに向けられる初めての敵意、憎悪。 自分のことを天使だと褒めそやしてくれていた幼い面影はまるで無い。 傷つく。怖い。けれど、ここで一歩でも引いたら死ぬだけだ。 (それに……)
武器とはいえ、材質はそこまで丈夫ではない日傘だ。 泡が触れる度に焼け焦げて穴があいていく。 このまま防戦一方を貫けばきっと殺されるだろう。 「私だってっ……全部持ってるとは言いきれないですよ!」 パティは勝負に出る。 日傘を開き、身を隠したままで、真の用途を使う。 仕込んだ銃で、ラスカルを迎え撃つ。 だがしかし、ラスカルのシャボン玉は銃弾を跳ね返す弾力を持っている。 「知ってるでしょう、ベルさんは私をあまり大事にしてくれない!望むことを叶えてくれない!」 「それでも、ちゃんと生きてる恋人が居るじゃないか!ぼくは、ぼくだけは、どんなに愛してても触れ合えないのにっ……!」 ラスカルの声が轟く。 憎しみに駆られた、それでいてとても切なそうな叫び声。 それはまるで叶わぬ恋に身を焦がす少女のような。 「羨ましい、うらめしい、ずっとそんな思考で頭いっぱいだよ!だから何にも考えないでいた!つらすぎる現実から目を背けて、嫉妬で誰かを殺さないように、自意識を眠らせて!」 腕や脚、背中に尋常ではない熱を感じる。 が、パティはじわじわと、着実にラスカルに向かって前進していた 。 仕込み銃の弾が尽き果て、傘が骨組みだけに近くなった頃。 パティがラスカルに手が届く距離まで近づききった。 「っ……!!」 とうとう御役御免になった武器を投げ捨てるパティ。 が、それはイコール丸腰であり。 「さよなら、パティちゃん」 両の手で得物を握りしめたラスカルが、酸の潤沢なそれを、パティの脳天目掛け、振り下ろし ……かけた、その時だ。 「わあっ」 ラスカルの視界がぐるりと反転する。 頭を打ち目を回し、混乱しつつも頭上を見上げればそこには。 「よォ」 血みどろ傷だらけの、まさしく幽霊のような男がラスカルを見下ろしていた。
全てはクローバーとパティの作戦だった。 オズが黒幕、ラスカルは敵だと言うのは、なんとなしに気付いていたふたり。 だから、まずはラスカルを欺いた。 パティは囮になり、クローバーが背後から近付いて、足払いを見舞ったのである。 「さっきはよくもやってくれたなァ」 「……何だよ。リンチでもするのかぃ」 「あァ、泣かしに来た」 泣かしに、とはまた物騒だ。 やはりまだラスカルのことを怒っている模様。 「お前、何がしたいんだ」 「……え」 「オズの手先にされて、ルークが褒めてくれると本気で思ってんのか」 「……、分からない」 「分からないは無しだ。自分の意見をハッキリさせろ」 単純な暴力ではなく、言葉を求めて攻めてくるクローバー。 「……えっと、……んん……」 「なら言い方を変える。……ルークが、お前に言ったことを思い出せ」 クローバーとラスカルは、文通でいろいろな話をした。 その中でラスカルはこう語っていた。 『臨死体験したとき、ルークに会ったんだ。彼がぼくに、自分の意志が大事だと言ってくれた。だからぼくはクローバーを助けるために、戦おうと決めた』 「あ……ぅ、でも、でもぼく、分からない……分からないままがいい」 「気持ちはわかる。自分で考えて行動しないのは楽だからなァ。できることなら俺も他人に責任押し付けてのらりくらり生きたい。だがダメだ」 「じゃあ殺してくれ……っ」 「ダメだ」 「もう嫌なんだ、もうひとりぼっちはやだぁ……!!」 「ダメだ」 拒絶たっぷりの言葉のわりに、彼の声は落ち着きはらい、優しかった。 クローバーがラスカルの傍らにしゃがみこんで、そっと抱き起こす。 「そんなのは俺が惚れたラスカルじゃない。ラスカル・スミスなら何をしてでも生き延びたいと願うし、そのために懸命するはずだ」 しゃくり上げ泣くラスカルを抱きしめ、何やら耳元に口を寄せる。 と、クローバーは咳払いをひとつ。 やがてゆっくり口を開いた。 「……大丈夫、俺はそばにいるよ。二度とひとりにはしないから」 発せられた声はクローバーのものでは無かった。 少年のような声だった。 たとえるなら、そう……声変わりして間も無い、少し低めではあるが優しい声。 ラスカルが愛してやまない声 「〜〜〜〜……っっ」 誰といても、何をしてても、ルークを忘れたことは一度もない。 今も、これからも。 呪いのようにふたりぼっちのまま、ここまで生きてきた。 けれど、もうそろそろ一人で立ってみてもいいのではないか? もちろんルークのことを忘れる訳では無い。 ただ、今のままでは愛する者の存在が荷物になってしまっている。 死ぬまでおろす事の無い、大事な荷物。 その荷物をクローバーが一緒に持ってくれると言うのなら。 「……ご、めん……っ」 ラスカルが謝る。 「ぼく、やっぱりまだ生きてたい。死ぬまで、ちゃんと生きてたい。それでルークに会う」 「よし……それで良い」 「裏切ってごめんね……いっぱい痛い事してごめんねぇ……」 「許すかよォ、後で覚えとけ。馬鹿が」 クローバーの胸にすがりついて号泣するラスカル。 武器が手元を離れても気にかけている様子はないあたり、戦意はすっかり喪失していることだろう。 「作戦成功、ですね……」 パティが安堵感からその場にへたり込んだ。
俺がラスカルを呪った理由、話してなかったよな。
寂しさに負けたんだよ。
俺はさ、臆病だし、弱いし、取り柄も時計作れることくらいだし。
要するにダメな奴なんだ。
でも、ラスカルは強くていい子だから。
俺なんかいなくなってもきっと別の拠り所を見つけて、勝手に幸せになれると思った。
そう、俺だけがそこに居ない世界で。
憎かった。寂しかった。怖かった。
だからたくさんの約束で縛り付けて呪ったけど。
……嗚呼、やっぱりこうなったな。
ラスカルの心が俺だけ映さなくなってしまう。
きっと、もう俺しか愛せないラスカルじゃあなくなるんだ!
いやだいやだいやだ!
俺をひとりにしないでくれ!
ラスカルの、うそつき……!!
体と脳みそが直結していない人間、とはよく言ったものだ。
その訳の分からない文言が世界でもっとも似合うのは、俺たち以外にいないだろう。
女は嫌い、男も嫌い。
だがそれよりも、自分自身が嫌いだ。
無数に居る子供たち。彼らの母親、その家族たち。
みんなが俺を責める。
他でもない、『ドーズ』と呼ばれる、胴体の俺を。
世界中から責め立てられるのが怖くて怖くて。
違う。
違うんだ。
俺のせいじゃないんだ。
責めるべきは、脳みそだ。
……いくら訴えても、だれも耳を貸してはくれなかった。
クレオと、遠山静のふたり以外は。
俺は、ふざけた思考回路をたたえる頭と一体化して、また同じ事になるのが怖かった。
だから地下に潜んでいた……が、それももうできなくなった。
どうしよう、どうしよう、どうすればいい。
ああ、願わくば、誰か。
過去に戻って、こうなった日の俺を、殺してくれ。
ーーーーー
憎い。
生まれた時から、全ての物事への憎悪が根底にある。
自分の生まれから来る世の不条理……それを少しでも緩和する術はあるだろうか?
考えた結果、優秀さにこだわるようになった。
仕事でもスキルアップを徹底し、どんどん上を目指した。
反吐が出るほど他人が大嫌いだが、優しく接するようにもした。
明るく穏やかな人間を演じていればきっと幸せになれると。
……だがダメだった。
何をしても、途中までは上手くいくのに、結局最後には台無しになってしまう。
全てに絶望したよ。
とうとう憎しみに呑まれた時、思った。
「自分の人生が上手くいかんのは親父殿のせいだ」と。
なのにこのコノハナとかいう女は。
ーーーーーー 殺し合いに発展したきょうだいふたりは今や、満身創痍だった。 全身、血と傷と痣だらけ。 いくら殴っても、蹴り飛ばしても、両者ともに一歩も引き下がらない。 とくにコノハナの意地が凄まじい。 華奢で小さい体のくせに、男女の力の差もあるだろうに全く退かないのだ。 強い光を宿した、蒼い眼でミフネを睨みつける。 「おう……まだ立っとる気か、小娘」 同じ色を湛える眼で、同じように睨みつけ……額から流れる血を拭いつつ、ミフネが煽る。 「そっちこそ、とっとと尻尾巻いて逃げっちまえよぅ」 「わしは勝負事で逃げたことは無いからのう。いつだって全力でやってきたんじゃよ、人生っちゅうゲームをな」 「でも全部上手くいかなかったんだっけかァ?ご愁傷さん」 瞬間的にミフネの頭に血が上る。 絶対に聞き捨てならないセリフだった。 自分のろくでもない人生を、少しでも改善しようとした努力を、全否定された気持ちにされたから。 「……はははっ」 今一度、ミフネが前へ踏み出した。 鞘に納めた刀を抜いて、一息にコノハナに斬りかかっていく。 そのまま袈裟斬りにされかけるものの、コノハナは己の脚を蹴りあげて、ぶ厚い靴の底で刃を防いだ。 そればかりか靴底の出っ張りを上手く活用して、空中にて宙返り。 くるくると宙を舞に舞って、近くにあった看板に着地する。 「はっはー、なーーんじゃあ猿山の大将みたいじゃのう!どこまでも見下してくれるもんじゃな!そんなに幸せマウント取りたいか、小娘が!」 『ササガワ駄菓子店』と表記された看板の上に居るコノハナを見上げ、ミフネは嘲笑う。 ところが不意にすっと全ての表情が消え失せてしまった。 明るいふりをしようともしなくなった、まさしく虚無の表情。 「おまえさんにゃ解るまいよ。わしがどれほど色々なものに絶望してきたか……どれほど諦めてきたか……ひとりだけ幸せなおまえさんにゃ解らんよ」「
「さっきからおめえさん、何を言ってやがんだ」 俯いたミフネ。その頭上に、コノハナの声が降る。 「幸せだァ?あたしが?よっぽど頭と感受性最悪なんだなァ、ミッフィー」 そんなことを言ってコノハナは煽る。 ……否、どうも煽っている訳ではなさそうだ。 なぜなら彼女は、本当に訳の分からなそうなきょとんとした顔を晒していたから。 「何であたしが記憶力悪ィか、知ってっか。脳を弄られたんだ、捨て子として売られた先での人体実験でな。その後遺症だよ」 自身の陰惨な過去を語るコノハナ。 やはりオズの子たちは、誰もがとても恵まれたものでは無い人生を歩んできた様子。 ミフネとて同じ身の上ゆえに知っている。 どれほど「親」を憎んだかくらいは。 だからこそ、ミフネは俯いたままで質問を投げかける。 「それでも親父殿を恨まんのか」 「馬鹿野郎、恨み倒してらァ。無意味に生まれて、無意味に虐げられて、恨まない訳はねェ」 コノハナは口に溜まった血とともに、言葉を吐き捨てる。 「でもよぅ、あの紙袋のほうの父さんは……あたしを保護して、育ててくれたからよぅ。名前をくれて、あったけえおまんま食わせてくれて。あたしに、生まれてきてくれてありがとう、って言ってくれたんだ」 その恩に報いる、邪魔をするな。 コノハナは、血を分けた末妹は、そう言う。 「……ッッ」 恩?恩だと? そんなことが言えるのは、こいつが幸せで、余裕綽々だからこそだろう。 数百人いる中でこいつだけが、コノハナだけが何故。 憎い。憎い。憎い。……もう嫌だ。 ミフネは抜刀の構えをとると、コノハナの乗っている看板の支柱を斬った。 さすがにバランスを崩したコノハナが看板と瓦礫ごと落下。 背中を強かに打ち付けて、動けずにいる妹に馬乗りになるミフネ。 横たわって顕になっている妹の喉に、おもむろに刀の切っ先を突き立てた。「死にさらせ、小娘」
と、その時である。 突き立てられた刃が、何者かによって握られた。 「課長……そこまで……」 とても静かな男の声。 ミフネが見上げれば、そこには青い着物を羽織った重そうな前髪の青年。 部下の、遠山鎮巳だ。 「……鎮巳」 「ころしちゃ……ダメ」 刃を、鋭い刃物を握っているのに、鎮巳の手からは血は流れてきている様子は無い。 「離してくれんかの」 「ダメ……妹、でしょ」 「頼むから、おまえさんだけは邪魔せんでくれ」 「気持ちは、ちょこっと分かるよ……僕も……きょうだい、殺そうとしたから……でもダメだよ……なんとかして、和解……しなきゃ」 「鎮巳、頼むから」 「……気が済まないなら、僕のこと、斬っていいから。お願い、します」 ミフネは比較的小柄なのに対し鎮巳は大柄な部類に入る。 ここでさらに戦おうとしたところで悪あがきにしかならないだろう。 「……ははっ」 刀を握るのをやめ、手放すミフネ。 コノハナの上から立ち上がるとよろよろ後退して、やがて壁に背中を預ける形になる。 「アッハッハッハ!!またじゃ、また邪魔された!わしの人生は本当に邪魔されてばっかじゃのう!」 高笑いとも絶叫とも取れる声を上げると、ミフネは力無く項垂れた。 「あーー……もう……疲れたわぁ。死にたい……」
蚊の鳴くような声でミフネは言った。 瞬間、場が静まり返った。 遠くで騒ぎ声が聞こえる以外は、なにも聞こえない。 「……死にたいだと?何で急に、そうなる?」 「知らん。もう何でもいい。ほれ、わしを殺るならとっとと殺れよコノハナ」 ミフネは、項垂れたままでその場に膝をついた。 ちょうど断頭台で首を差し出すように。 「……さっきも聞いたがよぅ。おめえさん、どっち側だ。父さんをどうしたいんだ。殺したいのか、生かしたいのか」 「どっちでもないわ、わしはただ、誰かに存在を認められたかっただけじゃ。それが自分の望む幸せだと信じていた」 「……そうか」 コノハナが立ち上がった気配。 ゆっくり近づいてきて、やがてミフネの前まで来た。 「じゃあもう努力しなくていい」 と、ふわりと頭に何か乗せられた。 この感触は、手。手のひらだ。 「……は」 「もういい、べつに他人なんぞに認められるためだけに生きる必要はねェんだ。上を見ればキリがないもんだろ、世界は」 おもむろに、コノハナの顔を見る。 コノハナは見たことも無いような深刻そうな顔でミフネを見つめていた。 まるで、家族の真剣な悩み相談に乗るように。 「頑張らなくていいんだがよぉ、せめて、あたしがちゃんと父さんに恩を返せるかどうかだけでも見届けてくれねェかな」 「……きょうだい全員を敵に回してもか」 「ああ」 「数百対ひとりじゃ。殺されるぞ」 「負けねェよ、死ぬまでは」 力強い言葉とは裏腹に、コノハナがミフネの頭を撫でる力は優しかった。 ふと幻視した。 見たことも無い、顔も知らない母。 その母に、優しく慰められている様子を。 子供を愛し慈しむようなその手に、母親を見た、気分になった。 「……?」 コノハナに倣ってか、傍らに立ったままでいる鎮巳の大きめの手のひらが、ミフネの背中に回る。 「ミフネ課長……よしよし」 「よしよして、幼児かわしは」 「泣きそうな顔……だから」 「泣かんて」 二人分の精一杯の優しさを一身に受けて、ミフネの心に吹きすさぶ風が止み始める。 そうしてこの後の事を考えだす。 結局自分はどうしたいのか?どうしたかったのか? 先ほど自分で宣ったように、ミフネの目的は存在を認められること。 だったが、それに固執するには現在進行形でじゅうぶん満たされたように思う。 ならば。 「コノハナ」 「ん?」 「さっきの話じゃが……見届けるだけかい、わしは」 「ああ、ダメか?」 「ダメじゃの。そのちっさい背中守らせてくれんと、お兄ちゃんに。なあ?ハナちゃん」 ミフネが顔を上げる。 彼はいつも通り……否。いつも以上に、明るく朗らかな笑顔を浮かべていた。 一片の曇りのない幸せそうな笑顔を。
ーーーーー 「おぉい、マジかよ」 思わず感嘆が漏れる。 周囲一帯を、老若男女あらゆる者に囲まれた。 全員、わりかし背が低く、眼鏡かサングラスをかけ、眼が青い。 極めつけに香る花の匂い。……オズの落し子たちだ。 「やっべ、作戦上手くいった。どーするよ静ちゃん」 「神父様ですけど」 「言ってる場合かっつーのぉ。早く出ろよお前地中から」 「お前こそ出しなさい俺を、地上に」 ドーズの紙袋を被ったまま地中でもがく神父。 不幸中の幸いか、腕は外に出ているので土をしゃかしゃか掻き分けている。 ……と、オズの子たちがじりじりと距離を詰めてきた。 「おうおう近寄んじゃねぇぞてめーら、親父がどうなってもいいのかぁ?」 「おー面白い。どうなるんや、気になって夜しか眠れへんわ」 男の挑発する声が返ってきた。 視線をやれば、一際小柄な少年。 センター分けの前髪、後ろ髪はちょんと燕のしっぽ状。 瞳は右が赤、左が緑色だった。 紺のストライプ柄のコートを着こみ、ミフネと同じサングラスをかけている。 「ご機嫌どーや、化物」 「ハイジ、てめえ……」 「無駄な抵抗はよしてくれるか。そこの紙袋、うちの親父ちゃうのは知ってんねんで」 ハイジ、と呼ばれた少年は幼く見えるが、声はかなり低いのでおそらく成人しているだろう。 どうやらここでデミ生き埋めになっているのはドーズではないと、バレている模様。 どうしたものかと頭を回転させる社長だったが。 「いっでえ!!」 手足に激痛を感じた刹那、膝から崩れ落ちた。 這いつくばる状態になって局部を見遣れば大量の血。 オズの子供たちに撃たれたのだと自覚した。 「ほーれほれ、何やってんねん、立てや化物」 「うっせぇなお前、回復しきったらぶち殺すかんなぁ!」 その言葉にハイジはすっと目を細める。 次に、にやっと笑った。 「オマエこそ、いい加減死ねや」 「……あ?」 「前から思っとったわ。オマエは何のために生きとん?オマエの人生今までどんな実りがあってん。誰からも愛されてへんくせに、よう死にたくならへんもんやな」 胸の奥で、なにか、ヒビが入ったような音がした。 いつもならただの挑発、悪口だと聞き流せただろう。 だけれども今だけは、そこに触れないで欲しかった。 憧れた少女を壊してしまって、『死にたい』と薄ら思い始めていたタイミングだったから。 「がっ」 這いつくばっている社長、その周囲を取り囲んで、オズの子供たちが社長を攻撃し始める。 幼く華奢な体を、何人もの足で踏みつける。 「そうだ、死ね」 「死ねよ、お前なんか」 「お前が生きてると迷惑だ、死ね」 オズの子供たちが、口々に罵ってくる。 「死ね」ばかり連呼する声が全身に刺さる。 同時に、あらゆる身体的痛みも加えられていく。 まるでいじめだ。 「っ……るせえっ……」 不意に遠山静句が掲げていた持論を思い出す。 不死の人間を殺したいならば、「死にたい」と思わせることだ、とか何とか。 おそらく彼らもそれと同じ手法で、社長を殺害しようとしているのだろう。 あえて殺人的な行為をせずに、体より心を殺すために。 「死ね」 「死ね」 「死ね」 「死ね」 「うるせえ!!俺はっ」 俺は生きていたい。そう言いたかった。 だが脳裏によぎるあの少女……カリンの顔。 変わり果てたと言っても過言ではないあの姿。 「……俺は……」 踏み潰されそうだ。身も心も、魂すらも。 自分は本当に生きる価値がある者か?と、己に問うが答えは出てこず。 彼の心に、着々とひび割れた箇所が増えていく。 と、社長を取り囲む群れの一部が吹き飛んだ。
「うちの子ォ、いじめないでいただけますかァ……」 泥まみれの神父である。 足元には人一人が入れそうな、というか今の今まで入っていた穴。 今まで黙っていたと思っていたが、自力で地中から抜け出すのに懸命していたからだったらしい。 腕には散弾銃を構えており、どうやら一発お見舞いしたと見える。 まだまだ撃つ気があるようで銃口は敵を狙っていた。 「おう静はん。いい夜やな、化物を殺すのには最適や」 「殺させてたまりますかっつーのォ。そいつは俺の子です」 「いや化物やん。アホらし……」 「黙らっしゃい」 息子である鎮巳に襲撃されたときと同様、またもや一片の迷い無く人間を撃ち抜いた。 あろうことか散弾銃でだ。 撃った銃弾はハイジの頭に直撃、彼は後方に吹き飛んでいった。 呆気ない最期である。 「ハイジ兄さん……!!」 「てめーらもああなりたくなかったら、今すぐその子を離して頂きましょうか」 ギラついた眼差しで威嚇する神父。 ところがオズの子供たちは怯えもせず怒りもせず。それどころか何の反応もなく。 ただじーっと、神父を睨んでいる。 一瞬だけ、神父が戸惑った時。 「ッ……!!」 発砲音が響きわたった。 どこからか狙撃されたようである。 神父は右肩を抑えてうずくまり、痛みに耐える。 利き腕をやられてはさすがの神父も、もう銃は扱えないだろう。 「静!!」 「……しず、お」 「静、もういい動くな!俺に任せてお前は逃げろ!」 依然として踏みつけられて転がったままで、社長が叫ぶ。 「あぁ?柄にもねー事言ってんじゃねーですよ。死亡フラグ立つでしょォ」 「……。……俺、もう、死んだ方がいいのかもしれねぇ」 「はあ?」 「俺、生きる上で何も希望が無いんだよなぁ。いつまでも生きてるくせに、生産的なこと何にもしねぇでよぉ。たぶんもう、そろそろ、死んだ方が」
「おーや、易々と命を投げ出すとは一周まわって感心しますね」 少女の声が、降った。 無感情なわりに『色彩』のある声。 聞き覚えのあるものだった。 「しかも親の前で、ッスか。親を泣かすような真似するなんて、やれやれ」 社長は、自分を踏みつけている連中越しに、『彼女』の姿を見る。 彼女はすぐそばに建つ雑居ビルの屋上からこちらを見下ろしていた。 鮮やかな色の丸い頭。 じっとりとしたやる気のなさそうな目つき。 肩に担いだ巨大なハンマー。 「そういう子、工場長は大好きですよ」 夢か現か、カリンがそこにいた。 精神が壊れたはずのカリンがなぜここに?どうして? 社長は混乱こそしたがそれ以上に、別のものがこみ上げた。 「っ……カリーナ……カリぃぶっっっ」 カリンが担いでいたハンマーを、真下に居る社長目掛けて落とした。 ぽーい、とかいうポップな効果音がつきそうなくらい、軽く落とされた鈍器によって社長の頭は潰れた。 だがカリンによる鬼の所業はこれでは終わらない。 ダメ押しと言わんばかりに、今度は彼女自身が社長の腹目掛けて飛び降りる。 着地した瞬間にものすごく精神衛生上よろしくない音が響いた。 「え……、ええええ」 オズの子供たちが揃ってドン引きしている。 自分たちがえぐい事をしている矢先、急に出てきた少女がそれを遥かに凌駕する事をしたのだから当然だ。
「小娘……?」 あ然とするトオヤマシズカ神父。 痛みすらも忘れているのか、つかつかカリンに歩み寄って、頬をはたく。 それとなく社長の上から退かすのも忘れない。 「痛いんスけど。壊れかけのレディオじゃないんだから」 「ありえねェです……どうして……」 「あんたの妹さんの仕業ですよ」 聞けば、こういうことだという。 騒ぎを察知した静句と鎮巳が監獄を勝手に脱獄した。 彼らは、全てを悔いて、省みていた。 オズに従って、家族をまた壊そうとしたこと。 関係ない他人を巻き込みに巻き込んだこと。 省みるにあたり、何か出来ることはないか?と考えた結果、ちょうど懲罰房にて監禁されているカリン少女を助けようと決めた。 「静句さん印の気つけ注射とかいうので、これこの通り。早朝バズーカの方がいくらかマシでしたね」 「カリー、ナ」 血潮が泡立ち、肉片が繋がっていき、社長の形に戻っていく。 「お前……だよなぁ。カリーナ……だよなぁ」 「他に誰に見えるってんですかコノヤロー」 短い会話でもじゅうぶんに理解出来た。 ーーカリーナ、だ。カリーナ・インセグイーレだ。 俺の、憧れた女。 良かった、良かった、良かった。 あぁ、生きていて良かった。 「……?あんた、泣いてんスか」 「るせっ」 「お……おい、君!そこの女の子!」 引いたままで固まっていたオズの落し子のひとりが、がなる。 「はい?」 「君、こっちへおいで。そいつらは悪い奴らだ」 「まぁ、はい。悪いってのは知ってます」 「オズさんて知ってるかな?私たちは彼の子供なんだけど、それでっぐっはあ」 弁舌を振るおうとした、というかしている最中にも関わらず、カリンはハンマーを振るって彼らの数人をまとめて殴り飛ばしてしまった。 「うるせーです。なんか嘘ついてるってのだけ女の勘でわかったんで、ぶっ飛ばします」 「え……ええええ」 「社長さん、神父さん。動けます?守ってあげてもいいッスけど」 「……馬鹿か?てめぇこそ下がってな。俺様の無双ぶり見せてやんよぉ」 「俺ァ肩やられたんで……久々にステゴロしますかねェ……」 数にものを言わせ戦うまでもない、いじめ殺すだけと思って慢心していたオズの落し子たち。 突然のガキ大将の登場に混乱の極地に立たされる彼ら。 だったが、彼らには目的がある。 戦わねば。全員殺さねば。 父・オズの言うことを聞けば、願いを叶えてもらえるのだから。 「かっ……かかれェエエエエエエ!!」 乱闘が、始まった。
ーーーーー 教会で、ラスカルを味方につけ善戦するかと思われたオズ。 だが彼女は、まさかのクローバーに説き伏せられてしまった。 そんなわけで再び不利になった彼は、どさくさに紛れて逃走していた。 しかしながら視界を封じられているオズには、自分の居所すらも判らない。 どこに向かうあてがある訳でもない。 だから、ただそこで待っていた。 何かを。はたまた、誰かを。 「おーう。そこに居ったんですかァ、親父」 不意に聞こえてきたのはノリの軽い男の声。 「あら、ハイジちゃん。早かったじゃなァい」 ハイジ。社長を虐め殺そうとしたあの少年だ。 つい先ほどトオヤマシズカに撃たれて死んだはずのハイジが、何故生きているのか。 弾は当たっていなかった?はたまた……。 何はともあれ、ひょいとオズを持ち上げたハイジ。 「なーにアンタ、血なまぐさいわねェ。アタシの子なんだからいつでもフローラルでいなさいよ」 「しゃーないやろ、頭ズドンされて一回死んだんやから」 「あっそう。で、頼んだヤツは?」 受け流し方がぞんざい過ぎる。 が、実際に息子ながらその男は傷つく様子もなく「へいへい」と、これまた適当に受け流す。 「これやろ?オレらきょうだいの名簿」 目の見えていないオズにも存在が分かるよう、鼻に押し当てる。 するとオズはおさげ髪を動かして感触を確かめ、にっこりして見せた。 「ン~!ちゃんと取ってきてくれたのね。いい子ね」 「二度と頼まんといてくれるか?これ盗む時も殺されそうになったんやで、オレ」 クローバーの手元から書類を盗んだのは、ハイジだったようだ。 上手くコノハナとミフネに罪を擦り付けたものである。 「アラ。じゃあ、この後もっともっと死ぬわね」 ハイジの手に乗ったまま、オズは喉を鳴らしてせせら笑う。 「覚悟しなさい、クズ共。アタシがこの程度で負けると思ったワケ?本番はここからよ」
その頃、繁華街付近の路地裏では。 「おーう、生きとったかぁ眼帯小僧とその秘書」 「お前こそ死ぬほどボコられた後だろうがよォ」 教会から戻ってきたオズ保護組と、仲間割れののち和解した兄妹が合流していた。 クローバーとパティは火傷だらけ、コノハナとミフネは血だらけ。 見た目だけは阿鼻叫喚な彼らだが、気持ちは非常にすっきり爽快だった。 「すげェ面してんなァ、レッサーパンダ」 「コノハナちゃん~~……」 阿鼻叫喚の彼らに埋もれるように存在するラスカル。 彼女は彼女で、目立った怪我こそないものの顔が涙でぐちゃぐちゃだった。 コノハナが気付いて声をかけるとさらにしゃくり上げだす。 「どうした。何かされたか」 「くろっ……クローバーが……」 「何じゃ小僧、とうとうこの子に手を出しよったんか」 「ノーコメント」 「……あの……ちょっと……いい、ですか」 横から鎮巳が話しかける。 「この中で……赤い飴ちゃん、食べたひと……いる?」 「飴……あっ、オズさんが配るように言ったものですか?食べてませんけど」 「俺は勧められたが食ってない」 「そう……良かった……」 鎮巳が、心底安堵した様子でいる。 何をそんなにほっとしているのだろう。 「そういえばあたし、あの飴は結局何か聞いたっけかァ?」 「わしも聞いとらんが。親父殿はどういうつもりでアレ配っとったんじゃ?」 「……あの飴……時限爆弾」 「え」 「食べれば食べるほど、爆発するのが……早まるって……だから、食べちゃダメ」 「えっっっっっ」
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赤い飴が、劇物。 そう告げられた頃には、既に事は起き始めていた。 あろうことか繁華街の中心にて。 「なんだこれ」 誰かがぽつりつぶやく声がした。 その眼前では、風船が破裂するかのごとく人間がそうなる。 あちらで爆発すれば、今度はこちら。 あたり一面が血の海、血の霧だ。 「う、うわああああああ!!」 逃げようにもどこに逃げれば助かるのか分からない恐怖。 繁華街は、まさに大パニックだった。 「皆さん、落ち着いて!落ち着くのです!」 そんな大パニックな人混みの中に、赤い着物を羽織った女がいた。 静句だ。 「た、助けて、たすけてっ」 「大丈夫なのです、貴方は飴ちゃん食べましたか?食べたならいくつ?」 「い、一個、一個だけ食べた!」 「ならまだ平気なのです。街を出て、山岳地方に……」 平気と言われ安堵した表情を見せた市民、だが、次の瞬間には静句の眼前で頭が破裂した。 どうやら、一個しか食べてないというのは嘘だった模様。 たった今助けようとした人間が死んだ。 その現実に打ちひしがれそうだったが、そんな暇は無いと脳みそがはりついた顔を拭う。 「あわっ」 不意に、何者かに引っ張られた。 引っ張られた先は、奥深くへと道が続く裏路地。 そこにいたのは七三分けの燕尾服男だった。 カリンを拉致するにあたりほかの同僚たちのことも調べたので、彼の正体はわかる。 「あんた、静句さんだべ」 「そういう貴方は、ベルトさん、ですねー?はじめましてなのですー」 「あ、ベルさん!」 路地裏の奥の暗がりから現れし味方。 パティ、クローバー、ラスカル、鎮巳、コノハナ、ミフネだ。 「久しぶりベルト。何できみ都合よくここにいるんだぃ?」 「おい酔っ払い。この惨状はどういう事だ。お前なら多分知ってんだろォ」 「他の連中も来るから、そしたら話す。あと二秒後に」 「え」 頭上に疑問符が浮かぶのも待たず。 傍らにそびえる別の路地とのしきり板、その木製の壁をぶち破り、ド派手に何者かが登場した。 カリン、社長、神父である。 「あれっ。カリンさん!?」 「ほんとだカリンちゃんだ。元気になったのかぃ。だいじょうぶ?」 「ッス」 「だいたい揃ったな。ほいじゃ、今の状況をまとめようか?」
ーーーー まず大前提として、この状況を作り上げたのはオズ。 オズワルド・ユジーヌだ。 オズの目的はクレオを殺害すること。 そのために、方々であらゆるトラブルを起こして、人々の余裕を失くさせようと企んでいた。 その仕上げに街をパニックに陥れるべく、オズ自らがあの飴を考案し、静句が実際に作った。 あの飴は有り体にいえば劇物だ。 食べた時は問題ないが、胃の中で時間をかけて爆弾に変わる仕組みになっている。 さらには、食べれば食べるほど、爆弾に変わるスピードが上がるのだ。 三つも食べれば、数ヶ月で死ぬ。 多大な被害者を出したあとは簡単。 こんな飴を配り歩いていたのは、あろうことか自警団だ。 当然のごとく、頭たるクレオに民衆の怒りが向くだろう。 「……それが親父殿の企てとはのう」 「やっぱり、あたしらを利用してやがったな。あのクソ親父」 「劇物……なら中和剤みたいなものは?無いんスか、静句さん」 問えば静句は表情を曇らせる。 「ありませんのです」 「えっ」 「静兄ちゃんさえ亡きものになればいいと思って、わたくしわざと作らなかったのです。……申し訳ございません」 うなだれるように頭を下げる静句。 憎悪のあまり後先を考えられなかったのは、たしかに致命的。 だけれど、彼らには同じような経験がある。 ゆえに、自分のことを棚に上げて無闇に責め立てることはできなかった。 「とにかく逃げましょォ……ここは危険です」 「街の状況は?」 「こんなもんどうしようもねーだろぉ。爆発が止むまで、どっか別んとこ居ようぜぇ」
「そうはいかんぞ、極悪人共め」 話し合う輪へ、怒りに震える声が割り込む。 振り返れば、灰色のコート……クレオが統率する自警団の制服を着た男。 こんなクズ共を捕まえて、極悪人とは今更何のことだろう。 「オズ氏から聞いたぞ!!貴様らが、この国を潰そうと画策しているとな!」 「……はぁ?オズが、何だって?」 つい先刻、オズから通報を受けたのだそうだ。 クズ工場の面々が、国家転覆を図っていると。 ブランクイン社も誑かされて、彼らに味方してしまっているから信用するなと。 団長・クレオについても同様。 興奮しきった自警団員の彼が語った内容に、全員が呆れの眼差しを向けた。 すっかりオズに騙されている。 「……そんな馬鹿なこと信じたんか、アホかおまえさん」 「実際街は壊滅状態だろう!それにオズさんは信用出来る御仁だ!!」 「……あれ。言われて思い出したけど、クレオどこいった?キースも」 「交尾中だよ、この非常時に!!指名手配犯に協力を仰ぐなんてと思ったら、ただ『味見』したかっただけとはな!」 「えっ、交尾って」 「黙れェ!いいか、どうせお前達は全員死罪だ!ならここで殺しても構うものか!!」 どこまで興奮するのか、どこまでも興奮するのか。 自警団員は、彼らに向けて銃を向ける。 ここは狭い路地裏。奥へ進んでいけば逃げ場は無くはないが、代わりに逃げる時間がない。 今まさに銃撃されようとしているわけだから。 強靭な体を持つ鎮巳を盾にしようにも、全員守りきれる保証は無く。 何人かは無事では済まないだろう。
「……?」 撃って……こない。 何故か、その場にて硬直して動かない自警団員。 と、彼が膝から崩れ落ちた。 一瞬誰も状況を理解できなかったが、倒れた彼の背後に立つ者を目の当たりにすると、これまた誰もが叫んだ。 「ドーズ……!!」 頭に被った紙袋が特徴の男。 長らく行方不明だったドーズが、そこに居た。
「お前どこ行ってたんですかァ……」 神父が脱力感たっぷりに問えば、ドーズは何か大きな物を前に引きずり出して見せる。 布……いや、ずた袋だ。 確かコノハナが常に背負っていたものだったか。 「え、うっそマジ?これに入ってたん?」 「ああ」 「お前娘に持ち運ばれてたのかよぉ」 「ハナちゃん……何で教えなかったの……」 「あー……忘れてた」 思いもよらない所から行方不明者が出てきた。 再会を祝して皆でお茶でもといきたいところだが、遠くから此方に向かって走ってくる大勢の足音が聞こえる。 おそらく自警団員の応援だろう。 「どうします?」 「貴様らはクローバーの廃ホテルに逃げるがいい。俺は自首する」 「自首……って、殺されますですよー?たしか全員死罪とか言ってましたしー」 「だからこそだ。俺は見ての通り不死だしな」 首と胴が泣き別れても生きているくらいだ。 どんな拷問をされようとも、実際に死刑執行されても死なないはず。 自警団員たちの骨折り損だ。 「……何のつもりじゃ貴様、今更」 苦い顔をして、ミフネは訊ねる。 ドーズはと言えば、紙袋を少し下に向けこう返す。 「……俺にできることは、これくらいしか無いんだ。申し訳ない」 「おーいおい、言ってる間にも連中がこっち来るぞ!逃げんならとっとと行くべ!」 背に腹はかえられない。 ここはドーズの言葉に甘えて、逃げねば。 何人かは心配そうに振り返ったが、結局そのまま逃走していった。 「……、何故残った。お前達」 が、ドーズとともに残った者もいた。 コノハナとミフネである。 コノハナは悠然と煙草をふかし、ミフネもまたサングラスに付着した汚れを拭き取っている。 「恩、返すって決めたからよぅ」 「わしはお兄ちゃんじゃからのう」 そんな風に、何でもなさそうに。 否、実際何でもないのかもしれなかった。 対して、余裕が無さそうなのはドーズのほうだ。 彼は、全身を小刻みに震わせていた。 兄妹はあえてその様を見て見ぬふりを決め込んだ。
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ーーーー 「……は?何て言った、今」 『だーかーらー!私が迷子になってる間に、とんでもないことになってるの!』 同僚からかかってきた電話の内容に、呆然とした。 現在進行形で街にて起きている騒動。 その犯人がオズだとか。工場もブランクイン社も、皆がオズのせいで殺されそうだとか。 『ああ、そういえばあんた赤い飴食べた?』 「……何で」 『食べたら死んじゃうらしいわ。食べてないわよね?ねえ?』 食べたら死ぬ? 僕はその飴、恋慕する人から貰って食べたが? 通話を切らぬまま……隣の、肌を晒した姿で放心しているクレオさんに視線を向け、問うた。 「クレオさん、聞いてましたよね。どういう事ですか」 「……ああ」 「クレオさん、あんた、オズの悪巧みのことどこまで知ってたんですか」 「……知らなかった。薄々勘づいてはいたがね」 クレオさんは、掠れた声で答えた。 「オズの奴……やはり私を殺そうとしていたのか。それだけのために国ごと巻き込んで、ここまでやるとは。ご苦労なことだ」 「そこはどうでもいい。あんたまさか、僕を殺そうと思って飴食わせた訳じゃないだろうな」 彼女はそれについて答えなかった。 無言は肯定。……だが僕は信じなかった。 こんなものは間違いだ。何かが間違っているのだ。 だって、僕はそこそこ尽くしたろう? 幸せが解らないと言うから、導いてやったろう? デートもしてやったろう? 悪漢を追い払ってやったろう? 全て僕の善からなる行為、経緯なんだから。 いつだって僕の善意が間違ってるはず無いんだから。 「ニル、聞こえるか」 『ええ、なあに』 「僕、クレオさんと遠くに逃げるよ」 『え?』 「クレオさんはおかしくなってる。他人の善意に気づけないくらいには余裕が無いんだ、今。だから一緒に遠くに行く。状況が落ち着くまで」 『は!?何言ってんのよ、ちょっと待って……』 終話ボタンを押し、片手間にクレオさんの腕を引っ張って立ち上がらせた。 「何だ、事が終わったなら離してくれ……」 「クレオさん」 半裸状態でいる彼女を、そっと抱きしめて。 耳元にて僕は囁いた。 「大丈夫。僕が守ってあげますから。ね」
「ドーズとあの兄妹の、処刑される日が決まったぜぇ」 それから約二ヶ月後。 ドーズに言われたとおりクローバーの廃墟(正式呼称は『アヴァホテル』)、そこに潜伏しているところに、その報せは舞い込んできた。 テーブルを囲む三人のブランクイン幹部、社長、遠山静、クローバー。 誰もかれも、神妙……というより疲弊した顔だった。 「やっと……」 「おいクローバー、やっとって何ですか。もっと早くぶっ殺されてれば良かったってんですか、俺のダチは」 「いえ、意外だと思いまして。あれほど激昂していた連中が、二ヶ月経ってようやく処刑だとは」 「そいつぁたぶん、オズの野郎をおびき寄せるためだろうなぁ」 社長はだるそうながら口を挟む。 「自警団も、感情的な胴体を信じるべきか疑うべきかわっかんねーんだろぉ。だから理性的なフリかましてる頭にも聞きてぇんじゃねぇ?」 おそらく彼の推測は正しいだろう。 だが不思議だ。 クレオは行方不明で、なおかつオズも行方不明。 自分は悪くないことにしたはずのオズが、なぜ逃げている? まるでオズはなにか待っている様だ。 何を待っている?これは何の待機時間なのだろう? 「神父様……あの……クレオお姉ちゃんとオズワルドさんの間に、何があったんですか?」 「それはオズから聞いたでしょォ、お前」 「オズワルドさんの言い分は聞きました。でも、お姉ちゃんの心情が分かりません。お姉ちゃんは、オズワルドさんを親友だって言ってました。どうして?酷いことをされたし、されている相手なのに」 「……親友、ねェ……」 神父は、眉間に皺を寄せる。 「親友なんかじゃねェですよ。少なくとも、クレオとオズはね」
パティが聞いた通り、オズは迫害されてました。 顔に花が咲く、純粋なる「人間」じゃあないオズは、誰にも愛されない苦痛で気が狂ったんです。 そんなあいつに変わるきっかけをくれたのが、まだ幼かったクレオです。 クレオは、オズを見ても気味悪がらなかった。嗤わなかった。好奇の目で見なかった。 ただ綺麗なお花だ、って褒めたそうです。 初めて人間に優しくされたオズは、クレオにだけ好意を示した。 好意なんて安いもんじゃない、あれはもはや愛情でした。 幼いながらにクレオも、オズが好きだったって言ってましたよ。いわば相思相愛です。 けど、クレオがよその野郎に穢されて、そんなふたりの絆にヒビが入りました。 オズはクレオを許さなかった。 抱いた怒りが見当違いだとも気付かずに。 対してクレオは、オズに許して欲しかった。また一緒に笑い合いたかった。 だからオズの言うことを何でもかんでも聞いた。 「オズ以外の男と寝ろ」とかね。 あの頃のクレオは、本当に見てられなかったですよ。 どんどん擦り切れていくクレオを救いたくて、俺はオズワルド・ユジーヌの首を斬り落としました。 「ドーズ……あいつはオズに残された善なる部分です。あいつ言ってましたよ。自分はクレオへ劣情など向けたくはない。友愛だけをもって接したいってね」 「ドーズおじさま……やっぱり良い人だったんですね」 「地下監獄の一部譲って、人間観察するための監視カメラ部屋まで用意しちまったくらいですからねェ……クレオに少しでも普通の幸せを知って欲しいって言って」 「えっ、それはちょっとどうかと」 「それをあの小僧は邪魔しやがったんです」 小僧。キースのことだ。 ドーズを責め立てて、オズの口車に乗せられた馬鹿。 「あいつ、クレオに気があるみたいでしたし……まさかとは思いますが……ねェ……」 「ところで社長、ドーズ達の処刑日はいつでしょうか」 「今日だぜぇ」
「今日!?」
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ーーーー 「お前、何かしただろ。クレオに」 二人きりになった途端、そう問い詰められた。 この男のまえで演技も嘘も通用しないと知っているから、素直に頷けば、彼は深い深いため息をついた。 「なにしたん。言ってみ」 「あんたどうせ全部わかってるじゃない」 「口から聞くのに意味があんだよ。アルコール入れる?口軽くなるように」 椅子にだらしなく掛けてテーブルに肘をつき、あえて目を合わせず、ベルトは答えを待つ。 ニルは、内心とても怯えていた。 自分のやらかした事について、不安がいっぱいだったから。 「ッ……クレオに、薬を盛ったの」 だから話した。 クレオに性欲増強薬を与えたと。 クレオが求めた「経口避妊薬」とは真逆のものを、わざと処方したと。 たかだか同僚に許しを求めて、意味も無いのに話した。 「ねえあんた知ってた?キースが、クレオのこと好きだって。知ってた?」 「おん」 「どうしよう、クレオが身篭っちゃったりしたら……!!」 青ざめるニルはまるで、クローバーを長年騙していた真実を自白した当時と同じ顔をしていた。 ベルトは険しい顔をしつつも、何も語らず何も視界に入れなかった。
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ーーーー アヴァホテル正面玄関。 よぉ、と軽い挨拶を投げてきた人物に、複雑な気持ちになった。 帽子を被った、黒地に白メッシュの髪の、オシャレな青年。 「キース……!」 紛れもない。キース・アンダーソンそのひとだった。 クレオを連れて行方不明になっていたが、二ヶ月経った今になって戻ってきた様である。 さらに隣には、車椅子に座った白髪の女。 以前に比べて雰囲気が違うが、クレオ・ホプキンスその人だった。 「それ、クレオさんスか?」 「何か様子おかしくないかぃ」 「あぁ、ベルトとニルどこだ?居るよな?」 同僚たちに話しかけられても、聞こえてないかのごとく無視。 代わりにきょろきょろと残りメンバーを探す。 何かがおかしい。 と、異様な空気を感じて戸惑っているカリンとラスカルの背後、別室のドア向こうからベルトとニルが現れる。 「よう。久しぶり」 「キース……と、クレオ……」 ニルは、久しぶりに会った同僚を見ても、何故かあまり嬉しそうではなく。 ベルトも視線が泳ぎ、どこを見ているか分からない。 「工場メンバー、みんな揃ったな。ここでひとつお知らせだ」 異様な空気をものともせず、キースが満面の笑顔でこう宣った。 「僕達、結婚したんだ!」
「結婚、って」
同僚たちは戸惑う。
宣言した張本人たるキースといえば、満足気である。
これは多分、サプライズがうまくいったとでも思っているのか。
しかしおかしいのだ。
結婚したというのはまだいい、だが花嫁……クレオの様子が、明らかに憔悴しきっている。
これはまるで。
「えーと、質問いいスか。あんたらっていつから恋人関係だったんですか」
「恋人だったことなんかねぇけど」
「は?」
キースの言い分はこうだ。
オズが、クレオを殺そうとしていると知った。
けれど彼女にはほとんど味方がいないから、自分が守ってあげようと思った。
おかしな輩から女性を守るならば、結婚が一番だ。
「ほら、僕まえに言ったろ。『家族が欲しい』って。だからクレオさんを……」
「孕ませた、って?」
ベルトが、重々しい口調で横やりを入れた。
「お前、なに馬鹿な事してんだよ……」
「いや、お前こそ何言ってんだ。僕はお前のアドバイス実践しただけだろ」
「アドバイス?」
「みんなで飲み会したときあったろ。僕相談したよな、女の幸せって何だと思う?ってさ。そしたらお前、それは性の喜びだって、言ってたよな?なぁ?」
ベルトは愕然とした。
たしかにそんなことを言った記憶はある。
だかまさか、あんなただの冗談にしか聞こえない文言を、実践するなんて思ってもいなかったのだ。
「だ、だめだよ、そんなの」
ベルトが己の思わぬ過失に打ちひしがれている傍らから、ラスカルが震えた声をキースへかける。
「だって、そんなの、クレオの意志じゃないんだろ?きみ、その、無理強いしたってことだろ?だめだよ、そんなの幸せなんかじゃないよ」
キースの目つきが、一気に険しいものになる。
「きみの幸せはうれしい。けど、これは明らかに間違いだよ……」
「蚊帳の外のお前に何がわかるんだよ」
「わかるよ!ぼくはきみの同僚なんだからっ……」
と、ラスカルは不意に視界がぐるんと回ったような錯覚を覚えた。
同時に、周りから息をのむような声。
右頬が痛むところから考えるに、キースに殴られたのだと解った。
「お前にわかるわけねぇんだよ!女でも男でもない中途半端なやつがとやかく言いやがって!」
「キー、ス……」
「そうか嫉妬だな!クレオさんがちゃんと女として機能してるから嫉妬してんだろ!!」
ラスカルが目を見開く。
そんなこと、キースに言われるとは夢にも思わなかった。
愛したひとと同じ顔をした青年に。
見開いた曇り空のような瞳が潤み、雫が零れ落ちていく。
「いいか、僕の邪魔はさせねぇぞ!!同僚にも、誰にも!邪魔するなら殺してやる!」
狂乱状態で銃をラスカルに向けだすキースに、それまでフリーズしていた同僚たちが、慌てて止めに入った。
「ちょちょちょ、一回落ち着いてくださいよ」
「ベルト!!あんた早く止めなさいよ!エスパーでしょうが!」
だがしかしベルトは何故か、行動を起こさなかった。
戸惑った顔でキースを見ている。キースの、目を。
カリンがキースの背に組み付くが、キースは雄叫びを上げて背負い投げの要領でカリンを床に叩きつけた。
そのままの勢いに任せ、床上のカリンに銃口を向ける。
「がッッ」
と、呻き声とともにキースの動きが、止まった。
かと思えば膝から崩れ落ちて、床に倒れ伏す。
「……大丈夫かぃカリンちゃん」
今の今までキースが立っていた場所に、ラスカルが立っていた。
得物である巨大シャボン玉棒を抱えているあたり、背後からキースの脳天を殴ったのだろう。
「ベルトも。大丈夫かぃ」
「……おん」
ベルトが気まずそうな顔でうつむく。
そんな顔をする理由はだいたいわかるから、ラスカルが追及する。
「きみ、何でキースを止めなかったんだぃ?きみなら目さえ見れればどう動くかは分かったろう」
ベルトは唇をきゅっと噛み締めて、しばし沈黙。
やがてこう言った。
「……見えなかったんだよ」
「そんな事ある?あんたエスパーでしょ。不意打ちって訳でもないようなものだったし、予知できないなんて……」
「俺は……そりゃあ、人間の目からだったら何でも見えるけどさ」
「人間でしょ、キースだって」
指摘されると、ベルトは輪をかけて表情を曇らせた。
やがてぽつりぽつりと説明しだしたのは、こんな内容。
彼は人間の目を通して「心」を悟る。
以前は心を持ったロボットの目からも、心情を汲むことが出来たくらいだ。
そんな彼が何故キースからはなにも悟れなかった?
……心が無いからだ。
本能だけで生きる獣のように。あるいは、化物のように。
「俺が何でオズのこと怖いと思う?昔、あいつの目を見たとき、何も悟れなかったからだよ。……今のキースみたいに」
「てことは、キースさんはもはや人間じゃない……ってことですか?」
ベルトは沈黙し、答えるのを拒絶した。
「み、皆さんーーー!!大変です、ドーズおじさま達の処刑が……」 と、タイミングが良いのか悪いのか、ドアを蹴破らんばかりの勢いでパティが入室してきた。 続いて神父、社長、クローバーも現れる。 「あれ?クレオお姉ちゃん!やっと戻ってきたの?」 「おい、何で小僧は倒れてる。踏めって意味かァ?」 「……それがその……大変なんです」 他の工場メンバーの誰もが黙秘したいと顔に出ていたため、カリンが代表で事情を話す。 クレオがキースによって孕まされた。 その話を全員で共有した結果、クレオとは友人関係であるトオヤマシズカ神父は、ただでさえ気絶しているキースを銃で撃とうとした。 ほかは皆、苦々しい顔をしていた。 いくらクレオが嫌われ者だからといっても、あまりに人道に反しすぎている。 「神父ちゃーん。落ち着けよぉ」 「落ち着いてます」 「落ち着いてんなら銃は置いとけよなぁ。ほれ、俺様のプリティフェイスでも見て」 怒りが収まらないながらも、神父はなんとか自制すべく懸命する。 やがて大きな舌打ちをひとつすると、近くの壁をぶん殴った。 「クレオの意思を無視しやがって、クソガキがァ……」 穴が空いてしまった可哀想な壁を睨みつけ、神父は呪わしそうに呟く。 原因というか元凶なニルは、できるだけ息を殺して気配を消している様子だった。 「神父さん……キースさんは間違ったことしたのは解るんスけど、その……こんな手段取らなければ、クレオさんが振り向いてくれてた可能性とかは無いんスか」 「無ェです」 神父は即答だった。 「クレオがこんなガキのものになる訳ねーんですよ。クレオにはもうとっくに神様がいた。こいつは絶対オズワルド・ユジーヌ以外のものにはならねェ」 「……オズ……」 と、不意にクレオが口を開いた。 憔悴しきっている表情はそのままに、ただ「オズ」とつぶやき涙をこぼした。 それを見て工場メンバーズは悟った。 クレオはオズと結ばれたかったのだ、と。 さらに否が応でも理解する。キースは決して許されない事をしたのだと。 「あ、オズで思い出した。あいつの胴体の処刑が今日に決まったぜぇ」 「今日!?急すぎるべや!俺行くけどお前らどーする?」 「行くとも!三人とも助けないと」 「私も行きます!」 「俺は残って門番してる。敵が入ってこないように」 「助けるに決まってんでしょォ、ダチなんだから」 「じゃ俺様も行ってやんよぉ」 「カリンは静句さんの手伝いしないとです。解毒剤がもうすぐ出来るんで」 ベルト、ラスカル、パティ、神父、社長が、救出のため処刑場へ。 クローバー、カリンが残ると宣言する。 「……私!クレオとキース見てる!みんなで行ってきてちょうだい」 さらにニルが残ると宣言。 彼女については先ほどから様子がおかしいし、なにか怪しいと思わなくもなかった。 が、今は時間が無いからと、みんなあまり気にせず二つ返事で応じ。 残ると宣言した者達以外で、処刑場に向かったのだった。
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懐かしくもある断頭台の上にて、ただ耳を澄ませた。 「おい嘘だろ、あいつ首が……!」 「化物だ……あれがあのオズさんの胴体なんてな……」 「気持ち悪い……」 悪気があるのかどうか定かではない悪口ばかりが聞こえてくる。 自分は別にいい、とドーズは思う。 首があった頃からずっとこうで、慣れているから。 ただ、同じく隣にて好奇の目に晒される、我が子ふたりを不憫に思った。 「これより、国家転覆を図った者共の処刑を執り行う!」 処刑の時間になり、自警団員が声高らかに宣言する。 事前に聞き及んでいる限りでは、彼ら……というか兄妹は、最期に言い残すことはあるかもろくに聞かれずに殺される模様。 全てはオズワルド・ユジーヌの頭の方をおびき出すためだ、と。 「この処刑に異議のある者は?」 「はァ〜い」 満場一致で「殺せ」の空気のなか、ある訳の無かった異議の声が上がった。 トオヤマシズカ神父だ。 彼もまた大罪人と追われる身でありながら、命知らずにも名乗り出た。 自警団も、彼らがドーズたちの処刑を観覧には来ると踏んではいた。 が、まさかわざわざ目立つ真似をするとは想定外で。 「し、神父……ッ」 「神父、様。でしょォ……?あと俺ァ、一応国王代理なんですけど?目上のモンには敬語使いなさいよ」 周りから殺気立った眼差しを向けられようとも、神父は怯まず。 気だるげに、しかし毅然とそこに立っている。 「い、今更何の用だ!処刑はすでに決定事項だぞ、いくらあんただろうと覆すことは……」 「別にィ……そいつら殺すならさっさと殺っちまえばいいです」 「は」 「ただねェ……ほら。処刑なら、俺が居なきゃ始まらないと思いまして。色々あるでしょォ、口上とか」 言いながら、人混みをかき分けて処刑台によじ登っていく神父。 想定外の事態に戸惑う自警団員を押しやり、聖書らしきものを取り出した。 驚いたことに、彼は本当に神に祈りを捧げる口上を述べており。 皆、見事に唖然とした。 しっかり神父職を遂行できたのか、この男。 特定の神を信仰していないはずのこの国の宗教からはかけ離れている、という事実さえ霞んだ。
「ミフネさーん、コノハナちゃんー」 と。 民衆が、非常に聖職者らしい神父に気を取られている間に、密かに罪人三名に近寄っている者が数人。 声のした背後を見やるミフネだが、姿は見えず。 しかしながらこの間延びした口調は間違えようもない。 「ラスカルちゃんか?」 「他におにーさんも居るぞぅ。透明人間になって助けに来ちゃったぜ」 「ああ、助かった。本当に死ぬかと思い始めた所じゃったよ」 透明人間になれる薬……命名プレデター薬を飲んだ工場メンバーズが救出に来た。 神父が口上で皆の気を引いているうちに、枷を外して逃がす……そういう作戦のようだ。 「神の御加護があらんことを。……以上ですゥ。ご清聴どうも」 口上が終わった。 ぽかんとしていた民衆がはっとする。 これでようやく処刑が遂行されるかと思われたが、神父は次にこう宣った。 「あぁ、そういえば。この場を借りてご報告しますが、今回は結婚式も兼ねたいと思ってます」 「け、っこん……え?誰の」 「クレオ・ホプキンスと、キース・アンダーソン」 端的に言った神父の言葉に、皆がまたぽかんとする。 自警団団長と指名手配犯が結婚? 意味がわからない。ありえなくはないのかもしれないが。 「新婦であるクレオは仲人に、オズワルド・ユジーヌを指定しました」 「オズワルド・ユジーヌ……は、そこに居るだろ」 「いいえ。ここに居るのはドーズです。それ以外の何者でもねェ。……おい、居るんでしょう、オズ。出てきやがんなさい」 珍しく気だるさが消えた強い口調で、神父はオズに呼びかけた。 すると。 「はあい」 軽やかな返事が、どこからか聞こえてきた。
「ニル……僕は間違えてないよな」
その頃。
ホテルに残ったニルが看護していたキースが、目を覚ましていた。
キースは一度気絶したことにより、いくらか冷静さを取り戻していたが、それでも主張は曲げる気がない様子だった。
「善意を他人にかけてその恩を返されることで、人間は生きていくもんだろ」
「聞かないでよ……あんた、どうせ求めてるのは肯定だけじゃない」
クレオに加えてニルまで参っている。
その理由は知らずとも、これ以上追及しない方が得策だというのはキースにも解った。
クレオを見やると、彼女は茫然自失のまま泣いていた。
何故だろう。わからない。
「ドーズは殺されるんだろ。オズも処刑場に来るのか?」
「さあ……でもきっと来るんじゃない」
「……なら、僕達も行こう」
「何でよ。もうこれ以上何もしない方がいいと思わない?」
「お前はここにいればいい。僕達は行く。クレオさんを救うためにも」
クレオの乗った車椅子を押して、出ていこうとするキース。
ニルはストレスから来る激しい動悸とめまいで吐きそうだった。
彼女は予感していた。きっとまた良からぬ事が起きる。ニル自身の行いのせいで。
「行かないで……ッッ」
手を伸ばして制止を試みるも、キースには届かず。
ニルはその場に崩れ落ちた。
ーーーー
ーーーー 「アタシは此処よン」
処刑場に、オズが現れた。 彼は処刑台を囲む家々の、屋根の上にぽつんと存在していた。 「やっぱり来てましたねェ、ゲス野郎」 「まぁネ。子供と、自分の胴体の処刑だし?」 いつも通り、ひょうきんなオズそのものだ。 と、今の今まで端に追いやられていた自警団員が声を張り上げる。 「……お、オズワルド殿!!貴殿を待っていた!」 「なあに」 「単刀直入に言う!貴殿は、本当のことを言っているのか?ここに捕らわれし貴殿の子らは、先日の人体爆発事件は貴殿の企てだと言っている!我々は、本当に貴殿を信じても……」 「アタシの仕業よ」 「えっ?」 あまりにあっさりした肯定。 一瞬、聴衆の理解が及ばないほどシンプルに、オズは自分へかけられた嫌疑を認めた。 「みんな馬鹿よね。たかだか毎度悩み相談乗ってるからって、アタシの言うこと何でも信じちゃって。挙句、毒の飴をおいしいオイシイ言いながら食べて破裂して。アイマスクで目見えてないのがちょっと残念だったかも」 全面的に肯定して、自供。嘲笑まで特典で付いてきた。 一同の顔が絶望に染まり……次の瞬間には憤怒の色へ。 上がる憎しみの絶叫。 罵詈雑言や呪いの言葉を吐く者、屋根の上目掛けて石を投げ出す者もいる。 オズはあらゆる憎悪を一身に受けた……が。 「ハイハイ、騙されてご愁傷さま。そんな事どうでもいいのよ。……よっと」 屋根から飛び降り、上手く処刑台に着地するオズ。 民衆の怒りなどなんのその。約五メートルほどの距離に立つ、神父に話しかける。 「静ちゃん、アタシ耳がおかしくなった?クレオちゃんが結婚するとか聞こえたんだけど」 「しますよ、結婚。クレオとキースが」 「うっそだあ〜。クレオちゃんの神様はアタシだもん。あんなぽっと出のガキに盗られる訳ないわよ」 「へえ。クレオ幸せそうでしたけど」 「あの子に幸せなんか掴めっこないわよ。幸せが解らないんだから」 「へえ」 あえて多くを語らず神父はオズを煽る。 だんだんと、オズの口元が引きつってきた。 「残念でしたねェ。クレオはお前のものじゃなくなっちまいました。ご愁傷さまです」 と、怒れる民衆によってオズが処刑台の上から引きずり下ろされる。 思いつく限りの暴行を加えられる。 ぐちゃっと、水気の多い音がした。頭を踏み潰されたのだろうか。 だが化物社長と同じく、オズも不死である。 いくら潰され殺されてもすぐ再生して生き返る。 まさに終わらない生き地獄を味わわされているわけだ。
何度も死ぬ、死ぬ、死ぬ。
生き返る、生き返る、生き返る。 埒が明かない惨劇にオズがさらされているとき。 「クソ、クソっ……何なんだよこのッ……!!」 怒りの声に混じって、大勢の涙声が彼の耳に届いた。 更には鼻を掠めるよく知った匂い。 「このクソ親父ッ……全部お前のせいだ……ッ」 群衆の中には当然ながら、自分の血を引く者も大勢居たはずだ。 どうやら、現在進行形で自分の子供達に殺されている様子である。 「あんた達……父親に対してひどいじゃない」 「黙れ!!お前のせいで、俺たちの人生がどんなものだったか知りもしないくせに!」 「まぁそうねぇ。でもアタシだって償いたい気持ちくらいあるのヨ、エルム?」 エルム、と急に人名を口にしたオズに、暴行の嵐が止んだ。 戸惑いの空気を肌で感じ取り、彼は笑む。 「なんで、俺の名前」 「他にも知ってるわよ~。レン、ローズ、バジル、ヒース、アイリス、リリー。それからえっと」 歌うように、次々に人名を喋るオズ。 彼らは驚く。 なにせ、口にしているのは全て彼ら……オズの子たちの名前そのものだったのだ。 何故知っている。 愛も無く、ただ作って放置した用の無い子供の名前だろうに。 「っと……生きてる子の名前は全員呼べたかしら?」 「何で俺たちの名前なんて知ってるんだよ……全員、いらない子なんだろ……?」 「え?だってアタシの子たちだし、名前くらいはね」 ずっと、自分たちの存在は不要だと思っていた。 誰にも愛されないのが当然、虐げられて野垂れ死ぬ運命だと。 けれど、存在を認知されていた。 他でもない、親に。父親に。 「っ……」 愛されてはいなかったのかもしれない。 だけれどもしっかり名前を知り、覚えて、そして今、呼んでくれたのだ。 嬉しい。 思わず感極まってしまう。 「……父さん、ありがとう……名前呼んでくれて……っ」 彼らは号泣し、ぼろぼろ状態のオズを抱きしめた。 一方、その光景を見ていたミフネとコノハナは、ひとつの真実にたどり着いたところだった。 「ミッフィー、まさか、ハイジの兄貴がわざわざ落し子の名簿盗んできたのって」 「わしらきょうだいを、懐柔するため……だったようじゃの」 どこまでも手のかかることを企んだものだ、と半ば呆れる兄妹。 「オズ……?」 ちょうどその時。 処刑場の片隅より、その光景を目にしていた者がいた。 車椅子に座った白髪の女・クレオと、帽子をかぶった青年・キース。 つい今しがた、結婚するのだと嘯かれたふたり。 「オズ、……オズ!!」 「ちょっクレオさん、危ないから」 オズが殺されている場面を目撃したクレオは、茫然自失状態から覚め、今度は狂乱状態となる。 ひたすらに「オズ」と叫び、歩けない脚で少しでも近くに行こうと懸命する。 それを阻むキースのせいでふたりは半ば取っ組み合いになっていた。 「クレオ……」 そこへ、胡乱な足取りで近付く団体。 特徴からしてオズの落し子達だ。 彼らは足取りこそ心許ないながら、表情だけは多幸感に満ちていた。 「クレオ。クレオ・ホプキンス。お前を殺せば、オズさんが……父さんが喜ぶ」 彼らの手には無骨な銃が握られていて。 これから何をする気かふたりは察知したが、咄嗟に動くことは叶わなかった。 辺りに、無機質な銃声が、響き渡った。
車椅子に乗っていたくらいだから、クレオは今歩けない。 そんな歩けないクレオと取っ組み合い状態だったキースが、ともに石畳の地面にて伏せっていた。 「……ぁ」 クレオの喉から上がるか細い声。 彼らの顔は、血に塗れていた。 ただし、その血液はクレオとキースどちらのものでもなかった。 「……だいじょうぶ、か」 首から上が無い男が、ふたりに覆いかぶさっていた。 薄ら骨が浮き出た胸から血を流して。 彼は庇ったのだ。 クレオも、恨んでいるはずのキースさえも。 「ドーズ……何で」 「ふたりとも、無事、か?怪我は?」 「だ、だいじょうぶ、私は心配無いからっ……お前こそっ、大丈夫なのかっ」 もはやクレオはほとんど正気を取り戻していて、ドーズの安否を質問攻めしていた。 元気ともとれるそれに対し、ドーズが小さな吐息を吐く。 おそらく笑ったのだろう。 しかし、ドーズが笑ったあとに何を答えようとしたのか、もう誰にも分からなかった。 オズの落し子たちが……追い打ちと言わんばかりに、ドーズの背中を撃ったせいで。 十発、十五発……撃たれるたびに、ドーズは痙攣した。 それでも腕の中のふたりを護ることをやめなかった。 「やめろこのボケ!!」 一足早く錠を外して駆け出したドーズの、そのあとを追ってきたコノハナとミフネが、ようやくそこに辿り着く。 未だドーズの背を撃ち続けているきょうだいを思いきり殴り飛ばしたコノハナ。 が、すでにドーズの体は地に伏していた。 「父さん!!」 「親父殿……!」 「ドーズ!!おい、起きろ!起きてっ、……うあぁぁあああああああああああぁああ」 返事をしてくれないドーズにクレオが泣き叫んだ。 あらゆるストレスが大爆発する。 どうでもいい男に好意を寄せられ挙句孕まされ、愛するオズが殺される現場を目の当たりにし、直後に友人のドーズが自分を庇って死んでしまった。 なぜこうなった?なぜ自分ばかりこんな目に遭う?自分が何をしたという? 「く、クレオさん、落ち着いて、僕がいますから」 この期に及んでまだ自分が必要だと思い込んでいるキースが宥めればクレオが泣き止む。 ゆっくり振り向いてキースを血走った眼差しで睨みつけ、クレオは。 「なにを言ってるんだお前は」 「え……」 「全部お前のせいだろうが。お前がいなければこんな事にはならなかった。お前は自分の善意を疑わないがそれを押し付けられるこっちの身になったことはあるのか?無いだろう、手前勝手なお節介で私がどれだけ迷惑を被ったかお前は理解しないしできる脳みそも持ち合わせないのだろう!?死ね!!お前など死んでしまえ!!」
「……僕、は、」クレオの罵声が響いていた処刑広場。 だが、どこからか破裂音がしたのを聞いたことで、民衆の意識がそちらに向く。 広場の片隅から、複数人の絶叫が上がっていた。 「ば、爆発した!また人が爆発したぞ!!」 そんな声を皮切りに、あちこちから破裂音が上がる。 オズの飴は数ヶ月で爆発する。 それがよりにもよってこんな時に効果が発揮された模様。 爆死したのはだいたい十数人ほどだろうか、それだけ死ねば民衆の恐怖心を掻き立てるには十分だった。 辺りが騒然となり、皆一目散に逃げようと揉み合い動き出す。 人の群れに踏み潰されるドーズを、コノハナとミフネが庇おうとしたが、小柄な彼らは押しやられてしまった。 ついでキースも、クレオの手を引いて逃げようとしたが同じくはぐれ。 「……っ」 残されたクレオは、すすり泣きながらも這いつくばって逃げる。 這っているから当然蹴られるし踏まれる。 それでもいいから早くここから逃げたかった。 ところが。 そんな地べたを這う彼女を抱き上げる者がひとり居た。 そのだれかを確認しようと見上げるが、涙で霞んで見えなかった。 体力が衰えた彼女はされるがまま、ただ運ばれる。 やがて路地裏にたどり着き、クレオは地面に下ろされる。 「っ……誰だ……」 「誰って……『神様』相手に、ずいぶんなこと言うのね?」 目に溜まった涙が落ち、視界がクリアになる。 そうして眼前にいるのが誰かを視認した。 長い赤毛を三つ編みにし。アイマスクを付け。 カーキのモッズコートを着た男。 「オズ……ワルド……?」 「そ。久しぶりね、クレオちゃん」 頭部のオズと、胴体のドーズが、とうとう一体となったようだ。 頬を優しく撫でさすってくれるオズワルド・ユジーヌその人に、クレオはまた泣いた。 今度は、喜びの感情からだった。 「オズワルド……オズワルド……っ」 オズワルドの名を切なそうに何度も呼び、胸にすがる。 そんな彼女を両腕で包み込んで、オズワルドは囁く。
「クレオ。今までよく頑張ったわね。
もう死んでいいわよ」
狭い路地裏に、銃声が轟いた。
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「……え」 はぐれたクレオを捜しているうちに銃声がした。 すかさずそこへ向かったキースだったが、そこではすでに事は起きた後だった。 「クレオさん……?」 クレオは死んでいた。 白い髪を真紅に染め上げて、地べたに倒れ伏して。 やるせなさと虚しさが込み上げてキースはただ俯いた。 クレオ・ホプキンスは死んだ。謀殺された。 紆余曲折あれども、結局はオズワルド・ユジーヌの企ては成功した。 こうして、彼女が感じていた唯一の『幸せ』は侵された。
ーーーー ーーーー それから二週間が経った。 「お兄やん〜〜。一緒に飲み会でもやんね?バタービール買ってきたからさ」 「キースくん~~。たまには日に当たろうぜー」 「キースさん、工場長とご飯食べに行きませんか。カツ丼奢ってあげますよ」 クレオが死んだあと、キースは部屋にこもりきりになっていた。 同僚の呼びかけにも応えず、ひとり静かに過ごしているようだった。 いくら無視されても匙を投げることもなく、同僚たちは根気強くキースに呼びかけ続ける。 「出てきませんですかー」 そこへ静句が現れる。 手には、何かオブラートに包まれた物を持って。 彼女はいつも通り馬鹿っぽい口調ではあるが、表情は堅かった。 「出てこないッス」 「困りましたねー。もうそろそろタイムリミットが来てしまいそうなのです」 そう言って手中のオブラート包みをつまみ、少し揺らした。 オブラート包みの正体は、オズの毒飴の解毒剤である。 キースは、あの飴を食べた。 食べてからそろそろ三ヶ月になるから、解毒剤を服用すべき時期だった。 このままではキースは……。 「わたくし、これ以上自分の失態で死人が出るのはもう嫌なのですー。せめてキース君だけでも救って、責任取らせてほしいのですー」 「そうは言っても……」 「ええいままよー」 ポケットから、どう考えてもそこに入ったはずのない質量の大砲を取り出して、キースの部屋目掛けて撃とうとする静句。 「待て待て待て!!クロさんが怒るから!」 「知らぬのですー」 「……何やってんだお前ら。うるせぇぞ」 「えっ」 騒いでいるところ、しれっとキースが出てきた。 「キース!!」 「よぉ」 彼は、あんな事があったというのにとても普通そうだった。 憑き物が取れたような……とでも言おうか。 「キース君、これお上がりなさいませー」 「何だこれ」 「解毒剤なのですー。オズさん特製飴ちゃんの」 「あぁなるほど。後で飲んどく。……それよりお前ら」 片手間に解毒剤をしまい込みつつ、同僚たちに向かって、キースは言った。 「ちょっと海見に行かねぇか?」
ーーーー 何か妙だとは、皆が思った。 キースは水恐怖症ゆえに水の近くを嫌い、基本的には避ける。 にもかかわらず海に行こうなんて。 考えにくいが、憑き物が取れたついでに恐怖症も改善したのだろうか。 「おぉー。海広いねぇ」 「キャンプファイヤーとかやりてぇな」 「マイムマイムとかかぃ」 「アレって水が湧いたこと喜ぶ歌なのに何故か火の周りで踊るんだよな。役所手続きだったらたらい回しにされてるぞ」 「何でそこ役所に例えるのよ」 ラスカルとニルが、キースとくだらない話をしている。 それを、ベルトは遠巻きに見つめていた。 「ベルトさん」 カリンが囁くように声をかけるので、ベルトは彼女と目を合わせた。 無感情そうな瞳からは、問いかけの意図が読み取れた。 「キースの目を見たのか?キースは何を考えている?」……と。 ベルトは再度キースに視線を向け、その目を凝視したが。 「あっそうだキース。静句さんの薬飲んだかぃ?」 「飲んでないけど」 「飲まなきゃ死んじゃうぜ」 「そのつもりだよ」 ほのぼのとした空気から一転、一同は硬直する。 耳を疑う。キースは今何といった。 そのつもりだ、だって?死んでしまうと言ったのが? 皆一様にキースを凝視するが、彼はただ柔らかく笑っている。 「僕さ、愛してるよ。お前らのこと」 突然そんな事を言うキース。 死ぬつもりと言っておきながらそんな事を言われ。 一同の胸にはひとつの答えが導き出されつつあった。 「僕みたいなクズでも、みんな対等に接してしてくれたよな。家族が欲しいと思ってたけど、お前らこそが家族だったのかもしれないと思ったよ」 「キー……」 「でもな。同じくらい、憎くてしょうがないんだよ」 心臓が痛いくらいに鼓動する。 冷や汗が止まらない。 キースが、ラスカルに視線を移す。 「あらいぐま。お前言ったよな。何があっても味方だよ、って」 「……言、った」 「でも実際は違ったよな。みんなして僕のやる事を否定した。嘘をついた。支えになるって言っといて、いざとなったら、そうはしなかった」 「それはっ……」 それについては彼らなりの理由があった。 誰も彼も、余裕がなかったのだ。キースに構ってやる余裕が。 だから反論と説明をしようとした。 が、口を噤んだ。今キースは、おそらく何も聞く耳を持たないだろう。 だから、無駄だと思った。伝えることを諦めてしまった。
いつの間にか、キースの手には銃が握られていた。 この中の誰かを撃つ気だ。あるいは、撃たれるのは全員か。 そうして自分の願いを叶える邪魔した彼らに、復讐する気なのだ。 「……私達のこと、殺したいのね」 「いや。安心しろよ。お前らは殺さない。さっきも言ったとおり、僕はお前らのことが好きだ。大好きだ、愛してる」 そう、同僚たちは殺さない。 そんな安易な復讐がしたいわけじゃあない。 「だから」 キースの銃口が向けられる。同僚の誰でもない、彼自身のこめかみに。 「やめろ!!」 今更になってベルトが焦ったように叫んだ。 ほかのメンバーも、キースの意図を察知した様子だ。 そんな同僚たちに向かってキースは満面の笑顔でこう言うのだ。 「呪われろ」 それが最後の言葉となった。 止めに入る間も与えてはくれなかった。 呪いの言葉を発し、間髪入れずキースは銃口を自らのこめかみに向けて発砲。 発砲音で全員が硬直したもののそれも一瞬で、すぐにキースの元へ駆け寄る。 「キース!!」 「誰か救急車呼んで!!早く!」 拳銃自殺を図る際にしてはならないことがある。 こめかみを撃つことだ。 頭蓋骨というものは案外硬く丈夫で、こめかみを撃っても自殺は失敗する可能性があるそうだ。 まだ助けられる。そう一縷の望みをかけて、同僚を救おうとした。 が。 「ッッ……!」 辺りに響く聞き覚えのある破裂音。 とともに、キースの首から上が無くなった。 そこから発生した血飛沫が同僚たちの顔や服を盛大に汚す。 とうとうオズの飴の効果が発揮されたのだ。 キースははじめからこのタイミングを待っていたのだろう。 愛する仲間たちに見守られながら、呪いの言葉を残して、死ぬつもりだったのだ。 「キース……」 誰かがぼんやりとつぶやく声が聞こえる。 それが誰の声なのか、なんてもはやどうでもよかった。 眼前に広がる海原のごとく、深い深い絶望に沈んでいく。 こうして、クレオに続きキース・アンダーソンも、泉下の人となった。
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トオヤマシズカは途方に暮れる。
クレオは殺された。ドーズは命こそあるが、死んだと言っても過言では無い。
保護している「化物」と同等くらいに大切で、失くしたくないと思っていた友人たちはもう帰ってこない。
オズのせいだと言ってしまえば簡単だ。
が、自分に責任があるとも思う。
何故ならば、心のどこかでこうなるかもしれないと予感していたくせに知らぬふりをしたから。
「死にそうな顔してますねー、兄ちゃん」
そこへ妹、静句が現れる。
何の用だと睨んでも静句は気にも留めず、ベロア素材のソファに座っている彼の隣に腰掛けた。
「キース君、亡くなったそうです」
「……聞きました」
「悔しいのですー。諸悪の根源が目の前にいたら今すぐぶっ殺したいです。その前にわたくしの反省点を考えねばならぬのです」
「……別に反省することないでしょォ」
「いいえあります。関わった者全員」
彼女にしては珍しく厳しい口調だった。
どういう事かと視線をやり続きを促すと、静句は語り出す。
「わたくし達はみんな、自分勝手すぎたのです。自分勝手で無責任。己の何の気なしの言動挙動で他者の運命を変えていることを自覚できていない。だからこんな最悪の展開になるのです。自業自得というものです」
「……何が言いてぇんです」
「反省して、次にどうするべきか考えろ。それだけなのですー」
急に子供っぽい態度に戻った静句が、ぶんぶんと掲げた拳を振り回す。
「次……次なんてあるんですかねェ」
「ありますです。生きてる限りは」
「……。静句。頼み事があります」
「何でしょー?」
「紙とペン、持ってきていただけますか」
ーーーー
ーーーー 「鎮巳。離しな」 「ダメ……」 「離せってんだ」 コノハナが、鎮巳の腕の中でもがいている。 男女がくっついているわけだが、どう見ても、いやらしい空気は無い。 抱きしめられているコノハナが、修羅のごとき様相でいるから。 「ハナちゃん、諦めなさい。もう親父殿はひとつになってしまった後じゃよ」 ダメ押しと言わんばかりにミフネに窘められ、とうとうコノハナは戦意喪失した。 鎮巳に抱きしめられたままの体勢でへたり込んで、呪わしそうにつぶやく。 「クソ野郎が……」 彼らはまさしく踏んだり蹴ったりだった。 オズワルド・ユジーヌの企てが成功したあの後、何も関係ない市民は皆、安全確保のために亡命していった。 今このイブムニアに残っているのはいわゆる関係者のみ。 圧倒的に数で勝っている「オズワルド側」は、新たに国王を父たる彼と定め。 アヴァホテルに籠城するもの達を非国民とし、鏖殺しようとしているとの事。 「もう終わりじゃな、この国は」 「すまねぇ……全部あたしのせいだ。恩を返すどころか、父さんを殺しちまった。他もめちゃくちゃだ」 「ハナちゃん一人に責任押し付けはせんよ。わしも共犯じゃ。というか、ここは責任転嫁してもいいところだと思うがの」 ミフネのひとことで、激しい憎悪で何も考えることが出来ないコノハナの脳裏に過ぎるワンフレーズ。 『あいつさえいなければ』 そうだ、あいつだ。全部あの生首が悪い。 大好きな父さんを、汚い思考回路で染まった頭ごときに奪われた。 憎い。殺してやる。絶対に許さない。 「許さねェ……ッッ」
ーーーー ーーーー カリーナ、と本名を呼ばれる。 彼女を昔の名前で呼ぶのは、現在世界中でおよそ一人だけだ。 俯いた顔を上げれば、やはり黒服黒髪黒眼の可愛らしい子供がいる。 「何スか」 「……ちょっと、伝えたいことあってよぉ」 どこかくたびれたように見える黒い子・社長。 それでいて顔を紅潮させ、何やらもじもじしている。 「あのっ……、俺!お前のこと恋愛的に好きなんだと思う……!」 「……はあ」 「え、何そのうっすいリアクション」 仮にも愛の告白だと言うのにと社長は不服そうに抗議する。 対して、カリンは淡々と答えた。 「知ってますよ、だいぶ前から。ってか気付くでしょ、カリンにやたら執着してるし、ちょっかいかけてくるし」 「……。……で、返事は?」 「返事とは」 「えっ」 微妙にカリンから目を逸らしていた社長は、そこで初めて気づく。 カリンが、いつも無表情の顔を珍しく歪ませ、大激怒しているという事実に。 「あんた、この国のことどうすんですか」 「えっ」 「実質オズさんの物になってるそうですけど、取り返さなくていいんですか」 「……、取り返したって……もう元通りにゃならねーだろぉ」 イブムニア国。ここは社長とよばれる化物のための楽園だった。 社長の、社長による、社長のための巨大な遊園地。 統治は申し訳程度にしかしていなかったから治安は最悪だったが、それでも、この遊園地を所有物として愛していた。 そんな愛した物がたかだか他人に奪われたのだ、悔しいし怒りを覚える。 戦おうにも、彼の味方は神父くらいのもの。 多勢に無勢すぎる。 「しっかりしてくださいよ。あんた、それでもカリンを本気でキレさせたあの化物ですか。カリンの大事なものを奪っといて、なに今更弱気の逃げ腰になってんですか」 「……そんな事言ったって、俺に味方なんかいねぇし」 「なら、頼んでください」 「は」 「依頼してください、カリンに。お客様としてならいくらでも味方しますよ」 思いがけない申し出に、社長は目を見張る。 味方。この娘が?俺に? 嬉しい。是非そうしてほしい。
「ただし、報酬は弾んでもらいますよ。何たって国盗りが依頼ですからね」 「……ハッ。ナメたこと言ってんなよなぁ、俺がどんだけ稼いでると思ってやがんだぁ?世界買収できるほど金くれてやんよ。チップも含めてなぁ。だから無事国盗りが終わったら、俺様と結婚しろよなぁ」 「心に決めた人いるんで」
ーーーー ーーーー 「やっぱり此処にいたな」 集合墓地の一角。 草むらにて座りこんでいる、小さく頼りない背中の持ち主にクローバーは声をかける。 振り向いたその顔は、意外にもけろっとした顔だった。 「やぁ、何か用かぃ」 「別に。お前こそこんなところで何してる」 「お墓参りだよ」 何食わぬ顔で言ってまた正面に視線を戻すラスカル。 そこには毎度お馴染みルーク・ローレンスの墓標……と、その隣に、キース・アンダーソンの墓。 「趣味悪いよねぇ、誰が考えたんだぃ?他人の空似同士を並べて弔うなんて」 「俺だ」 「きみかよ」 「墓に入れてもらえるだけマシだろォ、こんな野郎」 吐き捨てるクローバー、だがラスカルは咎めることも無く。 「そうだね、ほんとうに」 むしろ肯定した。 「キース……。キースったらもう……、同僚のぼく達に呪いをかけて死ぬなんてね。自分の願いが叶わなかったからって、やっていい事と悪いことがあるだろう。最悪だよあいつ」 「思いのほか罵倒するじゃねェか。どうした、お前あいつが気に入ってたんじゃないのかァ?」 「ああ気に入ってたとも。ぼくの最愛の人と瓜二つだからね」 ラスカルが、ワンピースの生地をぎゅっと握りしめる。 「瓜二つだ。死に様までほとんど同じだよ。首が無くなって。ぼくに呪いを残して。ひとりでおっ死にやがって……っ」 顔を伏せているから表情は見えず。 だけれども、淡々と怒っていたラスカルの声が、徐々に涙声に変わっていく。 「ぼくはどうすれば良かったんだよ。余計なこと言わなければ良かった?味方だなんて言わなければ良かった?無闇に優しくしなければ良かった?自分のことそっちのけで彼にかまければ良かった?」 後悔は先に立たず、そして際限なく。 ラスカルは、嗚咽とともにこぼれていく涙を拭う。 クローバーは何も言わずに、ラスカルの真後ろに座り込んだ。 ラスカルに背を向けた体勢……いわゆる背中合わせで。 「ラスカル。今の気持ちを言葉にできるか」 「……、……腹が立つ」 「誰に?」 「自分と、キースと……あとオズさん」 「そうか」 クローバーが背中越しに何かを差し出してくる。 見ると、分厚めの茶封筒。 「じゃあ俺からの依頼を受けて欲しいんだが」 「……依頼?」 「オズの野郎を殺すから手伝え」 突然物騒なことを言い出すものだ。 だが、ラスカルは今「オズに腹を立てている」と言った。 それはもう、怒りのあまりぶち殺して良い魚礁にしてやりたいくらいだろう。 「どうだ。断ってもいいが」 「……。やる。引き受ける。殺してやる、キースの仇だ」 「あァ、あと、封筒にはもうひとつ別のものも入ってるんだが」 「……?何だぃ」 「指輪」 「ゆびわ?」 「結婚してくれねェか、俺と」 「…………えっ??」
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アヴァホテル廊下、閉ざされたドアの前で彼女は立ち尽くしていた。
想うは、傷心中であろう恋人のこと。
同僚が目の前で自殺してから、恋人たる彼は部屋に閉じこもっていた。
……自殺した張本人が、同じくそうしていた様に。
同僚の死が堪えたのはよくわかる。
そうでなくとも彼自身もいろいろと事情があるのだ。
もしかすると、と思わなくもない。
が、あえて待った。
彼が同僚の後を追うより、恋人たる自分を頼って、寄り添わせてくれると。
「パティ……」
「……ニルさん。どうされました?」
廊下の向こうから、顔にハートのペイントをした女……ニルが現れる。
彼女も同僚の死が相当メンタルに来ているようで、やつれていた。
「ベルト、出てこない?」
「はい……でもきっと、ベルさんなら大丈夫です。そう信じます」
「っ、……そうね」
肯定する前にニルが何か言いかけた。
パティはそれに気付き首を傾げた。
「何か?」
「……あの、……あのね……私ッ」
と、その時。
眼前のドアが、思いっきり開いた。
あまりにいきなり且つ思いきり開いたもので、その拍子に、パティはドアに顔をぶつけた。
「痛ったァア!!は、鼻血出た!」
「……何やってん、そんなとこで?」
「あっ、ベルさん!」
ようやっと、部屋から待ち望んだ人が……ベルトが出てきた。
「よぅ、ベルちゃん。ニルも。ご機嫌うるわしゅー」
「……、ずいぶん元気そうじゃないあんた」
ニルが訝しげな、というか警戒したような顔をしている。
同じ流れを経験したばかりだから。
「なーによその目。言っとくけどおにーさんは銃で頭ぶち抜いたりしねーよ?死ぬ前に、っちゅーか死んでもやりたいことあるし」
「え?」
「みんな集めるべ。話がある」
ーーーー
ーーーー
「ゲームする者寄っといで!!」
破裂寸前まで膨らんだ風船のごとき雰囲気に包まれた、迫害されし者の烙印を押された一同。
怒り、憎しみ。それらが色濃く香る者たちが一堂に会する、廃ホテルの一室。
そんな中で飛び出した突然の誘い文句に、場の空気が微妙なものになった。
「何言ってんでィ、変な髭のおっさん」
「ゲームよ、ゲーム。みんなでゲームやんね?」
「ゲームで遊びたいんですか?こんな時に」
「あったり前。わざわざボードゲーム買ったんだぜ、俺。通販で」
通販で買ったボードゲーム。
ミフネが宅配して、コノハナが盗んで、なんやかんやで無事ベルトの手元に届いた物。
それをやりたいと。
「ただし、ゲームプレーヤー二人足りねーんだわ」
「……?誰だぃ」
「キースとクレオ」
あっけらかんとベルトは言う。
あの二人にはゲームはできない。もうすでに帰らぬ人になってしまったから。
「無理だろぉ。あいつらもう……」
「じゃあ俺たちも向こうに行けばいいだろ」
ベルトは、真剣な眼差しで言う。
「何じゃ。わしらに死ねと言う気か」
「ある意味では。だって、お前らみーんな、目が語ってるぞぅ。オズの野郎をぶっ殺したい、たとえ自分が死んでも。……ってな」
全員が口を噤んだ。
本当のことだったからだ。
「全員が、同じ目的を持ってここにいる。でも、あいつは不死だ。勝てるかどうか、そもそも殺せるかどうかも分からねー。でも絶対にやり遂げる。だから、もし死んだら……オズだけ抜きで遊ぼーぜ。先に逝ってるあいつら誘ってさ」
子供みたいなことを言うものだ。
発想そのものが突飛で馬鹿げすぎている。
「あんた、何ふざけたこと言ってんの!?」
「ふざけてねーよ。実際あいつは不死身の化物だ。しかも数でも負けてる。負け戦すぎてんだろ」
「だからって……!」
到底納得いかずにがなるニルだが、そこではたと気づく。
ほかの皆が、一様に落ち着いていることに。
「死んでゲームか、生きて取り残されるか……か。いいんじゃないスか」
「えっ」
「わしゃ構わんよ。死んでもゲームできるなんて、極楽じゃ」
「国盗りするならそのくらいの気概でいなくちゃなぁ」
口々に同調する、ニル以外の面子。
「どうせ、生きてりゃいつかは死ぬわけだしなァ」
「あぁでも問題が一つあるよ。この国の宗教さ、人を殺したら地獄行きなんだろう?キースは自分も他人も殺したから、きっと地獄行きだと思うよ」
「……ほんなら、その教えを改訂しちまえばいいんですよォ」
神父が、一同の鼻先に何かを掲げる。
紙だ。
おそらくコピー用紙だろうそれには、ポップなイラストとともに何事か文章が記されている。
曰く。
「イブムニア発祥宗教団体、ヨザクラ教……?何これ……」
「もともとあった宗教を変革っつか、まぁそんな感じですゥ」
「宗教ってのァそんなホイホイ変えていいもんなのかィ」
「宗教はね、信じる者さえいれば成り立つんですよォ。現にぽっと出新興宗教なんかいくらでもあるでしょう」
「怪しいことこの上ねぇなぁ。っつかこれに入信したら、どうなるんだぁ?」
「どんな者であれ、生涯の目的を果たした者は救われる。天国でも地獄でもない、しかし苦しみも無い世界に行ける……とかどうですゥ?」
「わー、めちゃくちゃ都合いいのですー」
わざわざ言葉には出ていないが、きっとニル以外全員が入信するつもりでいるだろう、そのヨザクラ教とやらに。
わいわい賑わう輪にひとりだけ馴染まず、ニルは呆気にとられていた。
おかしい。頭がおかしい。
なぜ死に急ぐことを皆して享受している?
死んだ後に皆でゲームするのが救いなわけは無いだろう。
「み、みんな一回頭冷やしてよ……みんなが落ち着くまで話聴くから!薬も処方するわ!」
「いらねーよ。別に病んでる訳じゃない」
ニルが必死に説得を試みるが、彼らはやはりあっけらかんとしている。
「俺たちはただ
ーーーー死ぬほど怒ってるだけだ」
オズワルド・ユジーヌ。彼の味方は多く、仇敵ははるかに少ない。
しかし、その少ない敵達を心から怒らせてしまった。
死すら恐れぬ程の怒りを胸に、彼らは最後の一人になるまで戦うだろう。
児戯の如きそれに、己の命をかけて。
《第二部〜完〜》